インド映画夜話

Akele Hum Akele Tum 1995年 153分(160分とも)
主演 アーミル・カーン & マニーシャー・コイララ & マスター・アディル
監督/脚本 マンソール・カーン
"明日から新しい生活を始めよう…君と僕で"




 古典歌謡を学ぶキランとポップシンガーのローヒト・クマールは、新年パーティーで知り合い意気投合。お互いにインド1の歌手を目指す2人は、交流を深めて行く中で愛し合うようになり、キランの親の反対を押し切って結婚する。

 しかし、歌手として活動し続けるローヒトと、夢を捨てて主婦業に専念せざるを得なくなったキランは徐々にすれ違い始め、精神的にも追い詰められていくキランはついに夫と6才の息子ソヌー(本名スニール)を捨てて家を出て行ってしまう…。
 翌朝から育児の大変さを噛み締めつつ仕事に出ていくローヒトだったが、「母さんは2〜3日叔母さんの所に行ってるだけだよ」と息子を落ち着かせていたのもつかの間、キランからのソヌーへの手紙が届くと、そこには「お母さんは、夢を実現するために家を出て働きに行っています。もう貴方とは会えなくなってしまうけど、お母さんは貴方の心にいつまでもいるからね」と書かれていた…。


挿入歌 Aisa Zakham Diya Hai


 タイトルは、ヒンディー語(*1)で「僕は一人、君も一人」。
 本作は、1979年のハリウッド映画「クレイマー、クレイマー(Kramer vs. Kramer)」をアイディア元にした翻案作でもある。

 ボリウッド業界全体の低迷期に大ヒットを飛ばしてその流れを変えた、88年の純愛映画「Qayamat Se Qayamat Tak(破滅から破滅へ)」と同じアーミル主演&マンソール・カーン監督作によるロマンス映画の1本(*2)。
 リメイク元の「クレイマー、クレイマー」とほぼ同じ物語構成の映画であることはすぐにわかる作りの映画。ただ大きく違う所は、夫婦の結婚に至る恋愛模様が丹念に描かれるところと、離婚を決意する妻側にかなり同情的で説得力のある描かれ方をしている所(*3)。父子の愛情劇以上に、かなり大きなウェイトを占めるのが夫婦の愛情劇で、この点は純愛映画を武器にしているボリウッドらしさが爆発している感じでもある。

 その分、いわゆるインドの結婚観・家族観がアメリカのそれとどう違うのかが如実に現れてる映画にもなってる感じだけど、この翌年にタミル語映画界で「ミセス・ダウト(Mrs Doubtfire)」を翻案した「Avvai Shanmugi(シャンムギおばさん)」が公開されて大ヒットしてるのも合わせて、この時期ですでに「離婚」「女性の社会進出」が娯楽の中でも意識されている部分は注目点かもしれない…とか考えると、インド社会のジェンダーを考える上での1つの例を提示してるような映画にも見えてくる…かなあ(*4)。
 まあ、もちろん「女性は結婚したら妻として、母として働くべし」という社会的な目線が強いお話にはなってはいる。それに対して「歌手になる」という共通の夢を追うはずの夫が1人だけで夢に向かって走り続け、歌に関われない自分を卑下せざるを得なくなるそのストレスを子供にぶつけてショックを受けるキランの痛々しさは、かなり切実な姿を見せてくれる。そこから家出して歌の世界に飛び込み、トントン拍子で映画スターになっちゃうのは「ワォ」って感じではあるけれど、有名歌手兼女優となったキランと落ち目のローヒトと言う前半の立ち位置が逆転した状態での「じゃあ子供はどっちが育てた方が幸せなの?」って物語的問いかけが色々と示唆に飛んでいて素晴らしか。キランはキランで、息子への愛情を残しつつも仕事の関係で結婚歴を伏せたままと言う状態だし、ローヒトの方は「あいつ妻に逃げられたんだってよ」と近所に陰口を囁かれてそれが仕事にも影響を及ぼすと言う状態に陥っているのも、当時(今も?)のインドの家族観・世間の壁のリアルな反映って所でしょか。

 監督を務めたマンソール(・フセイン)・カーンは、ハイデラバード生まれのムンバイ育ち。
 父親は有名な映画監督兼プロデューサー兼脚本家のナシール・フセイン(本名 ムハンマド・ナシール・フセイン・カーン)で、母親は振付師のアイーシャ・カーン。親戚に本作主演のアーミル・カーンがいる他、男優イムラーン・カーンもいる映画一族出身。
 67年の「Baharon Ke Sapne」で子役出演(?)したのち、光学技師、助監督などを経て88年の「Qayamat Se Qayamat Tak」で監督デビューし、ナショナル・フィルムアワード驚異的娯楽人気作品賞他を獲得。以降、ハリウッド映画を下敷きにした監督作を生み出す中、08年には甥のイムラーン・カーン主演作「Jaane Tu Ya Jaane Na(あなたが知ろうと知るまいと)」でプロデューサーデビューしている。

 基本的には、翻案元と同じく父親側の視点で話が進んで行くわけだけど、その父親を助ける近所の主婦友達ファリーダの献身的協力が、よくある「理解ある友人」の役割以上に主役夫婦たちを支えていて泣ける。なんか見たことあるような人だなあ…と思ってたら、15年公開作「バージーラーオとマスターニー(Bajirao Mastani)」でヒロインをいじめ抜く姑ラーダーバーイを演じてるタンヴィ・アーズミーじゃないデスカ! 他の映画ではあんま見ない男主人公を助ける女友達という立ち位置をお美しく演じていて、他の出演作も見たくなってくるよぉぉぉぉぉ。
 思ってたより出番が多かった夫婦の息子ソヌーを演じてるのはマスター・アディルことアディル・リズヴィで、それなりに将来有望そうな雰囲気を漂わせている感じだけど、本作で映画デビューしたのち97年の「Lav Kush」に出たのみで映画界から去っているよう。残念。

 「クレイマー、クレイマー」で重要視されていた父親と息子の親子愛は、本作ではわりとサクッと「当然のこと」として描かれていて父親の不器用さも離婚初日程度にしか描かれていないのは、夫婦愛をテーマにしたいが故か、インド人の器用さのなせる技か…。目玉焼きとトーストという洋風朝食なのは育ちの良さを表すアイテムだったのか、本案元へのオマージュ的な意味合いだったのかも気になるっちゃなる。そこはパンケーキに合わせてロティでもよかったんでねーのー!

挿入歌 Dil Mera Churaya Kyun (君はなぜ、僕の心を奪っていったんだ)


受賞歴
1996 Bengal Film Journalist’s Awards 主演男優賞(アーミル・カーン / 【Rangeela】と共に)


「AHAT」を一言で斬る!
・この時代は、やっぱセレブになると女性はパーマかけないとあかんのかね…(キランのセレブ姿のとってつけた感よ…)。

2020.12.4.

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*1 インドの連邦方用語。主に北インド圏の言語。その娯楽映画界は、俗にボリウッドと呼ばれる。
*2 本作は、シャールクやマードゥリー、カージョルに最初オファーを出してたそうだけど。
*3 その部分を引っ張って、裁判はラスト近くにまとめて行われていて、ラストも結構強引な軌道修正がなされて別の形の感動を生んでいる!
*4 女性映画自体、本作よりも遥か前からありますけど。