インド映画夜話

アブ、アダムの息子 (Adaminte Makan Abu) 2011年 101分(105分とも)
主演 サリーム・クマール & ザリーナ・ワーヒブ
監督/製作/脚本/原案/台詞 サリーム・アーメド
"インシャーラー…。来年、まだ身体が動くなら、希望を持って生きよう…"




  ケーララ州北部。ファジュル(夜明け前の礼拝)の闇に響くような、アザーン(礼拝への呼びかけ)によるイスラーム教徒たちの祈りは、いつものように敬虔に行われていく…。

 年老いた夫婦、小物売りのアブと農婦のアイシュ(またはアイス。本名アイシュンマ)は共に敬虔なイスラーム教徒。息子はドバイに移住したまま戻って来ず、慎ましい生活の中で夫婦の望みは”ハッジ(メッカへの大巡礼。イスラーム教徒に課せられた五行の1つ)”を行うことなのだが、なかなか実現できない日々を過ごしていた。
 そんな中、行商の帰りにアブーは、知人がハッジを希望する人々を集めての集団巡礼を企画していると聞いて、今年こそ夫婦でハッジを行こうと主張し、その金策に走るのだが…。




 サリーム・アーメドの監督デビュー作となる、数々の映画賞に輝く傑作マラヤーラム語(*1)映画。
 2012年度の米国アカデミー外国映画賞選定作品の、インド代表作として出品されている(*2)。
 日本では、2018年のイスラーム映画祭3で上映。

 冒頭、夜明け前の礼拝を告げるモスクからの呼びかけによって、粛々と礼拝を行うイスラーム教徒たちの1日の始まりを映すシークエンスの静謐さが美しい。その寡黙さの中に、信仰の姿の美しさと哀しさ、人生の儚い機微を描く一本。

 「大地のうた」にも通じるような緑濃い農村地域を舞台に、そこで清貧生活をおくる主人公夫婦が理想とする信仰のあり方を描きながら、その理想が現実を前にさまざまに変化し・変節し・ついには倒壊していく様を見せつける映画であるけれど、しかしその描き方は静謐であり、軽快であり、ユーモラスな姿も現れる。
 イスラーム教徒の夫婦に助力するヒンドゥー教徒の教師や、キリスト教徒の材木屋、都会コーリーコードの旅行代理店務めのムスリムのビジネスマン、賄賂で簡単に態度を変える警察官など、ケーララ州に生きる多種多様な人々の暮らしと交錯しながら、その異なる宗教間の融和の姿、伝統的生活と現代社会の融合と孤立具合、それぞれの暮らしに見える相互援助の精神、信仰の先に見えてくる「終活」の姿…。
 美しい信仰のありようによって、色々な対立を乗り越えて相互理解と許しを実現していく理想的な姿が描かれる一方、巡礼準備のために家財を切り売りしていって日常生活の破綻が目に見えて進行して来たり、順調かと思われた物事がすぐに頓挫する人生のままならなさが端々に見え隠れしていく、日々の「人の暮らし」「信仰」のありようを両面的に細やかに描いていく映画である。

 本作で監督デビューしたサリーム・アーメドは、1970年ケーララ州カンヌール県マタナ生まれ。
 地元の大学で観光学を修了し、映画界を志望しつつも叶わず一時旅行コンサルタントとして働き出す。しかし、その後トリシュールのドラマスクールに通ってスーリヤTVのクリエイティブ・ディレクター兼スクリプトライターに就任し、助監督として映画界にも参入。その中で、旅行コンサルタント時代の経験を踏まえて長年温めて来たアイディアをもとに映画化したのが本作となり、国内外で多くの映画賞を獲得。以降、大スターを起用してのマラヤーラム語映画のヒットメーカー監督として活躍している。

 タイトル・ロールのアブを演じたのは、1969年ケーララ州イェルナークラム県ノース・パラヴァ生まれの男優兼監督サリーム・クマール(*3)。
 無神論者の父親に育てられ、歌手を志望しつつ大学では芸術を専攻してモノマネ芸や舞台演劇、コメディアンなどで活躍する。TV番組司会などを経て、96年のマラヤーラム語映画「Ishtamanu Nooruvattom」の端役で映画デビュー。以降、数々のマラヤーラム語映画に出演しつつ、06年の主演作「Achanurangatha Veedu(父親が眠れない家)」でケーララ州映画賞の主演男優賞ノミネート。08年には、アルバム「Coffee @ MG Road」の1曲”Palavattam”で歌手デビューを果たし、本作で数々の男優賞を獲得してその演技力の高さを見せつけることとなる。
 15年には、出演作「Compartment」で監督デビューし、翌16年には「Moonam Naal Njyayarazhcha」でプロデューサーデビューもしている。

 アブの妻アイシュンマを演じたのは、1959年アーンドラ・プラデーシュ州ヴィシャーカパトナムのイスラーム教徒の家生まれのザリーナ・ワーヒブ。
 プネーのFTII(*4)で演技を学び、74年のヒンディー語映画「Ishq Ishq Ishq」で映画デビュー。75年の「Gajula Kishtayya」でテルグ語映画に、77年の「Navarathinam」でタミル語映画に、78年の「Madanolsavam」でマラヤーラム語映画に、87年には「Ee Bandha Anubandha」でカンナダ語映画にそれぞれデビューしている。
 70年代後半〜80年代にかけて、主にマラヤーラム語映画界とヒンディー語映画界で活躍し、86年に男優兼プロデューサー兼歌手のアディティヤ・パンチョーリーと結婚(*5)。子育ての間、映画出演数を一時的に減らすものの断続的に女優業を続けていき、11年の「マイ・ネーム・イズ・ハーン(My Name Is Khan)」でグローバル・インド映画&テレビ功労賞の助演女優賞を獲得する。以降も、TVや映画で活躍中。

 公開当時41歳で、なんの違和感もなく老人アブを演じるサリーム・クマールもスゴイし、その浮世離れ気味の夫を支える妻アイシュンマ演じるザリーナ・ワーヒブの眼力、立ち居振る舞いの朗らかさもスンバラし。出てくるおっさん達も腹が出ている恰幅のいい体格していつつ、ガッチリ筋肉質な体型してるのも、ケーララ人の強さと生活の苦労具合を表現しているようで、その生活所作の数々にもそれぞれの異文化が透けて見えるよう。
 物語を彩るケーララの緑豊かな風景を捉えるショットの1つ1つも美しいし、そこにかかるイサック・トーマス・コットゥカパリィの音楽がまた、その美しさと孤独感をより効果的に彩る叙情的な画面は、まさに珠玉の映像美で、人生の美しさと儚さを醸し出してくれまする。

挿入歌 Makkah Madeenathil


受賞歴
2011 米国 FEFKA Film Awards 審査員特別賞(サリーム・クマール)
2011 Asian Movie Awards 驚異的インド映画作品賞・監督デビュー賞・主演男優賞(サリーム・クマール)
2011 International Film Festival of Kerala NETPACマラヤーラム語映画賞・FIPRESCIマラヤーラム語映画賞・ハッサンクッティ(監督デビュー)賞
2011 International Film Festival of India 審査員特別作品銀孔雀賞
2011 Jaihind TV Film Awards 主演男優賞(サリーム・クマール)
2011 Kerala Film Critics Association Awards 審査員特別賞(サリーム・クマール)
2011 Kerala State Film Awards 作品賞・主演男優賞(サリーム・クマール)・BGM賞(イサック・トーマス・コットゥカパリィ)・脚本賞(サリーム・アーメド)
2011 Nana Film Awards 作詞賞(ラフィークィ・アーメド)
2011 National Film Awards 主演男優賞(サリーム・クマール)・撮影賞(マドゥー・アンバット)・注目作品賞・BGM賞(イサック・トーマス・コットゥカパリィ)
2011 Vellinakshatram Film Awards 特別賞(サリーム・アーメド & サリーム・クマール)
2012 Filmfare Awards 主演男優賞(サリーム・クマール)
2012 Imagineindia International Film Festival 主演男優賞(サリーム・クマール)
2012 露 Kazan International Festival of Muslim Cinema シナリオ注目作品賞(サリーム・アーメド)・映画批評家&ロシア映画研究会賞
2012 South Indian International Movie Awards 特別功労賞(サリーム・クマール)・新人監督賞
2012 Thikkurissy Foundation Awards 作品賞・主演男優賞(サリーム・クマール)・監督賞
2012 Shihab Thangal Cultural Award(サリーム・アーメド)


「アブ、アダムの息子」を一言で斬る!
・夜明け前の礼拝を告げるミナレットの、闇夜に映える白と青の壁、高彩度の壁掛けの色対比の鮮やかさよ…。

2018.4.13.

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*1 南インド ケーララ州の公用語。
*2 ノミネートには至らなかったよう。
*3 公開当時41歳!
*4 インド映画&TV研究所。
*5 以降、様々なゴシップが彼女を襲うことになったそうな。