インド映画夜話

Aathi 2006年 167分
主演 ヴィジャイ & トリシャー
監督/脚本/台詞 ラマナー
"君が泣いていた時、お父さんは喜んだかい?"
"君が怪我した時、お母さんは喜んでいたかい?"
"そうじゃないだろ? なら、なんで今君は泣いているのさ"




 タミル・ナードゥ州ラーメーシュワラムの海岸にて。寺院詣での帰りに鳩と戯れる少女アンジャリを見かけた元DGP(Director General of Police=警視総監)のシャンカルは、彼女に声をかける。
「貴方は、生き物がお好きなんですね。ここはいい所です。老後をここで過ごそうと決めたのも、ここが自然に溢れる美しい場所だからなんですよ」
「先週も来てましたよね。今日はお一人ですか? この前まで、お友達といらしてるのを見ましたけど」
「ええ、まあ。実際、人生なんて孤独との果てしない付き合いですからね」
「そうですね…わかります。私は、何年も待っていたんです。この瞬間を…」
 そう言うと彼女は、いきなり…!!

 タミル・ナードゥ州での元警視総監暗殺のニュースが飛び交う中、ニューデリーに住むアーディ(本名アーディケーサヴァン)は、家族の反対を押してチェンナイの大学への進学を希望し、家族全員でチェンナイに引っ越すこととなった。その頃、ギャングボスR.D.X.に支配されているチェンナイでは、警視総監暗殺事件を調べる記者が、R.D.X.配下たちによって、白昼堂々殺されていることも知らずに…。

 市立図書館にて同じ大学に通うアンジャリと出会ったアーディは、すぐに彼女と仲良くなり家族にも紹介する。
「…僕の家族はみんな気さくでね、家族というより友達みたいな感じなんだ。知らない人にもそんな感じで接してくるから、嫌だったらごめん」
「そんな事ないよ。私も、友達みたいな家族は素敵だと思う」
「君の家族も、同じような人たちなのかい?」
 それを聞いたアンジャリの顔は急に曇ってしまい、その頬に涙がつたう…。


挿入歌 Yea Duraa


 タイトルは、主人公の名前。アルファベット表記では「Aadhi」とも。
 2005年のテルグ語(*1)映画「Athanokkade(彼こそ唯一)」の、タミル語(*2)リメイク作。

 のちに、テルグ語吹替版「Nenera Aadhi」、ヒンディー語(*3)吹替版「Aadhi Naath」、同名マラヤーラム語(*4)吹替版も公開。

 2003年のヴィジャイ主演作「Thirumalai(ティルマライ)」で監督デビューしたラマナーが、再度ヴィジャイを迎えて撮ったマサーラー・リベンジムービー。  冒頭から、お嬢様然としたお美しさ全開のトリシャーをイメージビデオ風に撮っていたかと思った瞬間に殺人鬼に変わるトリシャー演じるヒロイン アンジャリの激変ぶりのインパクトにやられてしまう変幻自在さが楽しい。
 トリシャーとナーサルによる復讐に走る暗殺者像を不穏な伏線としつつ、それと対照的な快活な家族ドラマで描かれる主人公アーディとの対比も綺麗にキマっていて、前半のラブコメ家族劇の明るさが、ヒロインのシリアス具合との対象関係であり映画としての明暗ブレンド具合にも効果を発揮する。それが中盤になって、突然主人公が暗殺者に変貌することで「ええええ!!! どゆことー!!!!!!」とグイグイ観客を掴んで離さないストーリーテリング構成を見せてくれるところもニクイ(*5)。

 「Thirumalai(ティルマライ)」で恋人や恩人のために走り回る下町兄貴を主人公に描いていたラマナー監督は、本作では似たような快活な兄貴キャラでありつつ、ヒロイン側の復讐とは別に単身同じ目標への復讐に走る複雑な過去持つ兄貴として主人公を描いていき、ヒロインとの関係も場面ごとに変化していく姿が、ひと工夫ある映画として美しい。

 そのラマナー監督は、もともとはシリアス系映画制作を企画していた人だということだけども、脚本「Karkaalam」を方々に売り込みに行って、96年時点でプラカーシュ・ラージから出演許可をもらっていたというもののスポンサーが付かずに企画が頓挫。まず商業的成功をつかむ必要を感じて、2003年のタミル語マサーラー映画「Thirumalai」で監督&脚本デビューし、その大ヒットで注目されるようになる。
 しかし、その後の監督作(*6)の興行成績が伸び悩み、その他の企画も頓挫するなど不遇の時期を迎え、演技修行を課して役者へ転向。いくつかの端役出演を実現するも、11年に喉頭癌を患い映画出演を休止。13年に回復するも声帯を失ったと報じられている。その後、20年の「Varmaa(ヴァルマー・ヴァースデーヴァン)」にゲスト出演していて、さらなる出演予定作もあるとか。

 本作はテルグ語映画のリメイクということで、舞台となる街の治安の悪さが相変わらず限界突破した世紀末都市みたいなのは、そのせいなのか、マサーラー演出故の常道設定なのか。
 悪役R.D.X.に名優P・サイ・クマール、その弟ロバートにテルグ語映画界から出てきたスッバラージュが出演しているのも注目どころながら、物語的には「何がしたいのあんたら」と言いたくなるほどには、主人公に対して墓穴を掘って自体を悪化させてるような感じはする。その分、警察組織を味方につけて殺人や性暴行や土地接収を白昼堂々にやってお咎めなしな悪役側の憎たらしさも限界突破。その部下たちが、スパイのごとく街中で普通の顔して標的の近くで暮らしてるのも恐ろしや。
 それをふんじばるヴィジャイの踊るようなアクションは相変わらずだし、結構派手な映像になってるのも面白いけど、この映画もチェイスシーンなんかはジャッキー・チェン映画の影響を感じるなあ…ってカット割りもよくあって、そちらの影響の流れも興味深い。コメディ担当のバレット役のヴィヴェークと共に、主人公アーディのラジニ映画パロディもよく出てくるあたりも、娯楽映画としての周到なネタ振りを見るよう。

 当初の物語の展開はわりとゆっくりしてる進行で、台詞中心の話芸コメディに乗せて次のシーンへの経過描写を詳細に描く映画なんだけど、主人公が攻勢に出る中盤から急にアクションサスペンスへとシフトし、物語進行もかなりスピーディー。前半の仲良し家族ドラマはどこ行ったんだ、って主人公の隠された過去の壮絶さと、ヒロインと共に並行して進行する復讐劇、それに対してとにかくしつこく抵抗する悪役側の徹底した極悪ぶりがドンドンと感情的起伏を増幅させてくれる。
 主人公の過去が明らかになるにつれ、ただの恋人候補だったヒロインとの関係性もその都度様々な色合いを見せるのも、他のマサーラー映画と似ているようであまり見たことない効果を発揮する。その裏に渦巻く、過去の平穏な家族たちの思い出とその記憶がつまった空間に重なる、ノスタルジーと過ぎ去った家族愛への哀愁が、復讐劇をより印象的に盛り上げるのが美しや。

 それにつけても、主役2人の表情の多彩さがやたら可愛い映画でもありますことよ。



挿入歌 Lealakku Lealakku





「Aathi」を一言で斬る!
・ラストバトル直前、アンジャリの寺院祈祷の時に司祭に奉納された「rice balls」、見た目的に胡麻おにぎりとか紫蘇おにぎりっぽく見えたんだけど、実際にはお米と何が混ざったおにぎり(?)なのー!?

2025.7.11.

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*1 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*2 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*3 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*4 南インド ケーララ州とラクシャディープ連邦直轄領の公用語。
*5 マサーラー映画の常道展開って感じもあるけれど。
*6 04年の「Sullan(スラン)」と06年の本作。