Acharya 2022年 154分(152分とも)
主演 チランジーヴィー & ラーム・チャラン
監督/脚本 コラターラ・シヴァ
"俺の名はアチャーリア……お前らに、人生のなんたるかを導くために来た"
約800年前…大河流れる大森林シッダヴァナムには、平和な村があった。
いつしかこの森林に苦行僧たちが集まる聖地になり、住民は苦行僧から様々な知識を伝授されて発展していくが、そこに襲来した悪魔たちが森で殺戮を開始してしまう。そこで苦行僧たちは、自らが崇める女神ガッタンマの顕現によって悪魔を一掃するが、村人たちはその女神の力に恐怖したと言う。そこで女神は日食によって恐怖を覆い隠し、村を見下ろす丘の上にその祝福を与えた。以来、村人は丘の上に神殿を建て、女神の加護によって村が平和に発展していく事を祈るようになったのだった。
その村は、いつしかパダガッタムと呼ばれるようになり、その対岸に建設された都市ダルマスターリと共に長く繁栄を続けている…。
そして現在。
ダルマスターリは、腐敗が蔓延し無数の犯罪が跋扈する街になっていた。街を牛耳る市議会委員バサヴァ一党は、街の祭祀をパダガッタムの人々から奪い取り、彼らを逮捕しようとする警察を人知れず殺して川に流し、恐怖で街を支配する。一方で、対岸のパダガッタムの人々は古来よりの伝統を重んじ、ヴェーダの知識によって細々とながら穏やかな生活を続けていた。
そんなある日、大工のアチャーリアがダルマスターリにやって来る。彼はかつての弟子の家に居候しながらダルマスターリの様子を観察し続けていくが、恐怖によってバラモン僧を足蹴にし、女たちを食い物にし、パダガッタムの人々をすら排除しようとするバサヴァの部下バルーたちを一夜のうちに一網打尽にして「…これが、罪の結果だ。母の怒りと知れ」と宣言する!!
同じ頃、シッダヴァナム森の鉱山採掘権を狙う実業家ラトホードは、スポンサーたちを前に「君の部下たちは、以前にアチャーリアに簡単に全滅させられたではないか」と一笑に付され、アチャーリアへの怒りを爆発させていた……。
挿入歌 Laahe Laahe
*メイン度踊ってるのは、ゲスト出演の女優兼ダンサー兼TV司会者サンギータ・クリシュ。
タイトルは、主人公の名前ながらその語義は「指導者」「教師」「教祖」。
ダイアログライター出身のヒットメーカー コラターラ・シヴァの5本目の監督作となる、テルグ語(*1)映画。
インドより1日早くアイルランドで、インドと同日公開でアラブ、フィンランド、フランス、英国、ルクセンブルク、シンガポールでも一般公開されているよう。日本では、2022年と2023年にIndoeigaJapan主催の自主上映で英語字幕版が上陸。
2010年代に政界進出して芸能活動を停止していたテルグのメガスター(*2) チランジーヴィーが、復帰後にガッツリと息子ラーム・チャランと主演同士で出演する父子大暴れマサーラー大作!
今まで、どちらかの主演映画にゲスト出演という形での共演はあったものの、2人して主人公同士で登場する映画は初、って事で話題を呼んだ映画なんだけども……過去のコラターラ・シヴァ監督作と共通するテーマ先行な作り方、そこにプラスしての父子共演が優先されすぎているせいか、あるいは撮影期間がガッツリとコロナ禍によるパンデミックと重なってしまった余波か、マサーラー映画のお約束を踏襲するにとどまる物語は、各決めカットは相変わらずインパクト大の格好良さを見せつけてくれるにも関わらず、なんともこんがらがった印象を受けるに煮え切らない演出が目立つものになっている感じ。
架空の劇中舞台は、宗教的中心地であるパダガッタムと、その対岸にある真逆の悪徳の街ダルマスターリと言う構図の中で、「ダルマ(*3)」と「アダルマ(*4)」の対立と混交、その克服を描いていく物語は、色々ぶっ飛んだ絵作りはしているけれど終始説明的な空気をはらんでいる。
悪徳に染まる2つの街、大工ヒーローの活躍、というモチーフにキリスト教的モチーフも感じないではなかったけれど、お話の中心には常に「ダルマ」への問いかけが据え置かれていて、主人公のインド的正義を説明するためのインド的思想が前面に出て来ている映画になっている。
前半は悪徳に立ち向かうチランジーヴィー演じるアチャーリアの「指導」をヒロイックに描いていき、後半は回想シーンとして過去にアチャーリアに大きな影響を与えたゲリラヒーローとしてラーム・チャラン演じるシッダの活躍が描かれていくダブルヒーロー体制で、正義側もまた多重な姿で描かれていくのも興味深いながら、なんといっても注目どころは、実際の父子である2人の共演に際して「意志を継ぐ者」としてのヒーロー像が、シッダの父親→シッダ→アチャーリアと、演じてる役者の若い方から年上の方へと受け継がれていく楽屋落ち的な逆転構図でございましょうか。特に、今までゲスト出演の父親から何かを継承する構図が多かったラーム・チャランが「受け継がせる側」に回っている姿、その遠くを見つめるが如くの主人公を見つめる師匠ポジションの表情芝居の貫禄は父親も満足な演技力だったんでなかろか。うん。
その分、ソヌー・スードなどが演じる悪役や、プージャー・ヘーグデー演じるヒロイン(*5)は出番もインパクトも減らされた感じで、テーマを描くと同時に父子共演ネタを盛り上げる事ばかりに重点が置かれている映画にもなってしまっている感じではある。
映画冒頭に描かれる、パダガッタム設立経緯譚のファンタジックな絵面から映画本編もファンタジックな絵作りになるのかな、と思ったけど、本編の世界観は完全にいつものマサーラー世界そのもので、2つの街の思想的中心をなす女神の存在は、「母の怒りと知れ」と語る主人公の憎悪を強調するモチーフにしかならんかったですね。まあ、伝説内における地母神の恐ろしさを一瞬だけでも映像化して見せてくれる所で「ああ、そう言う風に描くのネ」って感心してる自分もいるんだけども。
まあ、お話がどうでも、しっかりマサーラーヒーローとしての貫禄を見せつけるチラン兄貴が今後もまだまだ目がスタートして君臨してくれそうで、その表情芝居の多彩さ、愛嬌芝居の豊富さの健在ぷりを見せてくれるだけでこちとら大満足でございますよ。ややダンスが簡単になってないかとか疑ってしまうのは、こちら側が勝手に期待してるハードルが高い故ですかねえ。もっともっと、大人の余裕を見せるチラン兄貴の姿を我は所望するでありんすー!!
挿入歌 Bhale Bhale Banjara
「Acharya」を一言で斬る!
・チラン兄貴とラーム坊、流し目にやられたいのは…どっち!?
2025.7.18.
戻る
|