インド映画夜話

Aman 1967年 154分
主演 ラージェンドラ・クマール & サーイラー・バーノー
監督/製作/脚本 モーハン・クマール
"それは、1945年8月6日の朝午前8時過ぎ。日本の広島で起こった事…"


挿入歌 Mera Watan Japan Kitna Hansi Hai (日本は故郷。それは、麗しの故国)

*愛する〜愛する〜♪
 この時代から、奈良(かな?)の鹿はインド人に有名、だったのやろか…。


 時に、1942年のラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)。
 第二次世界大戦の最中、多くの人々が爆撃によって焼け出され、希望も家財一式も失っていった。なぜ人は、争い続けるのであろうか…。

 この戦争で母を失ったガウタム(本名ガウタムダース)は、長じて英国で学び医師となっていた。彼は、戦争の惨禍から人々を救うことを信条として、尊敬する学者バートランド・ラッセルの応援を受け、父の反対を押しのけて原爆の被害者救済のために日本へ旅立つ決意をする。

 東京に到着したガウタムは、すぐに被曝治療専門の病院で働き始めるが、被曝の実態は彼の想像以上にひどいものだった。それでも治療策を模索するガウタムは、院長の娘で広島の原爆で母を亡くした日本人女性メローダから広島の惨状を学びつつ仲良くなり、被曝治療の特効薬開発に着手するものの、その日、病院の患者の一人が部屋を抜け出して自殺してしまう騒ぎを目の当たりにしてしまう…。


挿入歌 Apne Piya Ki Prem Pujarin Karke Baithi Singaar (私は愛する人に帰依します。私は我が身を飾るのです [今日、愛するその人が会いに来てくれたのだから])

*"日本人の"ヒロインが、インド人の主人公を讃えるために歌う完璧なインド式のインド音楽の図。
 後ろの肖像画は、日本でも有名なノーベル文学賞作家のタゴール。


 タイトルは、ヒンディー語(*1)で「平和」。

 原爆被害をテーマにした反戦・反核ヒンディー語映画。
 イギリスと日本ロケを敢行し、イギリス人哲学者兼数学者のノーベル文学賞受賞者バートランド・ラッセルが本人役で出演している(*2)事でも話題に(*3)。

 広島の原爆投下から22年後のインドで、ここまで原爆の恐怖を真正面から描いていく映画が作られている事に、まずビックリ。
 他のインド映画では、わりと簡単に「ショックなこと」の例えで広島・長崎の名前が使われるのを見て来ただけに、ちゃんと原爆記念館ロケを重要なシーンとして劇中に登場させ、被曝の恐ろしさを事細かに語ってみせる映画があると言うだけで、製作者側の原爆とその惨禍に対する関心度合いが見えるようで素晴らしい。
 まあでもこの後、インドが核保有国となることを知ってる身で本作を見ていると、それはそれで色々考えてしまいますけども…。

 とはいえ、映画としてはテーマが勝ちすぎてる感も拭えず。
 大規模な日本ロケ映画でありながら、主要登場人物は全部インド人とインド人が扮した日本人キャラの室内劇で、日本側の協力がそこまで見えてこないし、悲劇性を高めるためのムリヤリな恋愛劇や友情劇が浮いてしまってるように見えるのは、まあいつも通りとしておいたほうがいいかなあ…。ヒロインの故郷が、60年代になっても廃墟同然の荒野(*4)ってのは、サーイラー演じる"メローダ"なる名前の日本人キャラ同様「ちょっと待てこら!」って感じぃ。

 本作の監督を務めたモーハン・クマールは、1934年英領インドのパンジャーブ州シアールコート(*5)生まれ。
 印パ分離独立闘争の渦中にボンベイ(現ムンバイ)に移り住んだ後、本作と同じラージェンドラ・クマール主演の61年公開作「Aas Ka Panchhi」で監督&脚本デビューして、フィルムフェア原案賞ノミネートする。64年の監督作「Aap Ki Parchhaiyan(君の影)」でプロデューサーデビュー。本作は5本目の監督作となる。監督・プロデュース作の多くが「A」から始まるタイトルなのは、験担ぎ…なのでしょか?
 95年の脚本&プロデュース作「Aazmayish」を最後に映画界から退き、2017年にムンバイにて物故されている。享年83歳。

 本作主人公ガウタムを演じるのは、1929年英領インドのパンジャーブ州シアールコートのパンジャーブ人家庭に生まれたラージェンドラ・クマール(・トゥリ)。
 祖父は軍需産業で、父親は繊維業で財を成していたものの、印パ分離独立闘争のなかで家財すべてを捨ててボンベイへ移住。その後、映画界の扉を叩いて助監督として働き始め、数作のノンクレジット出演を経て50年の「Jogan」で正式に映画俳優デビュー。55年の「Vachan」で主演デビューし、数々の大ヒット作に出演することで60年代を代表する大スターとなっていく。
 63年の主演作「Mere Mehboob(愛しの人)」では歌手デビューも果たし、69年には国からパドマ・シュリー(*6)を贈られ、平和評議員の名誉執行役に選出されてもいる。70年の「The Train」でプロデューサー補に、81年には「Love Story」で監督&プロデューサーデビューする(*7)。
 57年公開作「Mother India(マザー・インディア)」に出演していたのをきっかけに、この映画で主演していたスニール・ダットとナルギス夫妻と公私ともに仲良くなり、ダット家が様々な困難に直面している時に色々と協力を買って出て夫妻を助けたという。その縁なのか、後にダット夫婦の娘ナムラターと、ラージェンドラ・クマールの息子クマール・ガウラヴとが結婚している。
 1999年、70歳の誕生日の8日前に、ガンのために物故される。

 ヒロインのメローダを演じたのは、1944年英領インドの連合州マスーリー(現ウッタラーカンド州所属)に生まれたサーイラー・バーノー。女優ナーセム・バーノーを母親に持つ。
 幼少期をロンドンで過ごし、ヒンディー語映画出演のために古典舞踊を特訓して映画界入り。ダンサーから61年公開作「Junglee(無作法なヤツ)」で主演デビューして、フィルムフェア主演女優賞ノミネートする。その後、60〜70年代のトップ女優として活躍。66年に男優ディリップ・クマールと結婚している。

 冒頭の、ミニチュアによるラングーン爆撃シーンを見て、「ああ、ミニチュアと丸わかりの映像だなあ」とか思ってたら、東京ロケの空撮映像で見せられる当時の東京の様子がミニチュアっぽくて「実は、そっちの方がリアルなのか!」って感じもしなくもなくも…ムゥ。
 登場する日本人キャラが全員流暢にヒンディー語で会話するのは、まあそういう映画世界なんだろうってことで納得するにしても、インドでのセット撮影と思われる室内劇に見えるオリエンタル・ジャパン様式(*8)に、インド側から見た日本との距離を見るようですわ。
 ああ、それにしても第五福竜丸被曝事件をヒントにしたような「東京から北西200マイルにある島、ヤシマの近くで核爆発が起こった」ってラストの展開は、一体どこの誰がそんな事故を起こしたんじゃー!(*9)

 日本ネタに関しては色々とツッコもうと思えば際限なく出てきちゃうとはいえ、この映画の最も重要な所は、原爆のその瞬間的殺傷力だけでなく放射能による被曝の実態を声高に世間にアピールしている所。
 その非人道的な現実の恐怖を、しっかりと物語の中で余すところなく語り、その恐怖が今なお続いていることを見せつける映画が、インドから出てきていたと言うのは知っといて損はないどころか、是非とも知っとくべきことですよ!

挿入歌 Barbaad Hiroshima Ki Tasveer Dekh Lo (広島の惨状を写す写真を見よ)



「Aman」を一言で斬る!
・ガウタム、という名前を聞いて『素晴らしい! 仏陀の名前ですね』と即反応できる日本人は何人いるやろか…(ゴータマ、と言われれば詳しい人はまあ…)。

2019.5.4.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 当時95歳だったそうで…。
*3 さらに、後の名優ナセールッディーン・シャーがノンクレジットながら本作で映画デビューしている。
*4 明らかに屋内セットと丸わかり!
*5 現パキスタンのパンジャーブ州シアールコート。
*6 一般国民に与えられる、4番目に権威ある国家栄典。
*7 監督作はこれ1本のみながら、以降、プロデューサー兼役者として活躍した。
*8 障子型の壁、テキトーの漢字&カナ、過剰な装飾、カリカチュア的中国人使用人風の助手、所々で強調される仏教要素。
*9 ていうか、どこだその島ー!!