インド映画夜話

女盗賊プーラン (Bandit Queen) 1994年 119分
主演 シーマ・ビシュワース
監督/カメオ出演 シェーカル・カプール
"復讐こそが、彼女の答え"




 これは、実話であるー

 1968年の夏。
 マッラーカースト生まれの11才のプーランは、同じカーストのプッティラールという青年と結婚させられて村を出て行くこととなった。
 婚家の村でのタークルカーストの人々からの階級差別・女性やよそ者への冷遇・望まない夫との夜の営みに嫌気がさしたプーランは、すぐに村を出て別の村に居着くが、そこも安住の地ではなく方々に移り住んでいたものの、警察に逮捕されるや尋問と称した拷問や強姦にあい、領主の元へと売られて行ってしまう。この顛末を見ていたはずの父親も、彼女を助けるどころか男たちの言いなりになれと命令するばかり…。

 1979年5月。
 実家に連れ戻されていたプーランは、強盗団率いるバーブ・グジャールに強奪されてそのままグジャールの慰み者にされていく。これに怒る部下のヴィクラム・マッラーはグジャールを殺して強盗団を乗っ取り、同じカースト出身のプーランを武装兵の一員に迎え入れるのだった。やがて、周囲でも恐れられる盗賊団の長として有名になる2人だったが、ある日、ヴィクラムが突如狙撃されて…!!




 インドにおける差別と貧困によって、盗賊団の慰みものから「盗賊の女王」としてのし上がり、のちに政治家に転身した実在の人物プーラン・デーヴィー(1963生〜2001没)の半生を映画化した、ヒンディー語(*1)映画。
 彼女の人生を取材した小説「インド盗賊の女王プーラン・デーヴィーの真実(India's Bandit Queen: The True Story of Phoolan Devi)」の著者マーラ・セーンが脚本を担当している。
 1950年の同名ハリウッド西部劇とは別物。日本では、1997年に一般公開。2023年にJAIHOにて配信。

 公開に際して、プーラン・デーヴィー本人から映画が事実に基づいていないと訴えられ、その内容の過激さもあって一時政府命令で上映禁止措置が取られていたが、最終的には一般公開が許可されている。

 既得権益も絡んだ階級差別、当然のように行われる児童婚や女性蔑視、もみ消され無視され当然のことと処理される性暴力、暴力のみでしかコミュニケーションできない人々、貧困から来る人権無視……。解決の道筋すら見えないインドの凄まじい現実を叩きつけてくる実在の人物プーラン・デーヴィーの半生を描く衝撃作。
 北インドのウッタル・プラデーシュ州辺境部を舞台として、教育も行き届かず、少ない生活物資を取り合い、家族や近所の人々と威嚇し合いながらでないと会話が成り立たない過酷な生活環境にいる人々の、他人(家族・血縁関係も含む)を搾取し利用し侮辱し続ける人生の、修羅に満ちた現実のなんと厳しい姿か。立場が弱いとみなされる女性や子供に向けられる、容赦ない暴力・侮蔑・性暴行、そのあまりにも悲惨な状況に対する圧倒的な無関心が、救いのない世の中にあってどこまでも主人公プーランを痛めつけ、絶望させていく。こんな現実が、現在もどこかで存在しているだろう現実の重みそのものが、映画を見終わってなおどこまでもついて回る重しを突きつけてくる。

 監督を務めたシェーカル・カプールは、1945年英領インドのパンジャーブ州ラホール(*2)生まれ。
 父親は開業医で、母親は映画一族アーナンド家出身のシェール・カンタ・カプール。妹に女優兼舞台演出家兼記者兼司会者のソハイラー・カプールがいて、伯父に映画監督兼男優兼プロデューサーのチェータン・アーナンド、デーヴ・アーナンド、ヴィジャイ・アーナンド兄弟、姉妹の結婚相手となる義兄(義弟?)に男優ナヴィーン・ニスチョーリー(姉[妹?]ネールーと結婚するものちに離婚)、男優パーリクシット・サーヒニー(姉[妹?]アルナの夫)がいる。99年に女優兼歌手のスチトラ・クリシュナモールティと結婚(*3)して1女を設けているものの、両者は07年に離婚している。
 印パ分離独立闘争時に命からがらデリーへと逃げ延び(*4)、経済学を修了。両親の勧めから22歳でICAEW(Institute of Chartered Accountants in England & Wales = イングランド及びウェールズ勅許会計士)となって働き始め、1970年に英国移住して会計士兼経営コンサルタントを勤める。
 一方で、74年に伯父デーヴ・アーナンドが監督&プロデューサー&主演を務めるヒンディー語映画「Ishq Ishq Ishq(愛、愛、愛)」に出演して映画&男優デビューしてから、ヒンディー語の映画&TVで活躍。83年の「Masoom(無垢)」で監督デビューして、フィルムフェア批評家選出作品賞を獲得。98年に「ディル・セ(Dil Se..)」で製作総指揮を担当して以降、監督兼男優兼プロデューサーとして映画・TV・舞台演劇で活躍していく。3本目の監督作(*5)となる本作でナショナル・フィルム・アワード ヒンディー語注目作品賞を獲得して国際的にも名声を高め、98年には「エリザベス(Elizabeth)」でイギリス映画監督デビュー。英国アカデミー英国作品賞他の映画賞を獲得する。以後も、ドキュメンタリーや短編映画、オムニバス映画などでも活躍しつつ映画・TV・舞台演劇で活躍中。13年のヒンディー語版・タミル語(*6)版同時公開作「Vishwaroopam(偉大なる化身)」でタミル語映画界に主役級デビューもしている。
 この他、自身で"Liquid Comics""Virgin Animation"という会社を立ち上げ、自分の企画として漫画やアニメ製作まで行っているよう。

 映画冒頭、川遊びに興じるプーランが、子供であることを否定され、同じ村人でいる権利を否定され、無理矢理押し倒そうとしてきた男に抵抗しただけで「男好きな女」呼ばわりされて村を追放される厳しさ、女性であること・村の外からきたよそ者であることで生きる場所を確保すらできなくなり、警察も親もが彼女を慰み者か奴隷としか見ない社会が、現代インドに普通に存在し続けている恐怖たるや、もう…。
 銃で武装したダコイト(強盗団)の頭に目をつけられてからは、もう「力こそ正義」どころか「力だけが正義」の世の中で力を誇示していかないと生きていけない修羅の世界そのものを生き抜いていくプーランの人生の「悲惨」「不幸」なんて言葉では片付けられないこの世の地獄のえげつなさがなんとも…。圧倒されすぎて、ただただ実話だというインドの現実に二の句を告げませんわ…。
 警察も親も村人全員も、欲望に従う強盗団の荒くれ者以上に信用できないし、さらに強盗団の頭としてようやく安心を手に入れかけたプーランの失墜、ここぞとばかりに彼女への復讐なのかなんなのか徹底的に侮辱しようと襲い掛かる男たちの外道そのものの仕打ち。役者たちもよくもそこまで、といった迫真の演技を見せていて、なにか後々に響くトラウマでも植えつけられてないか心配になるほどですわ。
 なぜに人は、自分の上の人には服従するくせに、自分より下に人をおきたがり、自分が上だという確信を持つほどに他人を侮辱し徹底的に虐待したがるのか(*7)。それを止める手段は「教育の充実」「生活の安定」と言う長い準備期間をかける以外の即効性のある解決策を、人は見出すことがなぜできないのか。貧困はそれだけで人を修羅にさせてしまうと言う現実を前に、品性やら尊厳やら言葉による話し合いなどがどれほどの意味を持つというのか…。

 映画は、プーランの身に起きたあまりにも理不尽であり理性なるものが蹂躙されていく現実を叩きつけながら、ラストにそれでもプーランが理性による抵抗へと歩み出す「政治」の世界に踏み出していく様をやや唐突気味に描き出す。
 「政治」にプーランが何を見出し何を希望押したのかは、それまでの修羅の世界の描写の連続からなんとなく窺い知れないことはないにしろ、あの惨状を体験しているプーランがそれでも現状を変えるために民衆やお偉方に対して「語り始めた」という事実は、その事実だけで大きな衝撃でもありましょうか。人が人たらんとする「理性」を持とうと思うのなら…。




受賞歴
1995 National Film Awards ヒンディー語映画注目作品賞・主演女優賞(シーマ・ビシュワース)・衣裳デザイン賞(ドリー・アールワーリア)
1995 Filmfare Awards 批評家選出作品賞
1997 Filmfare Awards 監督賞・撮影賞(アショク・メヘター)


「女盗賊プーラン」を一言で斬る!
・やっぱ、原作も読まないとなあ…とは思うけど、より過酷な内容なんじゃなかろかとビビる自分がいる…。

2023.9.22.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*2 現パキスタンのパンジャーブ州ラホール。
*3 その前にインド首相の娘メダー・グジュラールと結婚・離婚している。
*4 母親が子供たちに覆いかぶさって、死体のフリをして虐殺を逃れたんだとか。
*5 間に途中降板した監督作1本あり。
*6 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*7 触れるだけで「汚れる」とかいうくせに!