インド映画夜話

Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero (チャンドラ・ボース 忘れられた英雄) 2004年 222分
主演 サチン・ケーデーカル
監督 シャーム・ベネガル
"デリーへ! デリーへ進撃せよ!! インドの自由のために!!"






第一部 信頼
 1939年のトリプリ代表会議にて、独立運動家の旗手スバース・チャンドラ・ボースは、勃発する第2次世界大戦こそインド独立の好機と見て、反英諸国による英国への武装蜂起を提案し師弟関係のマハトマ・ガンディーと袂を分った。ついには、カルカッタの英領インド政府によって治安妨害罪で収監されるが、1940年12月、仮釈放中のボースは、共産革命で共闘できると踏んだソ連を目指して、国内外のインド人たちの協力のもと密かに旅立っていく…。

第二部 団結
 1941年4月2日。紆余曲折の末、直接のソ連入国を断念したボースは、カーブルの駐伊大使の助力によって一旦電信技師オーランド・マツォータ伯爵の名でドイツ入国を果たす。
 かつて、ウィーンでボースの秘書をしていたオーストリア人女性エミリエ・シェンクル(通称ミミィ)とも再会し(後に結婚)、北アフリカ戦線で捕虜になっていたインド兵を集めて自由インド軍団を設立。ドイツ外相との会談も実現するが、ナチス・ドイツは英領インドへの進攻を拒否。さらにはボースが最も頼りにしていたソ連との戦端を開いて彼の計画を白紙に戻してしまう。
 しかし、12月に勃発した真珠湾攻撃によって日本がアメリカ太平洋艦隊を打倒すると、ボースはインド独立に寄与するのは独ソではなく日本であるとの思いを強くし、インドへの助力を強硬に拒むドイツから日本へ向かうよう提案される…。

第三部 殉死
 1943年。ボースは、大日本帝国の協力のもと英国を駆逐したビルマのラングーン(現ヤンゴン)にいた。ここで、シンガポールで設立した自由インド仮政府のもとインド国民軍(INA)の指揮を執り、翌1944年、ついに英国からのインド解放を目的に、日本と共闘しての連合軍(特にイギリス軍)打破とインド進攻のための作戦…かの有名なインパール作戦は実行される…!!


挿入歌 Hum Dilli Dilli Jayenge (デリーへ進撃せよ)

*ボースの有名な「チャロ・デリー!!(デリーへ進攻せよ)」の演説シーン。本編の3部各タイトルもこの演説内容からの引用。
 …と言う話は置いといて、このシーンのボースの後ろにシャー・アワーズ・カーン大佐役のソヌー・スードが出演してるんですよ!(動画シーンでは分かりづらいけど)



 タイトルは「指導者スバース・チャンドラ・ボース:忘れられた英雄」。一般的に「Bose: The Forgotten Hero」のタイトルで知られている…みたい?
 第二次世界大戦中のインド独立運動家にして、インド国民会議派議長や自由インド仮政府国家主席、インド国民軍最高司令官に就任した歴史上のベンガル人、"ネータージー(指導者の意)"とも呼ばれるチャンドラ・ボースの最期の5年間を描く、ヒンディー語(*1)+ウルドゥー語(*2)+英語映画。
 インド独立の闘士として、ガンディーやネルーをもしのぐ人気を誇る国民的英雄の、苦難の連続の独立闘争の姿を、忠実になぞる一大叙事詩である。

 おそらく、インド独立闘士の中でも最大規模のスケールで活動した人物であるスバース・チャンドラ・ボース(*3)。彼は、北インドからアフガニスタン、ドイツ、イタリア、日本、シンガポール、ビルマ、台湾と、独立運動のためにユーラシア大陸を東奔西走し、ガンディー、ヒットラー、東條英機と言った時代を動かす指導者たちとも渡り合って行った。その軌跡を再現するため、3部作3時間40分以上にも渡る大作として作られた本作は、ドイツとミャンマーロケを敢行。惜しむらくは日本ロケはされずに日本のシーンはほんの一瞬室内のシーンで終わってしまうものの、そこに登場する日本人たちはきれいな日本語発音の英語(?)をしゃべってくれていて「おお!」とか驚いてしまいまする。

 映画全編、いわゆる歌って踊ってのインドの娯楽映画の手法は廃され(*4)、感情表現は常に抑えめに、絵画的な画作りが心がけられていて、密度の濃い映像と芝居は英印合作映画「ガンジー」や、英国映画界の巨匠デヴィッド・リーンの「アラビアのロレンス」に対抗しようとしているかのよう。もちろん、そうした史劇芸術映画文法の中にもしっかり愛国心を奮わすインド独自の作劇文法は組み込まれており、「ガンジー」をイギリス映画として作られた事へのインド側の返答めいた意味もあるんなんじゃなかろか…とか余計な事を憶測しつつ見入ってしまいました。
 物語上の舞台は、第1部がカルカッタ〜ペシャワール〜カーブルの南アジア。第2部がほぼドイツのみで、終盤に日本〜シンガポール。第3部がラングーン〜インパールへのジャングルと明確に別れている。第1部は勇壮な自然(*5)と南アジアから中東にかけての各部族たちの生活様式の多様性を描き出し、第2部は本格的ドイツロケによるドイツ戦争映画さながら、第3部はミャンマーロケによるジャングル内での戦闘シーンがメインとなる、風景や小道具大道具の多種多様さが素晴らしい(*6)。

 この大作のメガホンをとったのが、1934年英領インドのハイデラバード州(現テランガーナー州)トリマルゲリー生まれの映画監督兼脚本家にしてインド映画協会連合総裁(15年現在)と言う、インド映画界の巨匠シャーム・ベネガル。
 父親はカメラマンのスリンダル・B・ベネガル。遠縁に同じくインド映画界の巨匠グル・ダットがいる(*7)。
 12才の時に父から与えられたカメラで映画を作り始め、大学時代にハイデラバード映画協会を設立。大学卒業後、ボンベイ(現ムンバイ)の広告代理店でコピーライターとして働き始め、62年にショートドキュメンタリー「Gher Betha Ganga(ガンジスの玄関へ)」で正式に映画デビュー。その後も数々のドキュメンタリーを発表し、66年と73年にはプネーのFTII(*8)議長にも就任している。
 74年に、初の長編劇映画となるダッキニー語(*9)映画「Ankur(苗木)」を監督してナショナル・フィルム・アワードの次席作品賞を受賞し、ベルリン国際映画祭で金熊賞ノミネート。一方、ユニセフ後援のもと子供用の教育番組モデルSITE(*10)の設立に参加。その一環で75年に「Charandas Chor(盗賊チャランダス)」を監督している。
 その後、75年のヒンディー語映画「Nishant(夜明け)」、76年の「Manthan(不正契約)」、77年の「Bhumika(役者)」など、次々と監督作が映画賞を獲得。世界的にも注目され、70〜80年代初頭のインド映画新潮流の旗手となっていく。彼の監督作の中から、シャバーナー・アーズミーやナセールッディン・シャー、オーム・プリーと言った後の名優たちが排出されていき、76年には国からパドマ・シュリー賞(*11)が授与されている。
 様々な映画人たちが資金難に落ち入って行く80年代にあって、NFDC(*12)や民間スポンサーの援助によって映像製作を継続し、82年の「Satyajit Ray, Filmmaker(映画作家サタジット・レイ)」を始めドキュメンタリーや劇映画での伝記もの映画を多数発表。91年にはパドマ・ブーシャン賞(*13)も授与され、94年「Mammo(マンモー)」、96年「Sardari Begum(サルダリー・ベーガム)」、01年「Zubeidaa(ズベイダー)」のイスラム女性3部作を発表し大ヒットさせる。
 本作は、(15年現在で)彼の監督作の中では最後の大作伝記映画となる(*14)。

 スバーシュ・チャンドラ・ボースを演じたのは、ムンバイ出身の役者サチン・ケーデーカル。89年のヒンディー語映画「Main Azaad Hoon」の端役で映画デビューし、主にヒンディー語映画、マラーティー語映画、TV映画で活躍。本作でスクリーン・アワード主演男優賞を獲得した他、95〜98年のTVドラマ「Sailaab」、07年の「Kadachit」でも主演男優賞を受賞している。
 キャストの有名どころでは、ボースの義妹(?)イラー・ボース役にディヴィヤー・ダッタ。
 ボースを支援する在外インド人ラヌー役に、歌手イラー・アルン。
 実際にボースに協力してカーブルまで彼を送り届けた独立闘士バガット・ラーム・タルワール役に、名脇役俳優ラジパール・ヤーダヴ。
 やはり実在の人物で、インド国民軍で戦い抜いて英領インドによって裁かれながら、独立後は政界で活躍したシャー・ナワーズ・カーン役にソヌー・スード…と言った面々。
 シェーム監督の次回作「ようこそサッジャンプルへ」にも出演してる人なんかもチラホラ(*15)。

 劇中、歴史上の人物も次々登場。
 インド建国の父でありボースの師匠でもあるマハトマ・ガンディーには、「The Legend of Bhagat Singh」、TV映画「The Last Days of the Raj」、短編映画「Gandhi: The Silent Gun」でもガンディー役を演じているスレンドラ・ラージャン。
 ボースがカルカッタにいた時のインド駐留英国陸軍総指揮官クルード・オーキンレックを演じたのは、主にイギリスTVドラマで活躍する俳優ニコラス・チャグリン。
 ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒットラーには、ドイツにてTV映画「Stauffenberg」や「Edda」、「La rafle」、「Elser」でもヒットラー役を演じるドイツ人男優ウド・シェンク(*16)。
 ボースの妻となるエミリエ・シェンクル役には、主にTV映画やTVドラマで活躍するドイツ人女優アンナ・プリュステル。
 駐独日本大使の大島浩役には、ヨーロッパのTVドラマやTV映画で活躍する日本人(? 日系かも)俳優(*17)ゲン・サトウ。
 その他、ラース・ビハーリー・ボース(*18)とか、インド国民軍の実在の将兵たち、日本人では東條英機とかビルマ方面軍の軍人たちが多数登場するものの、キャスティングの詳細情報が出てこない…むぅ。

 日本人側から見ると、なにはともあれ劇中に出てくる日本人の扱いと、第2次世界大戦をインドから見るとこう見えるのか…って所が最大の見所になってしまうわけですが、あくまで「インド独立に協力してくれる外国勢力」としてドイツやビルマ、日本、イタリア、ソ連を天秤にかけるボースの度量と言うか構想の壮大さもスゴいけれども、インド人に対して非協力的なナチス・ドイツに対して、すぐにボースにインド独立闘争の参加を確約する日本って構図も「え?」って感じではある(*19)。
 ただ、インパール作戦の途中でいきなり「アメリカとの全面戦争になったから」と日本軍がインド人たちを置き去りにして退却したためにインド国民軍は敗れたのだ…みたいな展開されると「ちょっと待てや。日本もあそこで相当悲惨な目に遭ったんですけど」と言いたくはなる。あの作戦は、補給なし・地図なし・情報共有の手段なし・雨期のため悪路必至・さらにはビルマが再び英国と手を結んで日本と戦い始めたために、日本はインド国民軍と共に飢餓と殺戮の中で孤立して身動きとれなくなったはずじゃ…と、日本側視点で語る事はいくらでも出来るけど、まあ、戦争と言う極限状態は、見る視点によって様々に見え方が変わってしまうし、なにを持って好悪や善悪を語るかなんて、それこそ人の数だけ違った語り口があるでしょうしねえ…ああ、それにつけても戦争とは本当に悲惨。

 まあ、劇中ではミャンマーロケしたと言うインパールヘの進軍シーンの、整然としたジャングル(…て言うか林?)と言い、普通にコンクリで道が敷かれてる所といい、そんな楽な場所じゃなかったんでないかい?ってツッコミたくもなるけど、生のミャンマー体験のないワタスは黙っておこう…。
 とりあえず、インパール敗北後に日本に原爆が落とされた事にショックを受けたボースが、何日も部屋に閉じこもって祈りを捧げていたってシーンで「へえええ…」とそれまでの日本の扱いも気にならなく…ウーン…気にはなるか…(*20)。

 ベンガル人であるボース家やその周辺の人々、アフガニスタン人やパシュトーン人たちががヒンディー語を話してたり、ドイツ人や日本人が流暢な英語しゃべってる所は「まあ、ヒンディー語映画だからしょうがないわな」って感じだけど、なんで劇中の日本人たちは自分や他人の名前を言う時にかならず「〜San」をつけるのだろか。"Hello Bose-San. My name is Yuuri-San"って可笑しいでしょ絶対ぃぃぃぃ!!!w(*21)
 まあ、なにはともあれ、日本が関係するインド歴史の映画化ってだけで必見。うちの親みたいに「ヒットラーと東條英機が出てきて、それぞれの国の人が演じてるんだよ」って言っただけで「えー…」と白い目して見ないままなんて、もったいなさすぎデスよ!


挿入歌 Zikr ([平和と健康と癒しは] 主を [讃える者たちとともに])


受賞歴
2004 National Film Awards ナルギス・ダット(国家注目作品)賞・美術デザイン賞(サミール・チャンダ)


「BTFH」を一言で斬る!
・ベルリンの日本大使との会談で、ボースが"大島さん"とわりと的確な発音で呼びかけてたのに、英語字幕が"Oshi Masan"なんてイスラム名的なのは何事か!!(シンガポールの藤原[岩市?]少佐も、字幕では"Major Fujivor"になってるし)w

2015.8.21.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 パキスタンの国語で、ジャンムー・カシミール州の公用語。主にイスラム教徒の間で使われる言語。
*3 もしかしたら、知らないだけでもっと広範囲に活動してた人がいたかもしれないけど…。
*4 BGM的に歌は流れるけど。
*5 おそらくラダックロケ。
*6 ただ、第3部はそれ以外と比べると画面的に若干パワーダウンしてるような気がする…。
*7 父方の祖母が、グル・ダットの母方の祖母と姉妹なんだそうな。
*8 Film and Television Institute of India インド映画&テレビ研究所。
*9 アーンドラ・プラデーシュ州を中心に南インドで話されるウルドゥー語方言。
*10 Satellite Instructional Television Experiment 衛星教育テレビ実験。
*11 一般国民に与えられる4番目に権威ある賞。
*12 National Film Development Corporation 国立映画開発協会。
*13 一般国民に与えられる3番目に権威ある賞。
*14 その後は劇映画では、08年に「ようこそサッジャンプルへ(Welcome to Sajjanpur)」、10年「Poet of Politics」「Well Done Abba」を監督している。
*15 ディヴィヤーとイラーなんかも母子役で共演してるし。
*16 激高した演技では、英語台詞がドイツ語っぽく聞こえてくるからスゴい。
*17 短編映画の監督もやってるらしい。
*18 いわゆる中村屋ボース。
*19 日本入国後のボースも結構苦労してるはずなんだけど、その辺は長くなるためか、日本ロケしなかったためか、バッサリカットしている。
*20 ボースに限らず現在でも、インド国会は原爆の日には黙祷を捧げいるんだそうですが。
*21 Bose-Kakkaって言ってるシーンもある…。