インド映画夜話

復讐の街 (Badlapur) 2015年 145分
主演 ヴァルン・ダワン & ナワーズッディーン・シディッキー
監督/脚本 スリラーム・ラーガヴァン
"そして、復讐は始まった"






 プネーのいつもと変わらぬ昼。買い物中の母子は、突然逃亡中の銀行強盗に襲われて殺害される。
 2人組の犯人のうち、1人は逃亡。もう1人はすぐに逮捕されるものの、妻の死を見せられたラグー(本名ラーガヴ)を前にして、母子を殺した犯人リヤーク・タングレーカルは「オレはただ運転手として雇われただけ。殺したのはもう一人の方で、名前も居場所も知らない」と主張し続ける…。

 リヤークが20年の懲役刑を科されて後も、ラグーは納得できず復讐の機会を探っていた。
 ラグーの依頼でリヤークの身辺を探っていた探偵は、彼の母親と接触。そこから、リヤークが大金を手に入れて幼なじみの恋人である娼婦ジムリーを身請けしようとしていた事を知る。ジムリーから事の真相を聞き出そうとするラグーだったが、どんな手を尽くそうと彼女は何も知らない。放心状態ののラグーは、流れ着くままバドラプールへとやって来て15年もの歳月が流れる…。


プロモ映像 Badla Badla ([全ては] 変わった [復讐のために変わった。復讐そのものが我が神に])

*多少、痛いシーンあり注意。


 妻子を殺されてその復讐に生きる男と、その復讐を真っ向から受けて立つ男のクライム系バイオレンス(&ジェイルもの?)ヒンディー語(*1)映画。本作は、イタリアのノワール小説「Death's Dark Abyss」にインスパイアされている、と言う指摘も。
 日本では、2015年にIFFJ(インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン)にて監督来日の上で上映。

 タイトルにもあり、中盤から劇中の舞台となるバドラプールとは、マハラーシュトラ州ターネー県(*2)に実在する交易都市。「バドラ」は「復讐」の他「変化」「交換」「乗換」などの意で、多数の鉄道が行き交うハブ都市として「乗換の街」であるバドラプールを舞台に、復讐によって人生を狂わされた男たちの生き様を追う「復讐の街」に読み替えてのダブルミーニングタイトルである。

 映画冒頭、定点カメラに映し出されるプネーのとなる路上の日常風景が、突如強盗犯によって崩壊するドキュメンタリー風演出が秀逸。
 そこから必死の抵抗を試みる母子を手にかけながら、相棒を逃して自首した後に「オレが殺したんじゃない」とシレッと言い切るリヤークのしたたかさ、小賢しさ、とらえどころのなさが、当初は復讐されて当然の悪人にしか見えないのに、徐々に彼の小物っぷりがわかってきたり、ラグーの復讐によってリヤークの周りの人々が次々とその人生を破滅させられて行く過程で、「本当にラグーの復讐は正当なものなのか?」「リヤークは復讐に値する相手なのか」「そこまでやる意味があるのか」「そもそも復讐に意味があるのか」と言う価値の転倒を引き起こして行く。

 時が進むにつれて、復讐そのものを自分のアイデンティティにして、他人を攻撃してしか生きられなくなって行くラグー。自分の身の安全のために嘘を利用して人生を組み替えていくリヤーク。愛する人を殺されたからと言って、その犯人の関係者を殺して行くラグーにリヤークを責める事が出来るのかと言う問いかけが投げられていき、わりとバイオレンスな展開をして行く映画の中で、始めこそ同情的に見れていた主人公ラグーが復讐の鬼(=羅刹?)ヘと変貌して行く様は、ただ同情する事も出来なければただ批難する事も出来ない。
 人の心のもろさ、1つの感情に縛られ自重自縛になっていく人の儚さ、そこから脱却したいと願ってもアイデンティティに組み込まれたそれを消し去る事の出来ない人の不条理が、ラストヘの展開と、そこにかかるエンディングミュージカル"Jee Karda"に象徴されているよう(*3)。果たして、この映画で描かれる復讐を達成したのは、ラグーなのか、リヤークなのか。そもそも「バドラ」と言う単語が「復讐」と言う意味で最後まで続いているのか…。

 主役ラグー役のヴァルン・ダワンは、12年の「スチューデント・オブ・ザ・イヤー(Student of the Year)」の鮮烈デビュー以降、順調にキャリアを重ねる若手俳優。4本目の出演作となる本作にて、今までとは全く異なるシリアスな役を演じ切り新境地開拓となるか?
 同じく「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」でデビューした同期のシッダールト・マルホートラが「野獣一匹(Ek Villain)」で見せた復讐の鬼と化す元マフィアと言う役に対応するような今回の役所に、2人の対抗心を見る思い?(しなくてもいい深読み)

 もう一方の主人公リヤークを演じたのは、日本でも注目されている名優ナワーズッディーン・シディッキー(生誕名ナンベールダール・ナワーズッディーン・シディッキー)。
 1974年ウッタル・プラデーシュ州ムザッファルナーガル県ブダーナーのイスラム系ザミンダール(荘園領主)の家の長男に生まれ、ハリドワールの学校で理学士学位を取得。グジャラート州ヴァドーダラーで1年間化学研究者として働いた後、デリーで新しい仕事を探す中で役者に興味を持ちNSD(国立演劇学校)に入学。
 99年公開のアーミル・カーン主演ヒンディー語映画「Sarfarosh(熱情)」の端役で映画デビュー。03年のラージクマール・ヒラーニー初監督作「Munna Bhai M.B.B.S.(ムンナー兄貴と医療免許)」などに出演しながら、04年の学校卒業後すぐムンバイに移住。しかし、数年間は仕事にありつけず共同部屋での極貧生活を強いられたそうな。
 その後、ボリウッドの新風アヌラーグ・カシャプ監督作「Black Friday(黒い金曜日)」に出演して頭角を現し、「New York(ニューヨーク)」「Dev.D(デーヴ・D)」「Peepli Live(ピープリー村から生中継)」などで名脇役として地位を固めて、12年公開作「Patang(闘凧)」で初主役を演じ、映画祭を通して世界中に賞賛されて行く。今や、日本でも好評を博した「めぐり逢わせのお弁当(The Lunchbox)」や「女神は二度微笑む(Kahaani)」他で多数の映画賞を獲得している実力派俳優である。
 本作でも、監督曰く「脚本段階で、キャスティングの事までは考えていなかったけれど、リヤークだけはナワーズッディーンをイメージして書いた」と言わしめるほどの注目株!!

 新人ヒーロー ヴァルン・ダワンの周りに実力派俳優を配置しての壮絶な復讐譚は、その不条理具合によって「復讐」そのものに疑問を投げかける。ラスト、突然始まるミュージカルでもヴァルンが不敵なナワーズッディーンと対峙してるシークエンスを見せつけられる事で、その華やかな映像の乱舞にすら不条理から来る虚しさが現れてくる。その演出術たるや、トンデモナイですわ。
 これまた名優ディヴィヤー・ダッタ演じるショーバーのNGO活動の様子や、彼女もまた復讐に利用されていく過程なんかは、死刑制度をめぐる疑問を描いた「デッドマン・ウォーキング」に通じる問いかけが投げかける。ある意味では復讐の解決法を描いているのか…とも思えるけども、それもまた100%納得出来るかって言うと、ウーム…。


ED Jee Karda (今日、死のう)

*ある意味でネタバレ注意。
 監督自身が「プロモ用にしかたなく作った」と言っていたシーン。




受賞歴
2015 BIG Star Entertainment Awards スリラー映画主演男優賞(ヴァルン)・スリラー映画賞
2016 Zee Cine Awards 悪役賞(ナワーズッディーン)




「復讐の街」を一言で斬る!
・実際の刑務所でロケしたと言うシーンの、囚人生活の恐さも本編の恐さとは違った意味でオソロしや。「あしたのジョー」なんて目じゃないね…。

2016.5.13.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 序盤の舞台となるプネー県のお隣。
*3 監督自身は、ティーチインで「ミュージカルは、プロモ用にしかたなく作った」と言ってましたけど。