インド映画夜話

(Black) 2005年 122分
主演 アミターブ・バッチャン & ラーニー・ムケルジー & アイーシャー・カプール
監督/製作/脚本 サンジャイ・リーラー・バンサーリー
"暗黒の世界から普通の人生へ…夢を追う一歩を"


スペイン語版予告編


 私の名前はミシェル・マクナリー。これは、神の恩寵薄い2人の人間が、その運命とどう闘い、不可能を可能にしていったかの物語。
 あの日曜日、12年ぶりに再会しながら病気のために記憶を失っていた私の恩師、デーブラージ・サハーイーのために、この物語を書き記そうと思う…。

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 幼少期の病気が元で視覚と聴覚を失ったミシェルは、そのままシムラーの屋敷の中で言葉も知らず家族の有様も理解できないまま、8才にして動物同然に暮らしていた。彼女の両親は、最後の頼みの綱として障害者教育に詳しい家庭教師デーブラージを雇うことにするものの、風変わりな教育方針の彼に戸惑うことばかり。彼の教育方針を疑う両親を尻目にデーブラージは、ミシェルと自分を20日間隔離することが必要だと宣言して…。




 本作は、ヘラン・ケラーの人生そのものと、その映画化である1962年のハリウッド映画「奇跡の人(The Miracle Worker)」を翻案したグジャラート語(*1)戯曲「Aatam Vinjhe Paankh」の2つを脚色した、ヒンディー語(*2)+英語映画となる。

 インドと同日公開で、オーストラリア、英国、米国他でも一般公開。2013年には、トルコ映画リメイク作「Benim Du¨nyam(私の世界)」が公開されている。
 日本では、2018年にインド映画同好会にて上映。

 なんでもバンサーリー監督の初監督作「Khamoshi: The Musical(沈黙 : その饗奏)」制作中から構想されて、ヘレン・ケラーの著作を熟読し、その研究所を取材してから企画が立ち上がったという本作。
 前半1時間は主人公ミシェルの回想という形で、舞台演劇的な画面構成の元に「奇跡の人」をなぞるような形で3重苦の少女ミシェルが「水」と言う言葉を獲得するまでを描く。
 しかし、本作がただの翻案もの映画で終わらなかったのは、続く後半1時間の重厚さ。言葉を獲得し、世界の有り様を認識したミシェルのその後を描きながら、それでも障害者に厳しい社会の中でミシェルがなんとか学問を納め、家族と和解し協調して恩師デーブラージと共闘していく姿を描きつつ、彼女の自立を自身が阻害しているのではないかと悩むデーブラージを襲うアルツハイマーの苦しみを見せつけていくことで、主人公格の2人の立場が交代し、それぞれの苦悩・障害・諦観や絶望といった感情の渦と共生していく覚悟を描いていく様は濃密。かつ、その人と人の結びつきを強調して描く物語こそ、インド映画の武器でもあるんだなあ…と改めて認識できる傑作に仕上がっている。
 大学合格を喜ぶミシェルに対して、白杖を贈るデーブラージとそれを拒否し「自分は大丈夫だ」とアピールするミシェル、それを見る家族全員が感じる不安と、デーブラージが強硬に白杖をミシェルに突きつけ「これは、君を隷属させるものではなく、君が自立するためのものだ」と説得する彼の態度に、なんと様々な感情の渦を喚起させられることか。

 白・黒・青の3色におおまかに支配される画面の統一感・静寂感もさることながら、西洋美術品に囲まれるマクナリー邸や、ミシェルの通うキング・エドワード大学の雪景色(*3)、時間経過による登場人物たちそれぞれの変化具合も緻密に構成され、まるでディケンズ原作映画とかのイギリス文芸映画でも見てるかのような厳かな雰囲気が美しい。
 撮影前7ヶ月の訓練による、ラーニーとアミターブの手話も感情豊かで、英語を基礎とする手話のありよう、点字タイプライターの存在感、見えず聞こえずのためのコミュニケーションの浸透具合・すれ違い具合の切なさが素晴らしい。

 前半、アミターブと共に映画の顔として活躍する幼いミシェルを演じるのは、1994年スリランカ生まれのアイーシャー(・ギウリア)・カプール。
 父親は革製品大手チェーン店オーナーのパンジャーブ人、母親はドイツ人だそう。
 本作で子役デビューし、フィルムフェア助演女優賞他多数の映画賞を獲得(*4)。その演技は、当時助監督として参加していたランビール・カプールの演技指導による二人三脚で引き出されたものなんだそうな。
 本作の後、短編映画「Sanaa」を挟んで、09年の「Sikandar(シカンダル)」に主役級出演している。

 飄々としつつ人生の蹉跌を飲み込んだような深みも見せるデーブラージ演じるアミターブもさることながら(*5)、3重苦のミシェルを演じる自信がないと1度オファーを断ってからの出演になったというラーニーの、パワフルであり時にコミカルに(*6)、時に情熱的に、時に頑なな子供っぽさという色々な顔を見せてくる演技の幅も見所。

 「奇跡の人」でヘレンを導く女性教師アン・サリヴァンが、本作では初老の男性教師デーブラージに変えられてる事も、映画全体として大きな変化ではある。
 それに関する様々な要因の中で特に注目する点は、やはり主人公の少女にかけられる母性のあり方のそれで、「奇跡の人」と比較した時に父親の冷たさはそのままであるのに対して、母親が積極的に娘に対して関わりを持とうと動く姿を補強する形で「新たな父性」「真なる父性」がデーブラージからもたらされると言う物語構造も興味深い(*7)。妹との確執や和解、数度にわたる大学試験の失敗、妹の結婚によってミシェル自身にも湧き上がる恋愛感情への興味…と言った普通の人生に起こり得る普通の物事を、1つ1つ父性と母性の導きによってのみ体験するしかないミシェル、そしてデーブラージ自身もまた同じような状態になっていく切なさが、嫌味なく物語を推進させていく力強さは必見ですわ。

 ま、アルツハイマーによる記憶喪失ってあんな突然起こるものなのか? って疑問もなきにしもあらずではあるけれど…。


受賞歴
2005 National Film Awards 注目ヒンディー語映画賞・主演男優賞(アミターブ・バッチャン)
2005 Apsara Film Producers Guild Awards 撮影賞(ラヴィ・K・チャンドラン)
2006 Filmfare Awards 作品賞・監督賞・主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)・批評家選出作品賞・批評家選出主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・批評家選出主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)・助演女優賞(アイーシャ・カプール)・編集賞(ベーラー・セーガル)・撮影賞(ラヴィ・K・チャンドラン)・BGM賞(モンティ・シャルマー)
2006 Screen Awards 作品賞監督賞・主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)・撮影賞(ラヴィ・K・チャンドラン)・編集賞(ベーラー・セーガル)・音響録音賞(アヌープ・デーヴ)・BGM賞(モンティ・シャルマー)
2006 IIFA (International Indian Film Academy) Awards 作品賞・監督賞・主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)・助演女優賞(アイーシャ・カプール)・撮影賞(ラヴィ・K・チャンドラン)・編集賞(ベーラー・セーガル)・音響録音賞(アヌープ・デーヴ)・BGM賞(モンティ・シャルマー)
2006 Zee Cine Awards 作品賞・監督賞・主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)・助演女優賞(アイーシャ・カプール)・撮影賞(ラヴィ・K・チャンドラン)・編集賞(ベーラー・セーガル)・音響録音賞(アヌープ・デーヴ)・BGM賞(モンティ・シャルマー)
2006 Anandalok Puraskar ボリウッド作品賞・ボリウッド主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・ボリウッド主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)
2006 Stardust Awards スター女優・オブ・ジ・イヤー(ラーニー・ムケルジー)・スター男優・オブ・ジ・イヤー(アミターブ・バッチャン)
2006 Apsara Awards 作品賞・監督賞・主演女優賞(ラーニー)・主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・助演女優賞(アイーシャ・カプール)
The Lycra MTV Style Awards スタイリッシュ作品賞
Bollywood Fashion Awards セレブリティ・スタイル女優賞(ラーニー・ムケルジー)
Lion Awards 映画業績賞(ラーニー・ムケルジー)
Sony Film 審査員選出主演女優・オブ・ジ・イヤー(ラーニー・ムケルジー)
Rediff Movie Awards 主演男優賞(アミターブ)・主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)
Idea Zee Fashion Awards セレブリティ・モデル・オブ・ジ・イヤー(ラーニー・ムケルジー)
IndiaFM’s 主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)
Star’s Sabsey 人気ヒロイン賞(ラーニー・ムケルジー)
Bollyvista Film Awards 主演男優賞(アミターブ・バッチャン)
Bollywood People’s Choice Awards 主演男優賞(アミターブ・バッチャン)
Bengal Film Journalists’ Association Awards 主演男優賞(アミターブ・バッチャン)・ヒンディー語映画主演女優賞(ラーニー・ムケルジー)


「黒」を一言で斬る!
・なんか、今まで見た中で一番アミターブが息子アビシェークの面影と重なる映画ですわ…なんとなく。

2020.8.7.

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*1 西インド グジャラート州とダマン・ディーウ連邦直轄領、ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄領の公用語。
*2 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*3 実際にシムラーに出向いて撮影しようとしたものの、雪が全くなかったために急遽人口降雪機を使っての撮影になったそう。
*4 2007年の「地上の星たち(Taare Zameen Par)」で各映画賞の助演男優賞を獲得したダルシェール・ザファーリーに次いで、最年少助演女優賞獲得記録となった。
*5 本作の成功によって、映画におけるトップスターへの復帰となったそうだけど。
*6 チャップリン映画が映画館上映されてる時代設定の中で、ヒョコヒョコ歩くミシェルの姿のチャップリンぽさったらもう!
*7 もちろん、ビジネス的要因も抜きには語れないでしょうけども。