インド映画夜話

ボンベイ (Bombay) 1995年 141分
主演 アルヴィンド・スワーミー & マニーシャー・コイララ
監督/製作/脚本/原案 マニ・ラトナム
"この愛は天空の調べ。"


挿入歌 Kannalanae (愛しいひと)



 雨期の雨雲と風が鳴り止まぬ、タミル・ナードゥ州マーングディ村。
 ボンベイ(現マハラーシュトラ州ムンバイ)の大学を卒業して故郷に帰って来たセーカル・ミシュラー・ナラヤナンは、船着き場で美しいムスリマ(イスラム教徒の女性)の学生シャイラー・バーヌと出会い、一目惚れしてしまう。
 すぐに両思いになって行く2人だったが、どちらの家も「異教徒との結婚なぞ絶対認めない。家族の迷惑を考えてみろ!」と強く反対。ついに「もう家には戻らない」と親と決別してボンベイに旅立ったセーカルは、新聞校正の仕事で得たお金でバーヌにボンベイまでの切符を送り、2人共々家と縁を切ってボンベイでの結婚を決意する…。それでも2人の夫婦生活は順調に進み、カマルとカビールと言う双子も産まれた。縁を切ったとは言えそれぞれの親たちは、その知らせを受けて2人の知らないうちに両家で孫を祝福していくように…。

 時に1992年12月6日。
 アヨーディヤーにある伝統的モスクを、ヒンドゥー至上主義者たちが襲撃・倒壊させた事件をきっかけに、ボンベイでもヒンドゥー教徒とイスラム教徒双方がお互いを襲撃殺害しあう暴動に発展。街はたちまち死屍累々の火の海と化す。その街中で、人混みに圧されて両親とはぐれてしまった幼いカマルとカビールは、次々と人を襲う暴徒たちに捕まってしまう…「お前はどっちだ? ヒンドゥーか!? ムスリムか!?」「焼け!! 油をかけて焼いてしまえ!!」


挿入歌 Uyire Uyire (愛しい君)




 1992年、ウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤー(*1)で起こったバーブリー・マスジド倒壊事件(*2)に端を発するインド各地で巻き起こった宗教紛争を題材に、異教徒同士で結婚した主人公をめぐるロマンスと両者を襲う数々の社会的メッセージを描く映画。
 日本では、1998年に一般公開。その後にVHSやDVD発売されたり、イベント上映されたりしていました。

 巨匠マニ・ラトナム監督作としては13作目となるタミル語(*3)映画であり、92年の「ロージャー(Roja)」に続く、テロと社会を描く社会派テーマの作品(*4)。
 公開後、ヒンディー語(*5)吹替版、テルグ語(*6)吹替版も公開され、海外でも大きな反響を呼ぶ。イギリス公開時にはイギリス映画研究所ランキングのトップ20にランクイン。シンガポールとマレーシアでは、その内容から上映禁止になったと言う。また、05年のハリウッド映画「ロード・オブ・ウォー(Lord of War)」が本作のテーマソングを劇中で使用した他、後年数々のミュージシャンにも影響を与えているとか。
 劇中の物語は、90年のハリウッド映画「愛と哀しみの旅路(Come See the Paradise)」にインスパイアされている、と言う指摘も。

 私が最初に見たインド映画が、本作と「ムトゥ」(*7)。
 この2作によるまったく種類の違うインパクトこそが「なんかインド映画ってスゴい。この人たち、色んな手法で映像を組み立てていく事を面白がってるぞ!」と、今に至るインド映画への興味と執着を持続させる結果になったわけだけど(*8)、特に本作は、映画前半が牧歌的な恋愛劇なのに対して、中盤以降に次々と展開する重い社会派ドラマの数々、深刻でありながら微笑ましい家族間相剋とその和解具合、子供たちの目を通して見える大人社会の目を覆うほどの不条理と、前半の流れからは想像もできないボリュームと怒濤の展開。前半には気づきもしなかった伏線の数々が、後半に大きな意味を持つ演出の巧妙さ。「ムトゥ」のそれとはまったく違う重々しいテーマと人生讃歌の融合に、「こんな映画の作り方もあるのか」と「ムトゥ」のそれとはまた違う意味で驚かされた映画でありました。
 この2作を同時に見てたってのは、今思うとかなり幸運だったのかもしれない。同じタミル語映画でありながら、ここまで振り幅が違うの見てしまうと「インド映画って○○」みたいなステレオタイプでひとくくりには出来ないものネ。まあ、当時はそれでも「やっぱり歌ってる」くらい言ってた気がするので、当時のワタスを一本背負いで千尋の谷にたたき落してやりたいこの頃。うん。

 本作の監督を務めたのは、インド映画界を代表する監督の一人でもあるマニ・ラトナム(生誕名ゴーパラ・ラトナム・スブラマニアム)。
 1955年タミル・ナードゥ州マドゥライ生まれマドラス(*9)育ち。父は映画配給の仕事を、伯父も映画プロデューサーとして働いていて、兄も弟も映画界に進んで彼の監督作プロデューサーに就任したりしている。
 映画一族の中で育ちながら、学生時代には映画を見る事を禁止されていたそうで、親に隠れて映画館に通っていたとか。経営学を修了して経営コンサルトとして働きだしたものの、友人ラヴィ・シャンカルがカンナダ語映画監督デビューすると聞いてその現場を訪ねて手伝いをした事をきっかけに、映画界に入る決意を固めてコンサルタント業を辞職し映画界入り。その映画が製作凍結になった後に、映画人たちに台本の売り込みを始め、プロデューサーでもある伯父の助言を受けながら、83年にカンナダ語映画「Pallavi Anu Pallavi」で監督デビューを果たしカルナータカ州映画賞の脚本賞を獲得する。
 続く84年に「Unaru(立ち上がれ)」でマラヤーラム語映画デビュー、85年に「Pagal Nilavu(真昼の月)」「Idaya Kovil(寺院の中の心)」の2本でタミル語映画デビューして後者が大ヒット。翌86年の「Mouna Ragam(静かなるシンフォニー)」がタミル・テルグ両映画界で大ヒットしてフィルムフェア・サウス監督賞とナショナル・フィルム・アワード地方映画作品賞を受賞。以降、数々の映画賞を獲得して行く名監督として活躍する。88年には、女優スハシーニーと結婚。92年の「ロージャー(Roja)」がモスクワ国際映画祭の聖ジョージ作品賞にノミネートされると、世界中で公開されて一挙に世界的名声を勝ち取って行く。日本でも本作を初め「アンジャリ(Anjali)」「ディル・セ(Dil Se..)」など多数の監督作が一般公開や映画祭上映されている。
 02年に国からパドマ・シュリー(*10)を授与され、10年のヴェネツィア国際映画祭では、その長年の功績から名誉フィルムメイカー賞を贈られている。

 主役セーカルを演じたのは、1970年タミル・ナードゥ州チェンナイ生まれのアルヴィンド・スワーミー。実の父親は映画俳優のデルヒ・クマール。養父が実業家のV・D・スワーミーで養母がバラタナティヤム(*11)ダンサーのヴァサンタ・スワーミーになる。
 当初は医者を目指してたと言うけれど、チャンナイのロイヤルカレッジにて商学士の学位を取得して、米国ノースカロライナのウェイクフォレスト大学に留学して国際ビジネスを専攻。学生時代にバイト感覚でモデル業を始めると、その広告を見たマニ・ラトナムに見出されて91年の彼の監督作でラジニカーント主演作「Thalapathi(指導者)」で映画デビュー。続く92年には、同じくマニ・ラトナム監督作「ロージャー(Roja)」で主演デビューする。「ロージャー」と「ボンベイ」の2作は特に大きな評判を呼び「ソウルフルな演技」とタイム誌でも評されていたほど。主にタミル語映画界で活躍しているものの、「ロージャー」と同じ92年には「Daddy」でマラヤーラム語映画に、95年には「Mounam(静寂)」でテルグ語映画に、98年には「Saat Rang Ke Sapne」でヒンディー語映画にもデビュー。
 15年のタミル語映画「Thani Oruvan(孤独な男)」では、フィルムフェアのタミル語助演男優賞、エディソン賞の悪役男優賞を受賞している。

 ラストシーンから逆算して作られたような緻密な段取りによって、若い男女の恋愛劇、慣れない都会での新婚生活、出産と育児と家庭生活の積み重ねが、後半の凄惨な現実との対比となって効果的な感情の振幅、主役2人の関係性の変化、その人生模様の微笑ましさや苦痛をダイレクトに表現していく。
 後の「ディル・セ」にも見られるマニーシャー演じるヒロイン初登場シーンを構成する風、雨、乗物、顔を覆う布や髪、その眼差し具合なんかを比較してみるのも一興。「ディル・セ」に比べると可愛さが強調されているヒロイン バーヌの、1つ1つのシーンの愛らしさもスンバラし。

 こうした異教徒同士のメルヘン的な愛に続いて起こる、異教徒同士の血で血を洗う殺し合いの現実に、インド独立から続く宗教紛争に根深く残り続ける既得権益の応酬、支配被支配の歴史、人が集まってくる場所における相互不信の様子が、現実的な(どうにもならない)人の感情をともなって描かれる説得力たるや。
 宗教と言う"特定の社会常識を共有するコミュニティ"の境界、武器を持つ者と持たぬ者の境界、殺す者と殺される者、家族を守る者と家族を捨てる者、大人と子供…暴動の中で、見知らぬ子供を救い出す両性具有の使者たるヒジュラーを始めとして描かれる、そう言った境界線上に立つ人たちが体現する境界線の無意味さ、境界を越えようとする意志の美しさが、この映画の希望として描かれる所に、続く「ディル・セ」とのハッキリとした視点の違いがある、のかもしれない。


挿入歌 Kuchi Kuchi (やせっぽちのラーガンマ、女の子がほしい)

*マニ・ラトナム映画でよく出てくる、子供たち主体のミュージカルシーン。この中から明日のスーパースターが…!?



受賞歴
1995 Tamil Nadu State Film Awards 作詞賞(ヴァイラムトゥ)・女性プレイバックシンガー賞(K・S・チトラ)
1995 Cinema Express Awards 作品賞
1995 英国スコットランド Edinburgh International Film Festival ガラ賞
1995 イスラエル Jerusalem Film Festival "自由の精神"注目作品賞
1995 Polotocal Film Society Awards 特別賞

1996 National Film Awards ナルギス・ダット(注目映画)国家統合作品賞・編集賞(スレーシュ・ウルス)
1996 Filmfare Awards 批評家作品賞・批評家選出俳優賞(マニーシャー・コイララ)
1996 Filmfare Awards South タミル語映画作品賞・タミル語映画監督賞・タミル語映画主演女優賞(マニーシャー・コイララ)・タミル語映画音楽監督賞(A・R・ラフマーン)
1996 Matri Shree Media Award 作品賞
1996 CineGoer's Award タミル語映画音楽賞(A・R・ラフマーン)
1996 Film Fans' Award タミル語映画音楽賞(A・R・ラフマーン)
1996 Kalasaagar Award タミル語映画音楽賞(A・R・ラフマーン)
1996 米国 Political Film Society Awards 特別賞




「ボンベイ」を一言で斬る!
・劇中『オレは(ヒンドゥーとムスリムの)どちらでもない! ヒンディー(=インド人)だ!!』って台詞があるから、やっぱり"ヒンドゥー"と"ヒンディー"は似て非なる単語だねえ…。

2016.12.10.

戻る

*1 叙事詩ラーマーヤナにも登場するヒンドゥーの聖地。
*2 数十万のヒンドゥー至上主義者によって、16世紀建造と言われる伝統的モスク バーブリー・マスジドが倒壊された事件に始まる、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との大規模な暴動事件。報道ではその犠牲者2000人以上とされ、その騒ぎはボンベイやバングラデシュにも飛び火した。
*3 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*4 このあと、この流れを受けて「ディル・セ(Dil Se..)」が作られ、これらをマニ・ラトナムによる"テロと社会3部作"と呼ぶそうな。
*5 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*6 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*7 ほぼ同時期に見ていたと思う。どっちを先に見たか憶えてない…。
*8 しかし、当時は韓流ブームの走り頃。近所のレンタル店から一斉にアジア映画コーナーが消え去って韓流コーナーに変わってしまい、インド映画のイの字も見かけない期間の長かったこと長かったこと…。
*9 現チェンナイ。
*10 一般国民に与えられる、4番目に権威ある国家栄典。
*11 タミルの古典舞踊。