インド映画夜話

Beyond the Clouds 2017年 120分
主演 イシャーン・カッタル & マラーヴィカー・モハナン
監督/脚本/原案 マジッド・マジディ
"少しの間だけ、あの子に月を見せてあげたいの"




 ムンバイにて仲間たちとヤクの売人をしている青年アーミルは、ある日警察の一斉検挙からの逃亡中に、姉ターラー・ネシャーンに助けられ匿われることに。
 しかし、これを目撃してアーミルの落とした麻薬袋を拾っていた隣人の男アークシーは、それを口実にターラーに無理矢理迫ってくる。逃げるターラーは、咄嗟にアークシーを殴りつけて病院送りにしてしまった…!

 殺人未遂罪で収監されるターラーを救い出そうと、アーミルは一命をとりとめ入院するアークシーを訪ねる。
 アークシーがそのまま死んでしまったら、証言も取れないまま姉に終身刑が言い渡されるため、アーミルは復讐心を抱きながらも失語症に陥ったアークシーの付添介護人をせざるを得なくなるのだった。
 そんなアーミルの所へ、タミル・ナードゥ州から言葉の通じないアークシーの母親と娘2人が訪れてくると…。


プロモ映像 Ey Chhote Motor Chala (相棒、このバイクでカッ飛ばすぜ)


 「運動靴と赤い金魚(Bacheha-Ye aseman)」「太陽は、ぼくの瞳(Rang-e khoda)」などで知られるイラン人映画監督マジッド・マジディを招いて、インドの映画会社Zeeスタジオで製作されたヒンディー語(*1)+英語映画。

 2017年にドバイ国際映画祭でプレミア上映されたのを皮切りに、世界中の映画祭で上映。翌18年になって、クウェート、インドネシア、インド、シンガポール、米国、南アフリカ、イランなどで一般公開。別英題「Floating Gardens(空に浮かぶ庭園)」、ペルシャ語題「Ansooy-e abrha(雲の向こうに)」としても公開されている。

 これは傑作!
 映画冒頭、車の行き交う幹線道路と閑静な街並みを映すカメラが徐々に下がって行くと、その高架道路の下で家もなく暮らす貧困層の姿を見せつけるインドの現実という画面だけでも強烈。
 その中にあって、ヤクザな商売で身を立てつつ裏切りと暴力が日常にある主人公アーミルの見せるさりげない子供への気遣いも、後半への効果的伏線というやつで、とにかくやたら全力疾走するシーンの多いアーミルの姿に「スラムドッグ$ミリオネア(Slumdog Millionaire)」とかを彷彿とさせる映画ながら、その表れ方・インドへの視点はそういった欧米系の目線とはどこか違い、より身近な目線で人と人の触れ合いを描いていく感じ。

 とか言いつつ、ホントゴメンなさいなんだけどマジッド・マジディ監督作ってこれが初なので、過去の監督作との比較とはできない身でございます。イラン映画自体、キアロスタミ映画くらいしか見れてないので申し訳なし…(*2)。
 まあ、イラン映画っぽいかどうかは知る由もないけれど、劇中の生活空間は、富裕層と貧困層が同じ空間に同居し、手の届くようで届かない世界を間近に見ながら貧困層の毎日が作られていくと言う、現代ムンバイのスラム生活の匂いは濃厚に、かつ真摯に描かれているように感じる映画ではある。

 お話は、家族というものを持てないでいる姉弟の再会から、突如起きてしまった不慮の事故(というか事件)によって、刑務所送りになってしまう姉ターラーの絶望と、その姉をなんとか救おうとする弟アーミルの姿を並行的に描いていく。
 そこに見えてくる、刑務所内での貧困層のくらしや、姉の部屋に居候しつつ犯人のはずのアークシーの家族の世話をせざるを得なくなるアーミルに訪れる家族観の変化を静かに、しかし確実な変化として描かれていく事で、2人の人生観・世界観がなにがしか変化しそれを受け入れていく様子は、そこはかとなく詩的な美しさを漂わせていく。物語的意外性はそんなにないとはいえ、2人のそれぞれの日常劇の自然な積み重ねを丹念に描いていくその情感の重ね具合・知らない者同士だった関係が好むと好まざるとにかかわらず親密になっていく、その過程と人の変化具合こそが、映画表現の最も得意とするものの1つなんかねえ…と思えてきてしまう、劇の緻密な作りは本当に素晴らしい。

 主人公アーミルを演じるのは、1995年マハラーシュトラ州ムンバイ生まれのイシャーン・カッタル。
 母親は女優ニーリマー・アゼーム、父親は男優ラジェーシュ・カッタルで(*3)、母親とその先夫パンカジ・カプールとの間に生まれた男優シャーヒド・カプールとは異父兄弟関係になる。
 学生時代からダンスを習得しつつ、05年公開作となるシャーヒド主演作「Vaah! Life Ho Toh Aisi!(ああ! 人生とはかくあるべし)」で子役出演して映画デビュー。その後、助監督として映画界で働き始め、本作で主演デビューとなる。続く18年公開作「Dhadak(鼓動)」と合わせてフィルムフェア・アワード新人男優賞他多数のデビュー賞を獲得している。

 もう1人の主人公でもあるターラー役には、1992年ケーララ州カンヌール生まれでマハラーシュトラ州ムンバイ育ちのマラーヴィカー・モハナン(別名マラーヴィカー・モハン)。父親はマラヤーラム語(*4)映画界で活躍する撮影監督K・U・モハナンになる。
 ムンバイにてマスメディアの学位を取得後、父親と同じカメラマンか映画監督を志望しつつ、父親の勧めを受けてマラヤーラム語映画界のスター マンモーティのCMに出演。そのままマンモーティの息子ドゥルカン・サルマーン主演の13年公開マラヤーラム語映画「Pattam Pole(凧の如く)」で主演デビューする。16年には「Naanu Mattu Varalakshmi(僕とヴァーララクシュミー)」でカンナダ語(*5)映画デビュー。17年の本作でヒンディー語映画デビューしてスクリーン・アワードの批評家選出主演女優賞ノミネート。19年の「ペーッタ(Petta)」でタミル語(*6)映画にもデビューしている。

 中盤以降に登場するアークシーの母親と彼の幼い娘2人、さらにターラーと同室の囚人の子供チョットゥとの交流が映画の雰囲気を徐々に明るい方向へと変え、双方の乾いた人間関係に光明をもたらしてくれる劇進行がズルいくらいカッチリ機能していてスンバラし。
 その微妙な演技を求められる立ち位置をしっかり演じているそれぞれの子役・女優の演技力の力強さ、可愛らしさ、きめ細やかさもトンデモなくスンバラし。
 人を利用し裏切ることが当たり前の世の中にいたアーミルが、憎い姉の敵の身内3人を家に招き入れるまでの逡巡。布越しに見える家族の触れ合いを見つめざるを得なくなる姿。それでも赤の他人である3人を信用せず利用しようとしかける彼の中で、どんな思いが渦巻いていたことか…。
 ラスト、ホーリー祭に沸くムンバイの街に消えていくアーミルたちと、その夜の嵐の中で月が出るのを待っているターラーたちとの見る世界のシンクロ具合・対比具合の美しさ・意味深さは、人が人を信頼するまでのその距離感を測るよう。その月を隠す雲からもたらされる雨は、麗しの雨か、無情な雨か、はたまた…。

メイキング(通訳を介した監督の演技指導 英語 / 字幕なし)


受賞歴
2017 トルコ International Bosphorus Film Festival 主演男優賞(イシャーン・カッタル)・編集賞(ハッサン・ハッサンドースト)
2018 印 Nickelodeon Kids’ Choice Awards 積み木の上の新世代子供賞(イシャーン・カッタル / 【Dhadak】に対しても)
2019 Screen Awards 男優デビュー・パフォーマンス賞(イシャーン・カッタル / 【Dhadak】に対しても)
2019 Filmfare Awards 男優デビュー賞(イシャーン・カッタル)
2019 Zee Cine Awards スターデビュー・オブ・ジ・イヤー賞(イシャーン・カッタル / 【Dhadak】に対しても)


「BtC」を一言で斬る!
・ムンバイの女子刑務所って、幼児のいる女囚の場合は一緒に服役させるの…!!??

2021.4.30.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 「オリーブの林をぬけて(Zire darakhatan zeyton)」とか大好きですけども…。
*3 両者は、2001年に離婚している。
*4 南インド ケーララ州の公用語。
*5 南インド カルナータカ州の公用語。
*6 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。