インド映画夜話

Chattakkari 1974年 128分
主演 ラクシュミー
監督/脚本 K・S・セトゥマーダーヴァン
"ねえジュリー、なんで黙ってるの? なにを考えてるの?"


挿入歌 Naarayanaaya Nama (ナーラーヤナーヤ・ナマ)


 イギリス系インド人機関士L・N・モリスの娘ジュリーは、その美貌と西洋ファッションで周りのインド人たちの注目を引きながらも、家族と楽しい毎日を過ごしている。

 酒好きが玉に瑕ながら子煩悩な父親モリスと、ヒステリックに英国流の暮らしを目指す母親マーガレットは普段は仲が良いものの、意見が合わない時の喧嘩は激しく、それを悲しむ妹アイリーンと弟ジョニーの世話はジュリーの役目だった。
 そんなジュリーは最近、父親同士も友人であるハイカーストの家の親友ウシャ・ワリヤーを通して出会った、カルカッタ帰りのウシャの兄シャシと親密な関係になっていく。母親が用意した見合い相手リッチー(本名リチャード)をほっぽって、シャシと過ごすことが多くなるジュリーだったが、シャシの母親は生活慣習の違いすぎるジュリーにいい顔をしてくれない…。

 そんな中、英国留学から帰って来たジミー(ジュリーの兄)との再会を喜ぶ母親マーガレットは、「もうインドを離れて、家族みんなでイギリスに移住しよう」と言い出しまた夫婦喧嘩の種をまく。そんな家の事情を無視してシャシの家へと向かうジュリーは、ついにお互いの気持ちを告白し、人知れず一線を越えてしまうのだが…。


挿入歌 Love is Just Around (愛はすぐそこに)


 タイトルは、マラヤーラム語(*1)で「アングロ系インド人(*2)の女性」の意とか。

 ケーララ人小説家パンマン著の同名小説をもとにした映画で、南インド映画界で活躍していた女優ラクシュミーのマラヤーラム語映画デビュー作でもあり、マラヤーラム語映画史上初の40週ロングランを達成した映画としても有名。

 公開後、テルグ語(*3)吹替版「English Ammayi」が公開された他、ラクシュミー主演のまま1975年ヒンディー語(*4)リメイク作「Julie(ジュリー)」も公開(*5)。
 その他、同年にはテルグ語リメイク作「Miss Julie Prema Katha(ミス・ジュリーの恋の物語)」が、1984年にはタミル語(*6)リメイク作「Oh Maane Maane(ああ、愛しの君、愛しの君)」が、2006年にはカンナダ語(*7)リメイク作「Julie(ジュリー)」が公開。そして2012年には、本作監督の息子であるサントーシュ・セトゥマーダヴァンが監督を勤めたマラヤーラム語同名リメイク作も公開されている。

 牧歌的なケーララの小さな町(コーチ近郊だそう)を舞台に、前半は自由闊達に生活するジュリーを中心としたアングロ系インド人の日常家庭ドラマを、後半はその日常の中で認められぬ恋から密かに妊娠してしまった主人公ジュリーの苦悩を描く、メロドラマであり家庭ドラマの伝説的傑作。
 今見ると、お話にそんな意外性はない話ながら(*8)、子役出身で公開当時21才の女優ラクシュミー演じる主人公の、次々と変わる70年代西洋風ファッションの色彩、着こなし、シンプルながらキッチュ&クリアなスタイルが、1周回って可愛い&カッコいい画作りが美しい。同時に、他のヒンドゥー家庭やイスラーム教徒たちのファッションとは異なる洋服姿そのものが、アングロ系インド人集団としてのアイデンティティにもなっている「衣食住を同じくするものたちでそれぞれに集まった、インド社会の縮図」も見えてくる映画構成の巧みさよ(*9)。
 そうは言っても、ジュリーの親友のハイカースト家庭生まれのウシャは、ジュリーと普通にイチャつくしバカを言い合うし、物の貸し借りも簡単に行なっている。ウシャの父親もジュリーの家が異教徒(クリスチャン)である事を特に異質視しないし、仕事仲間としてジュリーの父親とも仲良し。見えない壁が意識されるのは、ウシャの母親の頑なな態度が支配する「家の中(*10)」と言う「口の中や肌が触れる空間」である事が象徴的に浮かび上がってくる。

 ジュリーと愛し合うようになるウシャの兄シャシは、父親から「こいつはカルカッタに留学して無神論者になっちまった」とか笑われるくらいには宗教否定な態度をあらわにしていても両親に受け入れらている。とは言え、家の中では家族に合わせた服装や食事に従っているシャシに対して、色彩豊かな服装でノースリーブ&ミニスカでボディラインがハッキリ出ている服装のジュリーやその母親、妹を「そう言うもの」と受け入れつつ「自分たちとは違う人たち」と一線引いて付き合ってるヒンドゥー教徒たちの態度が、日常の中にもしっかり意識されざるを得ないインド社会の姿として描かれ、王道恋愛劇の底で常にくすぶっているのが刺激的。

 監督を務めたK・S・セトゥマーダーヴァン(本名クルッカルパダム・スブラーマニヤム・セトゥマーダーヴァン / *11)は、1931年英領インドのマドラス管区マラバル県パルガト(*12)生まれ。
 官立大学で生物学位を取得した後、K・ラームナート監督作の助監督を務めて映画界入り。助監督業を続ける中、1960年のスリランカのシンハラ語(*13)映画「Weera Vijaya (またはVeeravijaya)」で監督デビュー。翌1961年には「Gnana Sundari」でマラヤーラム語映画監督デビューする。
 1965年の監督作「Odayil Ninnu(側溝から)」でナショナル・フィルムアワードのマラヤーラム語映画注目作品賞を獲得。以降も、マラヤーラム語映画界を中心に南インド映画全般で活躍して行く中で、多数の映画賞を獲得。1975年のナショナル・フィルムアワードを始め、何度も映画賞の審査員に選出されてもいる。その功績を讃えられて、2009年には州政府管轄アカデミーからJ・C・ダニエル(マラヤーラム語映画功労)賞が、2011年にはケーララ映画批評家家協会からチャラチトラ・ラトナム(ケーララ映画批評家協会)賞が贈呈されている。
 3人の子供のうち、3番目の子供サントーシュ・セトゥマーダーヴァンは、父の影響を受けてTV・映画界で活躍。本作のリメイク作を2012年に監督・公開させている。
 2021年、チェンナイの自宅にて物故される。享年90歳。

 ヒッピーに代表されるネイティブ・アメリカンやインド文化への注目が集まる60〜70年代に、まさにインドの中で英米スタイルとインドスタイルを混ぜ合わせた生活をする庶民の姿を(理想的ながら)描く映画がある、と言うだけでも注目したくなるし、そもそも人気うなぎのぼり中のトップスター ラクシュミーの喜怒哀楽を存分に取り付けたファッションショーとしての価値も高い。
 静かなカメラアングルも、計算されたバランスで撮ってるプロフェッショナルな画角で構成されて、画面的にも色彩の統一具合は勉強になることばかり。ジュリーとシャシがお互いの気持ちをハッキリ口に出す時の、シャシの部屋のベッド脇に置かれたカメラから2人を通して開け放たれたシャシの個室のドア、居間の向こうの閉じた玄関を映す線対称な画角を長回し(約4分)で撮ることで、2人の間に流れる微妙な空気の変化を表現する画面の淡い色彩統一も美しきかな。その後にジュリーが婚外子を産むことになる伏線のような、シャシと同系色のベッドと枕、開かれた部屋のドアの向こうの閉じられた玄関ドアと言う「選択肢のある密室」具合、ドアとベッドの間を行ったり来たりする2人の若者の恋に溺れて行く戸惑い具合など、深読みしたくなる要素満載で嬉しい嬉しい(*14)。
 そうした、恋に恋する少女の求める自由を貴ぶ雰囲気そのものもまた、70年代と言う空気を濃厚に映している映画的仕掛けってやつ、かなあ…(*15)




挿入歌 Yuvaakkale Yuvathikale (若い人、若い女性たちよ)




受賞歴
1974 Keerala State Film Awards 主演女優賞(ラクシュミー)・主演男優賞(アドール・バシ)・原案賞(パンマン)・助演女優賞(スクマーリー)
1975 Filmfare Awards South マラヤーラム語映画主演女優賞(ラクシュミー)・マラヤーラム語映画監督賞
*この年以降、76年、77年度のフィルムフェア・サウスのマラヤーラム語映画主演女優賞もラクシュミーが連続受賞している!


「Chattakkari」を一言で斬る!
・キリスト教徒とヒンドゥー教徒(+イスラーム教徒)、女性の服装はハッキリと違うけど男性服はあんま差がないのね。

2025.5.30.

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*1 南インド ケーララ州と連邦直轄領ラクシャドウィープの公用語。
*2 イギリス系インド人あるいはインド系イギリス人の集団。
*3 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*4 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*5 ラクシュミーは、この映画でもフィルムフェア主演女優賞を獲得している。
*6 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*7 南インド カルナータカ州の公用語。
*8 ラスト、急にインドの団結を謳いあげる説教で締めたのは意外だったけど…まあ、当時そこが評価されたんでしょうけど。
*9 タイトルの意味が、単純に印英ハーフってわけではなかったのね! って驚きもある。
*10 特に食材のタブーが起こりやすい台所周辺と祭壇周辺。
*11 スブラーマニヤムは父称名。
*12 現ケーララ州南マラバル地方パーラッカード県都パーラッカード。
*13 スリランカの公用語の1つ。
*14 ジュリーにとっては、苦悩の入口でもあるわけだけど…。
*15 その頃の時代を、肌で感じたことない世代ですけど。