インド映画夜話

Cobra 2022年 181分(174分とも)
主演 チーヤン・ヴィクラム
監督/脚本 R・アジェイ・グナナムトゥ
"問題はすべからく、数学で解明される"




 新進気鋭の実業家ラジーヴ・リシが世界を騒がせている昨今、世間は彼を「天才的な億万長者」と讃えるかと思えば「冷酷非道の悪魔」と罵る者たちもいて、なにかと衝突の種になっていた…。

 そんな世の中で突如、オリッサ州首相、フランスの市長、スコットランド王子が別々の場所、別々の時間に、共通して白昼堂々衆人環視の中で暗殺される事件が発生する。
 これらの暗殺事件を追うトルコ人インターポール捜査官アスラン・イィルマズは、3つの事件が全て緻密な物理計算の末に実行された同一犯…暗殺者"コブラ"の仕業であると言う論文をパリの捜査本部から突きつけられた。
 アスランは、早速この論文の著者を訪ねに南インド タミル・ナードゥ州都チェンナイに向かうと、論文の著者である犯罪学部に飛び級入学した天才少女ジュディス・サムソン(通称ジュディ)が直々に中央捜査局に乗り込んできて、彼に言い放つ…「貴方の理論では、犯行を説明しようとしても実行不可能なのよ。州首相暗殺は銃による遠距離狙撃じゃない。それはダミー。犯人は、もっと複雑な数式を組み上げた上で実行してる…世界的な数学研究に関わる人物のはず。今それを証明してあげる。…さあ、このゲームに参加してみましょう…!!」

 その頃、同じチェンナイに暮らすジュディの先生であるバーバナ・メーノーンは、小学校教師マディ(本名マティアザガン)に告白させようと必死だったが、当のマディはその気はあるはずなのに、なにをされても好意を示してくれない。寡黙な彼は、ただ沈黙の中でなにかを熟考し続けているだけ。
 ある夜、彼は近所のレンタルPCを使って「ラジーヴ・リシ」の名前を検索し始めると…!!


OP Adheeraa (勝利者よ)


 スマッシュヒット・ホラー映画「デモンテの館(Demonte Colony)」で注目を集めたR・アジェイ・グナナムトゥの3本目の監督作となる、タミル語(*1)サスペンス・マサーラー・アクション映画。

 インドより1日早くドイツで、インドと同日公開でアラブ、オーストラリア、フランス、英国、ノルウェー、ロシア、シンガポールでも一般公開されたよう。
 日本では、2023年の渋谷インド映画祭にて英語字幕版で上陸。

 グナナムトゥ監督第1作「デモンテの館」が都市伝説をもとにした新機軸密室ホラー、第2作「まばたかない瞳(Imaikkaa Nodigal)」が謎の連続殺人犯を追う者たちを襲うスピーディーなサスペンススリラーとして大きな話題となった後を受けて、本作はグナナムトゥ監督作では初となる本格マサーラー映画的な全部載せ映画をぶちかましてくれている1本。
 変幻自在な怪演で評判のヴィクラムを主演に迎え、寡黙な数学教師、変装の達人の正体不明な暗殺者コブラ、幻の相手と対話し現実と虚構の区別をなくした哀れな中年男性の自問自答、長年別れ別れとなった兄と弟……それぞれ一癖あるキャラクターを演じさせながら、あらゆる角度でヴィクラムの演技力の幅を見せつけ、ヴィクラムの最大の見せ場を築き、ヴィクラムの存在感をアピールする。それなりに派手な画面効果でアクションを作り上げるレイアウトは超カッコエエの一言であるし、色彩統一された画面の中で蠢く群衆に潜むヴィクラム演じる主人公の存在感、静と動の効果的対比構図、「天才的数学の応用」の一言で説明される暗殺に用いられる仰々しい仕掛けの数々…と、明るく派手派手な他のマサーラー演出とは一線を画すグナナムトゥ監督流のスタイリッシュさは、過去2作にも負けないハッタリと情報の錯綜具合、スター俳優のスター性を逆手に取った感情表現の独特な振幅演出が美し&超パワフル。

 そのヴィクラムの活躍を中心に組まれた映画構造の中にあって、前半はそれ以外の登場人物たちの視点が錯綜する群衆劇的な複雑な伏線を描いている本作。ヴィクラムの活躍のお膳立てとして活躍する若手たちの活躍も目覚ましく、タミル語映画界の元気さを見せつけられているようでもある(*2)。

 当初の主人公然として登場するインターポール捜査官アスラン・イィルマズを演じているのは、1984年グジャラート州ヴァドーダラー県ヴァドーダラー(*3)生まれのクリケット選手イルファン(・カーン)・パターン。
 父親はヴァドーダラーのモスクに勤めるムアッジン(*4)で、やはりクリケット選手になる兄ユースフ・パターンと共にモスク内で育ったという。両親からは神学者になるよう勧められながら、兄共々クリケットに興味を示し、貧乏ながら元クリケット選手の指導を受けてヴァドーダラーのクリケット・14才以下代表選手に選抜。以降も年々好成績を残して15才以下インド代表選手に選抜もされて国際大会で活躍する。00年以降、"バローダー・クリケット・チーム"などの選手としてプロリーグを渡り歩いて活躍する他、イングランドの"ミドルセックス・カントリー・クリケット・クラブ"にも所属していたこともある。
 数々の試合で好成績を叩き出す活躍を残し、2020年に選手を引退。兄弟でクリケット選手育成学校"クリケット・アカデミー・オブ・パターンズ"も設立している。
 映画には、03年の短編ヒンディー語(*5)映画「Jab Chaye Mera Jadoo」に出演している他、04年の「僕と結婚して!(Mujhse Shaadi Karogi)」に本人役でカメオ出演していて、本作で本格的に男優デビューする事となった。

 前半のみなら、このアスランを副主人公にして立てている雰囲気濃厚の映画にあって、彼と共に事件の真相へ迫るヒロインが3人登場し、それぞれの見せ場が用意されている感じ。
 主に前半に活躍する天才少女ジュディス・サムソン役を演じるのは、タミル人女優ミーナクシー・ゴーヴィンダラージャン。ヴィジュアル・コミュニケーションの学位を取得後、17年のTVシリーズ「Saravanan Meenatchi Season 3」で女優デビュー。19年のタミル語映画「Kennedy Club」で"ミーナクシー"役で映画&主演デビューし、タミル語映画界で活躍中。

 そのジュディスの先生にして主人公マディの恋人役となる第2ヒロイン バーバナ・メーノーンを演じるのは、1992年カルナータカ州ダクシナ・カンナダ県キンニゴリ(*6)のバント系(*7)マンガロリアン(*8)家庭に生まれたスリニディ(・ラメーシュ)・シェッティ。
 電子工学の学位を取得後ソフトウェア・エンジニアとして働き出すも、すぐにモデルクイーンになると言う夢を叶えるためにモデルコンテストに出場。2015年度ミス・南インド選考会にて"ミス・カルナータカ"と"ミス・ビューティフルスマイル"を獲得。さらにその後も数々のモデル賞を獲得。18年のカンナダ語(*9)映画「K.G.F: Chapter 1」で映画デビューして、SIIMA(国際南インド映画賞)カンナダ語映画新人女優賞ノミネートとフィルムフェア新人女優賞ノミネートする。22年の続編「K.G.F: Chapter 2」を挟んで、同年公開の本作でタミル語映画デビューとなった。

 主人公マディの過去に関わる第3のヒロイン ジェニファー・ロサリオ役には、1995年ポンディシェリ連邦直轄領ポンディシェリ(*10)生まれの女優ミルナリニー・ラヴィ。電子通信の学士号を取得後、IBMのソフトウェア開発業に従事するも、女優を目指して退社。ネット動画制作を通してティアガラジャン・クマララージャ監督に声をかけられ、彼の監督作となる19年のタミル語映画「Super Deluxe(スーパー・デラックス)」で映画デビュー。同年に、タミル語映画「Champion」と共に「Gaddalakonda Ganesh」に主役級で出演してテルグ語(*11)映画デビューもしている。前者でSIIMA国際南インド映画賞のタミル語映画新人女優賞ノミネートを、後者で同じ映画賞のテルグ語映画新人女優賞ノミネートに選ばれている。

 映画前半に重要要素となる、複数の登場人物たちの思惑、複雑な数式を用いた暗殺術などのハッタリ具合はグナナムトゥ監督の過去作以上に暴走気味でインパクト大。そこから、主人公マディの背景と本音が現れていく中盤以降は、マディと"暗殺者コブラ"の2者にのみ注目が集まり、前半の群集劇要素、数学要素はどんどん影を薄めて、マディの過去の経緯とその内面世界、現実と妄想が交差する彼の見ている主観世界の危うさが中心命題になっていく。
 「数学で全ては説明される」と語っていた前半に対応して、後半バトルでもそういった数学的ロジックが欲しかった気もするけど、いつもの2本立てマサーラー方式と思った方がいいのかな…と納得したくなるほどにはボリューミー。映画ごとに毎度変幻自在な役作りを見せるヴィクラムが、何者にも変装できる正体不明の男を演じるってだけで、もう期待度跳ね上がり&その期待に応えるように多種多様なヴィクラムの姿が拝める映画でもありますわ。映画の多様性ってこういうことヨネ!(んなわけない)

 サスペンス劇としては「まばたかない瞳」の方がドキドキドンデン返しが決まっていたものの、主人公の境遇、過去の悲劇、その生涯を賭けた生き様の苦悩とそれゆえの天才性・ヒーロー性の生み出し方は、何段階も進化していっている。この暴走気味でありながら、なんともワクワクさせられてしまうグナナムトゥ監督作のさらなる到達点が今後どうなっていくのか、本作の先にどんな映画へと化けていくのかが楽しみになっていく1本ですわ。



挿入歌 Tharangini (タランギニ [君は、僕を寂しがらせるようなことはしない])

*囃し言葉のような「タランギニ」とは、ヒンドゥー文化圏の女性名で「鳥」を意味する名前。



「Cobra」を一言で斬る!
・マティの学生時代のエピソードで、飲食店でのバイトのシーンがあったけど、インドの都会ってチップ文化なのくわ!!(場所・店によって異なるみたいだけど)

2023.6.3.

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*1 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*2 あるいは、次々に登場する新人俳優の回転の速さに驚くべきか。
*3 現地発音に揺れがあるため、日本語表記としてはバローダー、ワドダラなどとも書かれる。
*4 1日5回の礼拝を前に、その呼びかけ役を務める人。
*5 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*6 または同県のマンガルール生まれとも。
*7 別名オッケルメ。カルナータカ州南西沿岸部の南カナラ地方〜ケーララ州カサラゴド県にまたがるトゥルナードゥ地域に広がる、トゥル語とクンダガンナダ語を母語とする大規模な地主階級の子孫たち。独自の母系社会、宗派、暦を持つ。バントとは、トゥル語で「戦士」の意。オッケルメが「耕作者」の意だそう。
*8 バント・コミュニティにおける、マンガルールの先住民たち。別名クドラダクル、マンガローリナヴァルー、コディアルカールなど。
*9 南インド カルナータカ州の公用語。
*10 タミル・ナードゥ州とその周辺に点在する元フランス領インドだったポンディシェリ連邦直轄領の首府。06年に直轄領名称はタミル語発音のプドゥッチェーリに変更されたものの、市名は従来通りフランス語発音のポンディシェリのまま残されている。
*11 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。