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Dhruva 2016年 165分
主演 ラーム・チャラン & ラクル・プリート・シン
監督/脚本 スレンデル・レッディ
"我が敵こそ、我が力の源"
1980年のアーンドラ・プラデーシュ州(現テランガーナ州内)ランガーレッディ県の村ジャンバプル。
地元政党の下級党員だったチェンガラ・ラユドゥは、党首N・スリーニーヴァサ・プラサードへの忠誠心厚く、妻の突然の陣痛時も政党運動に忙しいままで、党首の用意した車の中で妻は息子ヴェンカンナを産んでいた。
時は流れて1995年。
ヴェンカンナの10年生国家試験1位獲得を祝うチェンガラは、親子で政党の党議長になったスリーニーヴァサ・プラサードの事務所を訪れるのだが、そこで議長が口論相手を誤って殺害してしまう現場を見てしまった! 突然の事に慌てる議長は、罪が軽いであろう未成年のヴェンカンナに身代わりで犯人になってほしいと懇願し、その見返りにチェンガラにMLA(立法議会議員)の席を用意すると言い出す。動揺する父親を尻目に、ヴェンカンナは父親が尊敬する議長の申し出の通りにする事に同意し、そのまま少年院へと送られていく…。
そして、さらに時は流れてその15年後。
ハイデラバードのIPS(インド警察機構)訓練学校に通うK・ドゥルワは、同期の訓練生たちと密かに世間を騒がす凶悪犯罪を解決し、犯人たちを断罪する活動を始めていた。しかし、彼らの目の前で起こった強盗殺人の犯人を警察に引き渡した翌日、逮捕されたはずのその犯人グループのリーダーが内務大臣と共にIPS本部に盛大に迎えられている現場を目撃してしまう…!!
権力と犯罪の癒着に動揺する仲間たちに対して、逡巡していたドゥルワは彼らにも秘密にしていた自分の研究を開示する……一見無関係なように見える過去の犯罪の1つ1つが裏で結びつく、世界的な犯罪ネットワークの存在を暴き出す研究を…。
経済的利益のために、安全性を確保できない新薬販路を構築しようとする権力者3人に的を絞って捜査を開始するドゥルワたちだったが、その3人共が製薬会社マザー・テレサ・ラボを通じて同じ目的で行動していることを突き止める。今や州の厚生大臣となったチェンガラ・ラユドゥと、出所後に外国で学んで新薬開発の責任者となったシッダールト・アビマニュ…かつてのヴェンカンナ…の手によって行われている非合法な新薬開発、その被害者や危険性を告発しようとした人々を単独犯罪を装って闇に葬る犯罪システムの実態を…!!
挿入歌 Neethoney Dance Tonight
タイトルは主人公の名前であるけれど、その語義は「北極星」の意を持つヒンドゥー神名。
リグ・ヴェーダに伝わる古代から敬われるヴァス神群(*1)の1柱で、2人の妻を持つウッターナパーダ王の子供として産まれながら、父王と継母に冷遇され、実母の勧めに従いヴィシュヌ神に帰依するために5才でありながら出家。最初は出家を止めようとしたナーラダ仙から専用のマントラを授かり、ヤムナー河近くのマドゥヴァナ森で苦行を始めてヴィシュヌ讃歌となるドゥルヴァ・ストゥティを生み出し、ついにはヴィシュヌに認められて星辰の中央の座(北極星)を与えられたと言う。
別の伝説では、ヒマラヤに住むヤクシャ(=夜叉)によって異母弟と継母が殺されると、アラカプリのヤクシャの王国に乗り込んで犯人もろとも無実のヤクシャたちまで殺戮し続けたという。祖父によって沈静化されたドルヴァは、ヤクシャ王ヴァイシュラヴァナに謝罪し、両者は協議の末にヤクシャ王はドゥルヴァからの献身を、ドルヴァはヴィシュヌ神からの恩恵の維持を求めてこれを許可されたと語られる。
2015年のタミル語(*2)映画「Thani Oruvan(ただ1人)」の、テルグ語(*3)リメイク作。
オリジナル版と同じ役で、アルヴィンド・スワーミーが共通して出演している。
インドと同日公開で、クウェート、アイルランド、米国でも公開されたよう。
のちにヒンディー語(*4)吹替版も公開されている。
独自進化するマサーラー映画の中でも妙な映像圧を生み出し続けるスレンデル・レッディ監督作にあって、リメイク作だからかわりとやりたいことが整理された(*5)激情型アクションサスペンスな1本。
人の命や人生をなんとも思わず、保身に走る上に「金になる」と知るや人の命すら利用する世間の腐敗を糾弾する物語であると同時に、持ち前の頭脳を腐敗しまくった世間に合わせて使い分けるヴェンカンナの巨悪を肯定する、父親チェンガラ・ラユドゥの無知で純粋であるが故に善悪の区別もつけられずに腐敗を助長させていく庶民の悲しさをも描いていく物語が、マサーラー映画の描く悪の重層的な絶望度を高めてくれる。
ラーム・チャラン演じる主人公ドゥルヴァの始末人ヒーローとその仲間たちの頼もしさは相変わらずだし、そんな彼らを襲う、自分たちが所属する正義の執行人であるべき警察組織の腐敗と、それが招く悲劇の恐ろしさは相変わらず「そこまでやるか」ってインパクトなインドなわけですが、本作では主人公たちの友情と正義感の激熱さがカッコよく描かれていく爽快さと対比されて、悪役側に父子のつながり、党議長スリーニーヴァサ・プラサードを含む父性への崇拝、強固な結びつきが描かれていくのが印象的。いつもは善側で描かれる家族的つながりが、悪役側で描かれて主人公側は友達・恋人・同志たちで対抗するあたり、世間の腐敗に対する1つの解決の姿を強調するようでもあり、青年世代への期待を描くようでもあるか(*6)。
マニ・ラトナム監督に見出されて、同監督のテロと社会3部作の第1作「ロージャー(Roja)」第2作「ボンベイ(Bombay)」で純朴な主人公を務めていたアルヴィンド・スワーミーが、オリジナル映画と続投で、本作でも同じ悪役シッダールト・アビマニュを演じ、自分の信じる正義…父性への絶対的帰依を演じている点も強烈(*7)。第1印象で、少し丸くなったアルノーダイ・シンみたい、とか思ってた自分に喝ですわ。
そのシッダールトの父親チェンガラ・ラユドゥを演じるポサニ・クリシュナ・ムラーリーも、アルヴィンドに負けず劣らずその幼稚な純朴さを好演。世間知らずな狭い価値観をコミカルに演じながら、いつものコメディ演技にはない狂気漂うその純朴さが、全てを理解しながら犯罪に突き進む息子シッダールトとの絶妙な相性を生み出していて、悲哀を醸し出す悪役親子を生み出していてスゴかった…。
本作ヒロイン イシカ演じるラクル・プリート・シンも、自分で道を切り開くヒロインを好演。相変わらずマサーラー映画はヒロインの活躍が限定的にはなるとは言え、他の映画よりガッツリ物語の主軸に関わり、自分で危機を迎え撃つパワフルな存在感がお美しい。主人公の仲間たちの友情の厚さ、それ故に起こってしまう凄惨な悲劇の悲しさを、主人公ドゥルワと共に歩んでいくヒロインの活躍もそれなりに描かれていくのもカッコよくてマル。
腐敗して世の中に対して役に立ってない警察組織の堕落が描かれると言っても、主人公グループの影の活躍によって犯人が逮捕されれば、(ある程度)法の裁きを受けさせる警察への信頼もかろうじて生きている本作にあって、その警察の頼もしさが描かれる中心にあるのが、ドゥルワたち新人警官たちの熱血さ、過去にとらわれない新しい観察眼と行動力、特にその団結力として描かれていく本作。その中心で皆を鼓舞する主人公ドゥルワは、まさにその名が示す通り「人々の中心に座する存在」のなんたるかを見せつけてくれる。映画ヒーローかくあるべしと言うがごとくな姿を見せるとともに、そんな彼の協力者、真相解明の鍵を与えてくれる人々が、警察、医療界、法曹界などの若手たちであり、新人たちこそが物事の中心に座するに足る力を持つとでもいいそうな、正統派ヒーローヒロイン映画を見せていく。そのタイトルが示す主人公の名前「ドゥルワ(星々の中心の座)」が、ただ個人の名前に限らない称号のように響いていく心地良さは、正統派に振り切ったからこそ胸を打つ力強い名前となっているようでもあるか。
挿入歌 Dhruva Dhruva (ドゥルワ・ドゥルワ)
「Dhruva」を一言で斬る!
・警察学校生ってのはそんなに暇な時間があるのか? 非合法な危険な新薬開発してる研究所はそんな簡単に潜入できるのくわ?
2026.9.18.
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