インド映画夜話

Ekti Nadir Naam 2002年 84分(88分、90分とも)
主演 シブ・プラシャード・ムコーパダーイ & ショーミー・カイセル他
監督/脚本 オヌープ・シン
"行く河の流れは変わり続ける。私たちもまた…"




 「さあ、お話をはじめません? 固いお話になるのかしら?」
 「いえ…白昼夢のような話ですよ」
 「郷愁を誘うような?」
 「でしょうね…河の、夢の中の河のお話です…」

 「リッティクより7秒早く生まれた私は、彼と違って小さく弱々しい赤ん坊でした。誰も長生きしないだろうと思ってたのに、もう76歳になるわ。あの頃、みんなが遊びまわるリッティクを"ボーバ"と呼んでいました…だから、私のことは”ボービ"と呼ぶようになったのよ…」

 やがて、リッティクと母は故郷を追われ、ガンガー(=ガンジス河)を渡って大都市コルカタへと引っ越していく。川と共に生きてきた今までに別れを告げるように…。
 彼の母は語る「あの時、たくさんの難民たちが見えました…まるで私たちのように…。それは、生まれ故郷の国を彷徨う放浪者のようでした。憶えているわ。リッティクはその光景を見て言ったの。『難民じゃない人なんているの?』って…」




 タイトルは、ベンガル語(*1)で「河の名前」。英題「The Name of a River」としても知られる。

 バングラデシュとインドで活躍した映画監督リッティク・ゴトク(1925生〜1976没)の生涯と、彼の手がけた印パ分離独立闘争を描く分離動乱3部作(*2)へのオマージュを捧げる、インド+イギリス+バングラデシュ合作映画。
 02年にアルゼンチンのマル・デル・プラタ映画祭にて初上映され、翌03年に一般公開されたよう。

 巨匠リッティク・ゴトクを師匠と崇めるオヌープ・シンの監督デビュー作にして、そのリッティク・ゴトクの生涯を関係者たちの語り風に描く再現ドキュメンタリー的な劇映画。
 いわゆる"ドキュドラマ(再現ドキュメンタリー)"と呼ばれる映画ジャンルも隆盛を誇り数々の映画人を輩出するインド映画界にあって、その様式を映すかのような静かな映像詩的画面で織り成すリッティク・ゴトクの少年〜青年時代を、印パ分離闘争とバングラデシュ独立戦争に翻弄されるベンガル人難民たちの様子を重ね合わせて描いていくのは、元ネタとなるリッティク・ゴトク監督作からのオマージュも多々あるんだろうなあ…と思いつつも、それらの映画知識も歴史知識も少ない身では、なかなかに理解が大変。その中にあって、日常会話の積み重ねの中に自然と入り込んでいく叙事詩の台詞回しや映画ネタの話題にかこつけた、世相や社会へのメッセージに、そう言う「芸能」の生活への密着具合、そこに託された現実との対比・諦観・希望絶望の変転具合の醸し出す虚しさは要チェック…か。
 ガンガー(=ガンジス河)の流れを人生に例えるあたりは、「方丈記」と通じる感覚なのかなとは、この手のベンガル語映画見るといつも思うことではありますが(*3)。

 監督を務めるオヌープ・シンは、1961年アフリカは英領タンガニーカ(現タンザニア)のダルエスサラームのパンジャーブ系シーク教徒の家生まれ。
 独立運動の渦中、家族でボンベイ(現マハラーシュトラ州都ムンバイ)に移住後、長じて文学と哲学を修了。プネーの映画&TV研究所を経てTV映画監督に就任し、BBC Twoの顧問も務めていたとか。
 本作で劇場長編映画監督デビューとなり、世界中の映画祭で上映されていくつかの映画賞を獲得。次の監督作となる印独合作の2013年の映画「Qissa」も世界中で映画賞を獲得する傑作として注目され、以降も、複数国の共同製作映画を監督し続けている。現在はスイスを拠点に映像製作に従事し、国籍もスイスに変更している。

 タイトル自体が、印パ分離闘争時代を描く73年公開のリッティク・ゴトク監督作「ティタシュという名の河(Titash Ekti Nadir Naam)」に因んでるのかなあ…と思っていると、やはり劇中でも登場人物の語る台詞の中にもこの映画が言及されていたりする。
 それぞれの登場人物は、過去を回想する形でリッティク・ゴトクの生きた時代…ベンガル地方を分断し無数の人々の人生を混乱させた分離闘争〜独立戦争の激動のさまを、ガンガーのほとりに生きる暮らしの有様を見せながら淡々と語り描いて行く。あくまで再現劇だから、と言うのもあるのかもしれないけど具体的な地名が「コルカタ」「バングラデシュ」くらいしか出ず、歴史的背景の説明もほぼなし。人名も必要最小限にしか出てこないので、お話はリッティク少年の軌跡と言うより、あの時代を生き抜いてきた不特定な人物の軌跡をそれぞれの語り手目線で再構成して行く感じにも見える。
 具体的史実背景の説明がないのは「ベンガル人ならわかるでしょ」と言う共通体験に根ざした物語だから、と言うのもありそうで、それを象徴するかのような放浪詩人バウルの民謡歌が、混乱する現実への風刺としてなんども歌われていったりする。コルカタに舞台を移してから出てくる、似たような屋外での演劇活動シーンは、当時抵抗運動として活性化していたベンガル語保存運動の多少様式化された描写だったりするのだろか…。
 ベンガル大飢饉、印パ分離、東パキスタンからのバングラデシュ独立戦争へと次々に移りゆくベンガルの分断と混乱は、それぞれに同じ河の流れに息づく人々のアイデンティティをその都度その都度崩壊させて行く。自身が寄って立つ生存の基盤を欲する人々が求めるものは、ベンガルの自然であったり、言語の伝統であったり、芸能の有り様であったり。「映画」と言う媒体をも飛び越える、生きるための個々人の表現欲求が、リッティク・ゴトクと言う1映画人の生きた時代に仮託され、描写され、再考された「闘争とはなに」「生きるとはなに」「映画とはなに」を問う1本…でありましょうか。

挿入歌 Song of Ganges


受賞歴
2002 タンザニア Zanzibar International Film Festival 銀帆船賞


「ENN」を一言で斬る!
・暮らしに立脚する「ここで生きていっていいよ」という承認が何度も何度も崩されるという経験、その上に立つベンガル人の生き様ってのは、そう簡単に外国人が『理解した』とは言えんよなあ…と噛みしめるわけです。こういう映画を見ると。

2022.11.11.

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*1 インドでは西ベンガル州とトリプラ州の公用語で、バングラデシュの公用語。
*2 60年の「雲のかげ星宿る(Meghe Dhaka Tara)」、61年の「Komal Gandhar」、62年の「黄金の河(Subarnarekha)」の3作。
*3 こちらは、行く川の流れそのものが「常に変わり続ける」んだけども。