インド映画夜話

ガリーボーイ (Gully Boy) 2019年 153分
主演 ランヴィール・シン(歌も兼任) & アーリアー・バット
監督/製作/脚本 ゾーヤー・アクタル
"言葉で気持ちに火をつけろ"




 ムンバイのスラム街ダラヴィ地区に住む大学生ムラド・アーメド。
 彼は、幼馴染の医大生サフィナ・フィルダウシーと密かな、かつささやかな恋愛を楽しみつつ、趣味のラップに没頭して現実の憂さを晴らす毎日を送っていた。

 ムラドの父親が、家族に無断で2人目の妻を迎えて家に険悪な空気が流れるある日、その父親が足を負傷してムラドが父の仕事…お屋敷の専属運転手…を担当しなかればならなくなる。その中で見せつけられる圧倒的生活格差と、自分に突きつけられる貧困層への差別に、彼はただ独り歌に託して叫び続けるしかなかった…。

 そんなある日、大学のイベントで感銘を受けた地元のストリートラッパー MCシェール主催のラップバトルが近所で開催されると知って、ムラドは書き溜めた歌詞を彼に進呈しようとイベント会場に駆けつける。
 しかし、「お前の言葉をなんで俺が歌う? 自分で歌え」とシェールに言われて舞台に引っ張り出されたムラドは…!!


挿入歌 Doori (距離)


 ムンバイ最大のスラム街ダラヴィを舞台に、実在のストリートラッパーNaezyとDivineの半生をモデルに描くヒンディー語(*1)映画。
 インド映画初の、ラップ音楽をテーマにした映画でもあるそう。

 ベルリン国際映画祭でプレミア上映されたのち、インド本国と同日公開でオーストラリア、デンマーク、スペイン、フランス、インドネシア、アイルランド、ニュージーランド、米国他世界中で公開。
 日本では、2019年にSPACEBOX主催の自主上映で英語字幕版が上陸。同年に日本語字幕付きで一般公開された。

 90年代のA・R・ラフマーンの登場以降大きく変化し、世界の音楽シーンと融合し進化し続けてきたインド音楽の中にあって、これまでメインストリームとならないながら、主に若年層を中心に被抑圧層の社会批判などを取り込んで大きな波を起こし始めているインド・ヒップホップ文化を正面から描く野心作。
 物語は、才能を持ちながら生まれた環境によってくすぶっていた主人公のアーティストとしての成功を描く王道ながら、実際のラッパーたちを集めて撮影されたラップバトルや、主演ランヴィール・シン自身が歌うラップソングの数々など、製作総指揮に世界的なラッパー NASを迎えてのラップ音楽・そのヒップホップ文化そのものを大きくフューチャーし、インドにおけるヒップホップ文化が、数々の社会的抑圧を打破する文化的役割として飛躍している様を表していく。そこに、iPadなどの身近なIT機器とネット環境が人々の発言の場として機能し、こうした新たな文化の担い手となっている様子も同時に見せつけられるよう。

 日本では、本作と同年公開作となった同じヒンディー語映画「シークレット・スーパースター(Secret Superstar / *2)」との共通性を探す人も多いみたいで、たしかに同じ音楽映画として両者を比較したい欲求も、見てる間に出てきてしまう。
 共通点としては、歌を通しての自己実現と現状打破、強権的な父権との衝突、諦観するしか無い未来の展望への絶望、それでもなお抱かずにはいられない青少年世代の夢の価値、ネットによる個人の能力開花具合…と言った部分の描き方。
 相違点としては、父権に支配される母娘関係を通しての女性の社会進出を描く「シークレット〜」に対して、大人世代に潰され夢を諦めざるを得ない大学生たちのもがき苦しむ様子を描くのが本作。個人の歌とラップと言うジャンル全体の勃興具合の差。かつてイスラーム教徒虐殺事件の起こったグジャラート州の都市を舞台としていた「シークレット〜」に対しての、イスラーム教徒をはじめ様々な移民たちによって作られたムンバイのスラム街の『超富裕層がすぐ隣で暮らしている様を見ているにも関わらず、一切そこに入っていけない』環境の哀しさ・諦観具合といったあたりでしょうか。
 個人的には、「シークレット〜」はその数々の家族劇に何回も泣かされ続けた感動作だったけど、本作は社会格差や主人公たちの状況に対する怒りや悲しみを共感する方が強くて「泣く」という方向にいかない感動を与えてくれる映画でございました。ゾーヤー監督作は、過去作も含めてその青春劇の作り方はスキが無い分、そつも無い感じで…まあ、そういう完成度も大好きですけども。
 ラストの駅のプラットホームを見下ろす上下空間設計なんかは、同じくダラヴィを舞台にしていた「スラムドッグ$ミリオネア」がラストにインド映画へのオマージュを持ってきたことに対する、本作なりのオマージュかねえ…と、しなくてもいい深読みもしてしまいましたことよ。

 ラップミュージックなるものに全然疎いワタスですが、映画で劇中歌が流れるたびに身体が動いてしまうし、見終わってからも劇中歌が頭の中をヘビロテしまくり。他のインド映画でも似たような感覚にはなるものの、わからないなりにヒンディー語の「語り」の強さ、その韻をふむリリカルな音の心地よさ、詩と歌が歴史上・生活上でなお力を持って人々の口を出て語りつなげていく実際のパワーを感じずにはいられない。
 その中で、「大きな夢など見るな」「分相応を理解しろ」と言う現実の圧倒的な壁に対して「自分は価値がある」と言い切るためには、ここまでの布石を打ち、その力を証明しなければならないと言う面も注目しておきたい。物語的には、わりとトントン拍子に見えるその歌の力の広がり具合は、それに共感し、現実に反発し、ビジネスとしても通用するレベルでの力とパフォーマンスを必要とする。そこに現れる競争原理もまた、無視できない現実であり、混沌とするほどの人口を抱えさまざまな人々が同じ場所で違う生活を送るインドの現実でもある。
 「語り」によって現状を打破するのも、「暴力」によって現状に抵抗するのも、その現実への対処の仕方1つなんでしょう…と言い切るには、やはりかなりの覚悟がいるよなあ…ムラドの父親の最後の言い分に「ムゥ」と考えてしまう自分としては。

 にしても、冒頭に出てくるスラムツアーってホントにやってることなの?
 なんて悪趣味な観光根性だろう…と思うと同時に、そんなんで金を稼ごうとする商売根性の筋金入りさに恐れ入りますわ。みなさん強いわホント。

プロモ映像 Apna Time Aayega (オレたちの時代が来た)


受賞歴
2019 Asian Academy Creative Awards 注目作品賞
2019 韓 Bucheon International Fantastic Film Festival 最優秀アジア映画賞
2019 豪 Indian Film Festival Of Melbourne 作品賞


「ガリーボーイ」を一言で斬る!
・我がスタンド、ガリーボーイ発動! 能力は、人の頭にボトルを叩き落とす!!

2019.10.21.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 本国では17年公開作。