インド映画夜話

ハーティー 森の神 (Haathi Mere Saathi) 2021年 158分
主演 ラーナー・ダッグバーティ & プルキット・サムラート(タミル語版・テルグ語版ではヴィシュヌ・ヴィシャール)
監督/脚本 プラブ・ソロモン
"失くしてはいけないものが、ここにあるー"




 森林保護区の奥に、動物たちと暮らす男がいた。
 彼の名はスミトラナンダン(*1)。先祖代々の森を守護し、象を家族として育ち、大統領から"森の男"という称号を贈られ、森に住む部族からは"森の神"と崇められる人物である。

 彼の暮らす森は、祖父の代から保護区として政府に承認されている土地ながら、最近になって環境大臣の依頼を受けたDRL開発グループが強制的に森の開墾を始めて土地を壁で覆い始め、スミトラナンダン率いる動物たちや部族民と衝突している。
 DRLの開発担当は象率いるスミトラナンダンに対抗するため、クムキ(訓練象)使いのシャンカル(*2)を雇うが、シャンカルは森林保護ゲリラのアルヴィに一目惚れしてしまい心ここに在らずになっていく。さらに、スミトラナンダン側がNGT(=National Green Tribunal 国家環境審判所)に訴えて開発中止令を勝ち取ると、一旦は森から撤退を余儀なくされるものの、森林開発局を通じてスミトラナンダンを無実の罪に陥れて収監させ、精神病治療を名目に彼を森から遠ざけてしまう。"森の神"のいなくなった森林に、DRLは再び壁を築き始め…!!


プロモ映像 Shukriya (感謝を)


 タミル語(*3)映画界で活躍するプラブ・ソロモンの、11本目の監督作。

 タミル語タイトル「Kaadan」は「森の人」の意。
 同時製作されたテルグ語(*4)版「Aranya(森の人)」も公開され、1部キャスト替えで同時製作されたヒンディー語(*5)版「Haathi Mere Saathi(象は友達)」がコロナ禍の影響で劇場公開を見送られてソフト販売。そのヒンディー語版が、2022年に「ハーティー 森の神」のタイトルで日本公開されている。
 1970年のアッサム語(*6)映画「Aranya」、1971年のヒンディー語映画「Haathi Mere Saathi」、1993年のパキスタン映画「Haathi Mere Saath」とは別物、のはず(*7)。

 自然を大事にしましょう、無遠慮な自然開発は手ひどいしっぺ返しを喰らいますよ、って言うド直球なテーマを豪速球で投げて来る環境保護マサーラー映画、って感じの1本。

 冒頭、さまざまな動物たちの鳴き声響く緑濃い森の状景と、そこを歩き回るラーナー演じる自然児スミトラナンダンのイケメン顔をこれでもかとアピールするシーンを見せつけ、その画面の美麗さで映画の目的の8割強は表現し終わってるんじゃなかろかってインパクトがステキ。
 そんな中で始まる物語は、舞台となる森林を守るスミトラナンダンのターザンばりの丁々発止、その主人公に立ちはだかる政治権力を味方につけた開発業者の極悪ぶり、業者に雇われつつも象たちと心を通わす副主人公的でもありトリックスター的でもあるシャンカルの活躍、主人公とは別の手段で森を守ろうとするゲリラ兵たちの必死さ…と言う、複数の視点、複数の正義で進行して行き、陰謀・暴力の応酬を経て森を守るために立ち上がる動物たち・民衆たちの力の前で大きく森林保護をアピールしていく。
 それなりに凝った舞台設定での大立ち回りは用意されているものの、主人公のスーパーアクションは前半にのみまとめられている感じで、テーマが前に出れば出るほどお話の中での居場所が限定されて活躍の場を奪われていくよう。そのせいで、特に主人公1人が特別な存在って雰囲気もなく、インド社会にはびこる政治腐敗と後先考えない強引な強権力の在り方、世間一般に広がる無理解と無関心と言う対立構造に対して主人公側がかなり無力な存在に陥れられていってしまう。次の世代を代表するようなシャンカルの立場も曖昧なまま、ヒロイン枠で出てきたゲリラ兵アルヴィの復讐のために立ち上がる彼がこの先森を守っていけるのか不安っちゃ不安な終わり方してたかな…。まあ、庶民を無視する強欲な権力者や企業論理を打破することこそ、マサーラー映画の一番大事なスカッと感なんですけども。

 そのシャンカルを演じたのは、1983年デリーのパンジャーブ系家庭生まれのモデル兼男優プルキット・サムラート(別名プルキット・シャルマー)。
 不動産業者の親の元で育ち、デザイン研究所広告コースに進学するもののモデル業を始めたことで研究所を退学。ムンバイに移って演技特訓を開始する。
 06年のTVシリーズ「Kyunki Saas Bhi Kabhi Bahu Thi(義母であり義娘でもあるから)」で男優デビューして注目され、インディアン・テリー新人男優賞を獲得。その後の12年に「Bittoo Boss」で映画&主演デビュー。好評を得て以降もヒンディー語映画界で活躍中ながら、その後しばらくはヒット作に恵まれず苦戦が続いていた。20年の「Taish」で、ボリウッド・ライフアワード助演男優賞ノミネートとIWMデジタルアワードのデジタル映画人気男優賞ノミネートされている。

 日本公開作「ハーティ」には出てこないながら、本作のタミル語版・テルグ語版でプルキット・サムラートと同じ役をやったのは1984年タミル・ナードゥ州ヴェールール生まれのヴィシュヌ・ヴィシャール(生誕名ヴィシャール・クダウラ)。
 警察高官を父に持ち、商学士を取得しつつクリケット選手として活躍。足の負傷によって選手生命を絶たれながら、寝たきり治療生活の中で見ていた映画から演技に興味を持って俳優業をしていた叔父を頼って演技特訓。09年のタミル語映画「Vennila Kabadi Kuzhu(白月のカバディチーム)」で映画&主演デビューして、エディソンアワード新人男優賞を獲得する。以降、タミル語映画界で活躍し、16年の主演作「Velainu Vandhutta Vellaikaaran(仕事中の彼は英語人)」でプロデューサーデビューもしている。

 同じ話ながら、複数言語版同時製作で1つの役を別の役者がやり、役名や土地名が言語版ごとに違う(*8)と言う点もインド映画界の複雑な要素。
 ラーナー・ダッグバーティは3言語全てで同じ主人公役を演じているものの、役名はそれぞれスミトラナンダン(ヒンディー語版)、ヴェーラバーラティ(タミル語版)、ナレンドラ・ブーパティ(テルグ語版)と異なる。象使いのシャンカルも、タミル語・テルグ語版では役者も役名も違うと思えば、ヒロイン(*9)的位置にいるアルヴィは、役者も役名も3言語で共通(*10)。それぞれの撮影スケジュールの絡まり方が、それぞれの登場人物たちの出番の長さにも影響を与えてたりとか…あるのかなあどうかなあ。
 役者やセリフが異なるだけでなく、劇中に登場する看板や書類に用いられている文字や文章も、言語別に美術スタッフが違うものを揃えて撮影に臨んでるんだから、別言語版製作といってもかなりの手間暇がかかっているインドの底の深さったら、もう…。

 本作において役者の活躍とともに存在感を見せつけるのは、何と言っても大量に出てくる野生象役の皆様。
 本作監督プラブ・ソロモンの2012年の監督作「Kumki(訓練象)」にも出演していたと言う人気象ウンニクリシュナンも参加し、人間の役者の芝居に混じって喜怒哀楽をじっくり演じる器用さはスゴい。時々象の暴走がニュースになるインドではありますが、あんないっぱいの象が人間のすぐ隣にいて縦横無尽に演技させて決めポーズまでしてくれるんだから、象ってホント頭いいよね…そりゃあ、自然も守っていかなけりゃ。ウンウン。インド映画界の未来のためにも、スター象続出させる環境は整えておいておくれ!(無責任に)



プロモ映像 Ae Hawa (風よ [彼女に伝えておくれ])





「ハーティー」を一言で斬る!
・インドの開発業者への反証として「韓国はビルを潰して植樹し、イスラエルは砂漠で耕作する」って言ってたけど、そうなの?

2023.3.18.

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*1 タミル版はヴェーラバーラティ、テルグ版ではナレンドラ・ブーパティ。
*2 タミル語版はマーラン、テルグ版ではシンガ。



*3 南インドのタミル・ナードゥ州の公用語で、スリランカとシンガポールの公用語の1つ。
*4 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*5 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語で、フィジーの公用語の1つ。
*6 北インド アソム州の公用語。
*7 ヒンディー語タイトルに関しては、1971年の同名映画にちなんでつけられたとかなんとか。
*8 言語によって名付けルールや馴染みの名前が違うから? タミル語とテルグ語は同じドラヴィダ語族だけどお互いに通じず、ヒンディー語はインド・ヨーロッパ語族に属する先の2言語とは系統が違う言語になる。
*9 と言うには出番が少なかったけど…。
*10 役名のアルファベットの綴りはタミル語版だけ微妙に違ってるけど。