インド映画夜話

ザ・デュオ (Iruvar) 1997年 158分
主演 モーハンラール & プラカーシュ・ラージ & アイシュワリヤー・ラーイ
監督/製作/脚本 マニ・ラトナム
"我が友よ。生涯の親友よ。君は今、どこを飛翔するのか"






 時は1950年代。
 売れない役者アーナンダンは、オーディションを受け続ける中とある映画監督に気に入られ、有名な詩人兼脚本家のセルヴァム(本名タミルセルヴァム)が参加する映画の主演に抜擢された。2人は出会った瞬間に意気投合し、友情を深め、…そして偶然ながら同時期に結婚する。しかし、その後すぐに映画製作が資金難から中止され、再び端役俳優に戻ったアーナンダンに追い打ちをかけるように、新妻プシュパの病死が伝えられる…。

 その後、セルヴァムとアーナンダンはお互いにそれぞれを励ましあい協力しあいながら前へ進み、アーナンダンはついに知らぬ者のないトップスターに登り詰め、映画女優ラマニと再婚。セルヴァムは政界へと進出して政治改革に着手して行く。アーナンダンがセルヴァムに感化されて彼の政党に入党すると、すぐにアーナンダン人気にのって党は選挙を勝ち抜き与党へと昇格。セルヴァムは、与党幹部として夢だった政治改革に乗り出して行くことになるが、徐々に親友2人の間には、立場の違いから来る溝が出来始める…。
 その頃アーナンダンは、新作映画のヒロインに抜擢された新人女優カルパナが、死んだ妻プシュパと瓜二つの姿をしている事に驚愕していた。カルパナも、そんなアーナンダンに興味を持ち始める…。


挿入歌 Hello Mister Edirkatchi

*突如、アーナンダンの前に現れる病死した妻そっくりの新人女優カルパナ(演じるのは両者共にアイシュワリヤー・ラーイ!![公開当時23才])。


 映画界出身の親友が、政治運動の中で道を分ち、次第に対立して行く様を描く政治風刺伝記タミル語(*1)映画。
 マニ・ラトナムとスハシーニ夫婦の脚本による、実際に政界で活躍した過去の有名映画人(*2)の人生をモチーフにした映画でもある…らしい。
 マニ・ラトナム監督作としては14作目(*3)。企画段階でのタイトルは「Anandan」。本作は、94年度ミス・ワールドであり、後のボリウッド(*4)・クイーンとなるアイシュワリヤー・ラーイの映画デビュー作となった。
 後にテルグ語(*5)吹替版「Iddaru」と、同名のマラヤーラム語(*6)吹替版も公開。
 日本では、福岡市総合図書館コレクションが収蔵。1998年の福岡国際映画祭、2015年の国立フィルムセンター「現代アジア映画の作家たち」にて上映された。

 実在の映画俳優と脚本家の人生をなぞる形で数十年の物語が展開するため、各エピソードがわりと駆け足気味で唐突な感じもするけども、当時のタミル社会と映画界を知ってる人にとってはネタの宝庫とも言える映画…なのかもしれない。外国人である日本人には結構ハードルは高いかもしれないけど。

 主役アーナンダンを演じるモーハンラール(・ヴィシュワナタン・ナーイル)は、1960年ケーララ州パサナムティッタ県エランソーア生まれ。主にマラヤーラム語映画で活躍する俳優兼プロデューサー兼監督兼歌手兼脚本家兼事業家でもある。
 州政府職員の父を持ち、学生時代に舞台演劇やレスリングで頭角を現す。1978年に友人たちとマラヤーラム語映画「Thiranottam」を製作・出演するも長年お蔵入り(*7)。同年の「Randu Janmam」で映画デビュー(らしい?)。現在まで300以上の映画に出演、30作以上のプレイバックシンガー、84年の「Adiyozhukkukal(底を流れるもの)」以降プロデューサー・配給業も始めてる。
 89年「Kireedam(王冠)」でナショナル・フィルム・アワードの批評家選出男優賞を獲得したのを始め、50以上の映画賞を獲得。01年には政府から、パドマ・シュリー賞(*8)を授与。03年にはIMA(*9)からIMA賞を、09年にはインド陸軍から名誉大佐代理を、翌10年はスリー・サンカラチャルカ・サンスクリット大学から名誉博士号を、12年には韓国の世界テコンドー本部から黒帯を授与されている。
 タミル語映画には、91年の「Gopura Vasalile」でカメオ出演したことに続いて本作が2作目の出演。

 もう一人の主役セルヴァムを演じるプラカーシュ・ラージ(*10)は、1965年カルナータカ州バンガロール生まれ。カンナダ語を母語とする中流家庭育ちで、父親はトゥル語(*11)コミュニティ出身。兄のプラサード・ラージも俳優。
 TVから映画界に入り、カンナダ語映画の端役出演を経て90年の「Mithileya Seetheyaru」「Muthina Haara(真珠のネックレス)」でクレジット・デビュー。93年の「Harakeya Kuri」で主演しブレイク。94年に「Duet(デュエット)」でタミル語映画デビュー、「Subha Lagnam」でテルグ語映画デビューとなった。96年には「The Prince(ザ・プリンス)」でマラヤーラム語映画デビューした他、「Kalki」でタミル・ナードゥ州映画賞の悪役賞を初受賞。現在までに30以上の映画賞を獲得している。01年のタミル+ヒンディー語映画「Little John」でヒンディー語映画にもデビューしている。
 その他、02年のタミル語映画「Dhaya」以降プロデューサー業も開始し、10年のカンナダ語映画「Naanu Nanna Kanasu」以降5本の映画で監督もこなしている。

 一方、これが映画デビューとなるアイシュワリヤー・ラーイは、1973年カルナータカ州マンガロール生まれ。バント家系(*12)の両親を持ち、父親は海洋生物学者。
 10代の頃に古典舞踊を訓練し、モデル業専念のため美術学校退学後、91年にフォードのスーパーモデルコンテストに優勝。94年のミス・インディアでは2位(*13)を獲得した後、南アフリカで行なわれたミス・ワールド・コンテストで優勝、フォトモデル賞をも獲得。以降スーパーモデルとして数々のブランド商品のアンバサダーを務めていく。
 97年に本作で映画デビュー(声は別人の吹替)し、同年には「Aur Pyaar Ho Gaya(そして愛は生まれた)」でヒンディー語映画にもデビューしている。99年のサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督作「ミモラ 心のままに(Hum Dil De Chuke Sanam)」でフィルムフェア主演女優賞を獲得したのを始め、今までに40以上のの映画賞を獲得。09年のパドマ・シュリー賞を始め、数々の功労賞やモデル賞なども授与されている。03年には、カンヌ国際映画祭でインド人女優初の審査員に任命。04年にインドの貧困救済のためのアイシュワリヤー・ラーイ財団を設立したのを始め、社会福祉活動にも多数参加。以降、マードゥリー・ディークシトに代わってボリウッド・クイーンに君臨した。メディア上を始め様々な恋愛関係を報じられ騒がれた中、07年に同じ映画俳優アビシェーク・バッチャンと結婚。10年には5本の映画に主演した後、出産と育児のため女優業を休止。15年に映画復帰する予定とのこと。
 インドを代表する世界的大スターであり、世界的なセレブとして活躍する人物である。

 開始10分で、オーディションに苦戦するアーナンダン〜監督に気に入られて主役に抜擢〜生涯の親友にしてライバルとなるセルヴァムとの邂逅までが描かれる凝縮に凝縮された展開は、大河ドラマの編集劇場版を見ているかのよう。その時代性、政界と映画界の密接な結びつき、トップスターの名台詞と政治家の名演説から醸し出されるタミル語の音韻的魅力なんかは、濃厚なタミル愛に満ち満ちていて、タミル語やその時代のタミルを知っているとより魅力増しになる映画かなあとかとか思いながら見ておりました。
 それが分からなくても、後のマニ・ラトナム監督作に頻出する、鉄道・線路・滝・水流・農道といったモチーフがこの頃から使われている事にも驚いていたり、かなり直球で表現される政治批判や風刺、ロマンスシーンなんかは、監督作の若さがそうさせるのか、50年代と言う劇中の時代背景の熱気故の演出かいなと勘ぐってみたりと見ていて忙しい。

 新妻プシュパで出てきたアイシュの美しさに「おおぉぉぉ」とため息ついてたらあっさり退場したのもビックリながら、元ネタありのせいかインド映画の特徴か、たくさんの登場人物たちの生死があっさりかつ急な展開をするのも油断できない。カルパナとして再登場するアイシュがアーナンダンを追いかけるロマンス構造も、現実の反映でもありタミル的恋愛構造でもあり? 現実と映画との互いの構造的影響具合も興味深い所だけど、どーせ映画初出演だからそんなに踊れないだろーとか思ってたアイシュが、思い切り踊ってくれたのもビックリ&ハッピーだったヨ!!


挿入歌 Venilla Venilla




受賞歴
1997 National Film Awards 助演男優賞(プラカーシュ・ラージ)・撮影賞(サントーシュ・シヴァン)
1998 Filmfare Awards South 主演男優賞・作品賞
セルビア ベオグラード国際映画祭 独創的作風作品賞




「ザ・デュオ」を一言で斬る!
・とにもかくにも、タミルでは(インドでは?)言葉とか話術ってのは絶大な影響力を持つもんなんですなあ…

2015.5.22.

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*1 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*2 タミル映画界の大スター M・G・ラーマチャンドランとM・カルナニディ。
*3 この翌年に、監督作初のヒンディー語映画「ディル・セ(Dil Se..)」を製作公開している。
*4 ヒンディー語娯楽映画の俗称。
*5 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*6 南インド ケーララ州の公用語。
*7 05年に公開されたそうな。
*8 一般国民に与えられる4番目に権威ある賞。
*9 インド・メディア協会。
*10 本名プラカーシュ・ラーイ。現在でもカンナダ語映画界ではラーイ姓でクレジットされるとか。
*11 南インド西海岸マハラーシュトラ州の一部〜カルナータカ州西部(いわゆるトゥル・ナードゥ地域?)〜ケーララ州にかけて使われる言語。
*12 インド西海岸トゥル・ナードゥ地域から派生した、カンナダ系貴族(元々は戦士)階級コミュニティ。バントはトゥル語で"力ある戦士"の意。
*13 この時の優勝者はスシュミタ・セーン。