インド映画夜話

Jhinder Bandi 1961年 104分
主演 ウッタム・クマール & オルンダティ・デヴィ
監督/脚本 トーパン・シンハ
"なぜ…私に輝かしい夢を見せてはくださらないのでしょうか?"
"夢です…全ては夢だったのです"


挿入歌 Mayto Hogaye Dibani (友よ、我が心が乱れ行く)


 その日、カルカッタ(現 西ベンガル州都コルカタ)に住むゴウリ・ションカル・ローイを訪ねてきた男は、自らをジンド王国の首相と名乗った。

 ジンド王国は現在、半年前に亡くなった王の世継ぎ争いに揺れている。
 王の息子ションカル・シン王子こそ正統な国王であると人々が推す中、その残虐なる弟ウディット・シン王子もまた王座を狙って王宮は混乱し、ついにションカル王子が失踪してしまう。八方手を尽くしての捜索の最中、首相はカルカッタに王子そっくりの男がいると知り、ゴウリを訪ねたと言う…。

 首相の申し出は、2ヶ月後に迫ったションカル王子の結婚式と戴冠式の日まで、ゴウリに王子の替玉を演じてくれないかと言う事。王子を発見するまでならと、これを承諾したゴウリと共にジンド王宮に帰る首相は、本物のションカル王子を地下房に幽閉するウディット王子とその側近モユル(本名モユルヴァーン)にションカル王子の健在を示して彼らを揺すぶる。だが、時同じくして王子の婚約者であるジョロワール王国の王女コストリ・バーイからの招待状が届いてしまい…。




 ベンガル人作家ソラディンドゥ・バンデョーパディヤーイの同名小説を映画化した、ベンガル語(*1)映画。
 その内容は、イギリスの小説「ゼンダ城の虜」と、その映画化群を脚色したものである。

 2015年のボリウッド(*2)映画「プレーム兄貴、王になる(Prem Ratan Dhan Payo)」よりも遥か前に、同じく「ゼンダ城の虜」を翻案したインド映画があると知って「なにそれ見たい!」と前のめりで楽しんだ映画ですわ。

 と言いつつ、アイディア元の小説は読んでないんだけど(*3)、大まかに知ってる内容からしても「主人公と瓜二つの王様」「勧善懲悪」「王様に成り代わった事で巻き起こるノスタルジックメルヘンな事件」「王女と一般人の密かな恋愛」「王宮陰謀劇」と、そりゃあインド物語にガッチリ組み込める要素満載の冒険小説みたいだし、インド的脚色がうまくいかないわけがないよね! って感じの映画でございました。
 まあ、王様に成り代わるゴウリの順応性の高さや、コルカタの紳士とジンド王族にそんな性格の差が設定されてないとか(*4)、お姫様関連のロマンスがあっさりしてるとか、展開が淡白かつ駆け足気味な感じではあるんだけど、ラスト近くに明かされる衝撃の事実(*5)から、全ての物事が夢まぼろしと消えゆく人生の儚さ・どうしようもなさが画面全体を支配し、悪役モユルのただただ俗物的な野望が消えゆく人としての虚しさが、なんとも詩的な美しさを助長させてくれまする。

 ちょい役で登場する王様のお付き女官チョンパーに、「遠い雷鳴(Ashani Sanket)」などで印象的な演技を見せていたションディヤー・ローイが出演してたり、「大樹のうた(The World of Apu)」のショウミットロ・チャタージーが初の悪役で出演してたりで、キャスト的にも豪華。というか、ションディヤーなんてヒロインのコストリ・バーイ王女演じるオルンダティ・デヴィよりも目立ってたんと違うかなあ(ファン目線)。

 本作の監督を務めたトーパン・シンハは、1924年英領インドのベンガル州カルカッタ(現 西ベンガル州コルカタ)生まれ。
 学生時代から映画に興味を持ちつつ物理学修士号を取得。小説「二都物語」を映画化したハリウッドの「嵐の三色旗(A Tale of Two Cities)」に触発されて本格的に映画の道を志しながら、46年からカルカッタの劇場にて音響エンジニアとして働き出す。50年にロンドンの映画祭に招待されたことをきっかけに、チャールズ・クレイトン監督などのもとで2年間働いて米英映画界でその技術を磨いて行くこととなった。
 インド帰国後の54年に「Ankush」で監督デビューとなり、以降次々と監督作を発表。57年の「Kabuliwala」で、ナショナル・フィルムアワード注目作品賞とベンガル語映画注目作品賞、ベルリン国際映画祭銀熊賞を獲得したのを皮切りに、監督作が国内外の様々な映画賞を次々に獲得して行く。このベルリン国際映画祭で出会った女優オルンダティ・デヴィとすぐに結婚するも、90年に死別している。
 92年には、国からパドマ・シュリー(*6)が与えられている。
 2009年、肺炎および敗血症によりコルカタにて物故。享年84歳。

 主人公ゴウリとションカル王子の2役を演じるのは、1926年英領インドのカルカッタに生まれたウッタム・クマール(本名オルン・クマール・チョットパドヤーイ。生誕名オルン・クマール・チャタルジー)。弟に、やはりベンガル語映画界で活躍した男優トルン・クマールが、親戚に作詞家プラル・ボンドョーパドーヤーイがいる。
 カルカッタ近郊のボーワニプールの地主家系(?)に生まれ、大学で経営学を学ぶも途中退学のまま港湾事務員として働き出す。この頃、家族が設立していたアマチュア劇団に参加して頭角を現し、48年のベンガル語映画「Drishtidan(献眼)」で映画デビュー。翌49年の「Kamona」で主演デビューする。当初はヒット作に恵まれず、出演作ごとにクレジット名を変えていて業界からは「フロップ・マスター大将」と揶揄される日々が続いたそうだけども、53年の「Sharey Chuattor(74と1/2)」のロングランヒットによって一躍トップスターの座につく事に。この映画で共演した女優スチトラ・セーンと共に、ベンガル語映画界の新世代を切り開くスターとなる名声を獲得して行く。
 57年の主演作「Harano Sur(失われた音楽)」でプロデューサーデビューし、66年の「Shudhu Ekti Bachhar」で監督&脚本デビュー。同年公開作「Kal Tumi Aleya」では音楽監督デビューもしている。
 50年代〜80年代初頭まで、ベンガル語映画界を代表する男優として活躍し続け、55年の「Hrad」でベンガル映画ジャーナリスト・アワード主演男優賞を獲得したのを皮切りに、数々の映画で映画賞を獲得。
 1980年、「Ogo Bodhu Shundori(やあ、美しき新婦よ / 公開は1981年)」の撮影中に心臓発作(または脳卒中とも)で倒れ、緊急入院した病院で物故される。享年54歳。その葬儀には、数千人もの人々が集まったと言う。

 ヒロイン(*7)のコストリ・バーイ王女を演じるのは、1925年英領インドのバリサル(現バングラデシュ領)生まれのオルンダティ・デヴィ(生誕名オルンダディ・グハ・トークルタ)。文化活動の支援者としてバリサルで有名なグハ・トークルタ家出身。
 幼い頃からダンス、舞台演劇、歌で活躍し、カルカッタの大学院を卒業して当初はジャーナリストを志望していたと言う。友人の脚本家ビノイ・チャタルジーを介して映画会社ニュー・シアター・スタジオで働き始めたことから、52年のベンガル語映画「Mahaprasthaner Pathey(*8)」で映画デビュー。すぐにベンガル語映画黄金期のトップスターとなって、50年代後半〜60年代に大活躍する。67年には「Chhuti」で監督&脚本&音楽監督デビューもして、ナショナル・フィルム・アワード文芸映画功績賞を受賞。その後も女優兼監督として活躍する。
 55年に短期間だけ映画監督プラバート・ムケルジーと結婚していたものの、57年にベルリン国際映画祭で出会った映画監督トーパン・シンハと再婚している。
 晩年、長い闘病生活に苦しんだ後、1990年に物故される。享年65歳。

 舞台となる架空の国、ジンド王国(*9)はマディヤ・プラデーシュ州内にある王国(藩王国?)と言う設定のようだけど、ロケはそのあたりでやってたのでしょか? 白黒画面にも映える風光明媚な景色も注目だし、ベンガル人から見たオリエンタル・インディアな雰囲気が十二分に表現された王宮の衣食住も良きかな(*10)。
 なんとなく現代を舞台としつつ、みんなすぐ乗馬で移動するし、フェンシング剣法で勝負するし、近代と中世が混ざったような王宮の陰影の中でうごめく策謀の数々が、古き良き冒険小説ものの基本をなぞる手堅い作り。そんな中で、全編ベンガル語(*11)で演技している物語にあって、王様の正体を探る悪役たちが「ベンガルの猿め!」とかベンガル人に喧嘩売ったり「此奴、ベンガル語が読めるぞ!」と脅してきたりと言うのもご愛嬌。ベンガル側から見た異国インド世界のファンタジックさが、ネタ元の「ゼンダ城の虜」とよくシンクロしている絵作りとなって、メルヘン的でありファンタジー的でありますことよ。

挿入歌 Raagmala (ラーガ選集)



「JB」を一言で斬る!
・ジンド王国の戴冠式で、イギリス人がイギリス女王の名の下に式を取り仕切ってるのは、英連邦加盟国故か、藩王国だからなのか…? 戴冠式ってそう言うもんなんだ、と言う驚き。

2020.2.1.

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*1 北東インド 西ベンガル州とトリプラ州の公用語。
*2 ヒンディー語娯楽映画界の俗称。
*3 いつの間にか、本屋から消えてるのね…「まんが道」で藤子不二雄が漫画化したやつなら、小さい頃から読んでましたけども。
*4 酒癖が悪い、と言う設定でションカル王子の株がだだ下がりではある。
*5 「ゼンダ城の虜」を知ってる人なら、なにも驚かないレベルだけども。
*6 インド国民に与えられる第4等国家栄典。
*7 …と言いつつラスト以外あんまり見せ場がない…。
*8 後にヒンディー語版「Yatrik」として有名になる映画。
*9 "ゼンダ"と韻を踏んでるね!
*10 蓮の花型のジャグジー、なんて発想がなんとも。
*11 多分…。ネイティブから聞くと、少し違う方言とか混ざって聞こえたりとかあるんでしょか?