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ジガルタンダ・ダブルX (Jigarthanda DoubleX) 2023年 172分
主演 ラーガヴァー・ローレンス & S・J・スーリヤー他
監督/製作/脚本 カールティク・スッバラージ
"お前が芸術(シネマ)を選ぶのではない"
"芸術(シネマ)がお前を選ぶのだ"
時に1973年。
タミル・ナードゥ州西部のコンバイの森にて、象牙密漁集団シェッターニ一党と、彼らを捕縛しようとする警察双方が、森に住む部族民や森林警護官を拷問し、処刑し合う地獄が続いていた。
同じ頃、マドラス(現チェンナイ)の大学祭を訪れた臆病な男キルバン(本名キルバカラン)は、恋人ルルドに「警察に採用された」と報告して婚約を進めようとしていたのだが、「あなたに警察なんて務まるの? じゃあ、あそこの学生同士の喧嘩を止めて来てよ」と言われてしまう。しかしルルドが騒ぎに気づいた頃には、キルバンは4人の学生殺害の現行犯として逮捕されていたのだった…!
それから時が過ぎて、1975年。
中央政界進出確実となった州首相シンダナイ・ラーニーの任期満了に伴い、後継を狙う映画スター出身のジャヤコディと、財務大臣カールメガムの与党内対立が日増しに激しくなっていた。
人脈に優れるカールメガムの計略により劣勢に追い込まれるジャヤコディは、カールメガムの支持母体を構成する4つのギャング組織…通称"ジガルタンダ極悪連合"壊滅を弟の警視ラトナに依頼。シェッターニ捜査に忙しいラトナは、服役中の元警官4人を前に語り始める…「政府から極秘に殺人指令が出ている。成功すればお前たちの手柄として、警察に復帰させる。断るなら一生服役していろ。さあ、どっちにする…?」その中に、無実の罪で服役させられていた臆病者キルバンがいて、彼はマドゥライを牛耳るギャングボス アリアス・シーザー殺害を命じられる…!!
アリアス・シーザー。ジガルタンダ極悪連合の中でも特に冷酷残忍な男で、象牙闇市場を一手に引き受ける、クリント・イーストウッドの大ファン。西部劇ガンマンよろしく、裏切り者をイーストウッドに扮したガンマン対決で殺すのを楽しみにしている西部劇狂。「いつかインド初の色黒ヒーローになってやる!」と言う夢から、脚本家募集の記事を出したところ、キルバンがこれを見つけて「映画制作を騙って近づいて殺す」計画を思いつくのだが…!!
挿入歌 Maamadura (マドゥライの都)
タイトルは、ヒンディー語(*1)で「心を冷やすもの」の意で、タミル・ナードゥ州はマドゥライ発祥の人気ミルクドリンクの商品名だそう。
2014年のタミル語(*2)映画「ジガルタンダ(Jigarthanda)」の、パラレルな続編映画。物語的には、この1本で独立したもの。
日本では、2023年にSPACEBOX主催の自主上映で千葉県で英語字幕上映。翌24年のシネ・リーブル池袋 週末インド映画セレクション、マーダム・オル・マサラでも英語字幕上映され、同年の池袋インド映画祭@シネ・リーブル池袋、IMW(インディアン・ムービー・ウィーク)で日本語字幕版が上映、その後一般公開され、SPACEBOXからDVD&BDが発売された。
野心的な前作「ジガルタンダ」の物語構造を踏襲しつつ、より高密度に、よりエネルギッシュに、圧倒的なまでに凄まじいエンタメに生まれ変わったリブート作と言った方が適切なような怪作にして超傑作。
マドゥライ名物を皮肉的にタイトルに持って来て、ギャング抗争映画の舞台として有名になった(なってしまった)マドゥライのギャングたちの心を溶かす「映画」と言う凶器にして狂気が、人の人生そのものを大きく変えていく武器になっていく「映画の力」「エンタメの力」そのものを見せつけていくのは前作同様。今作は、その狂気と正気の境界自体が無意味化していく残酷な現実を前にして、さらに「映画の力」がその先へ登場人物たちを導いていって、行き着く所まで行った「映画の力」そのものが現実を、大衆を、社会構造そのものまでも変えていくだけのインパクトを持っている様を見せていく。もはやそれは、「映画」と言う枠を飛び越えた「人の所業」「創作そのもの」の力を見せていくかのよう。ホント、映画と言うものが好きで、映画の力を信じてる(信じようとしている?)人たちが作った映画だようなあ…とため息が出て来てしまう1本ですわ。
冒頭のコンバイの森の惨劇、マドラスのキルバンを襲った悲劇、次期州首相の席を狙った政治闘争、マドゥライを支配するアリアス・シーザーの恐怖…と、畳み掛けるように一見関連のない4つのお話が語られていく中、罠にはめられ無実の罪を着せられたキルバンが計画する「映画撮影を偽装したシーザー暗殺計画」が進行するほどに4つの物語が徐々に一体化し、その裏に潜むどうにもならない社会悪そのものをあぶりだしていく話運びが、一見コミカルに描かれていく姿だけでも相当にサスペンスフル。
キルバン役のS・J・スーリヤーもシーザーを演じるローレンスも、今までと全然雰囲気が違うじゃん、と言いたくなるほどの役作りで役そのものになりきってる迫力も見もの。特にローレンスは「え? これローレンスが演じてるの? マジで?」って2度見したほどでありますよ。腹に一物抱えているキルバンと西部劇狂のシーザーの奇妙な友情が深まるほどに、1歩間違えばどちらかが殺される危機もそこそこに、両者がお互いに影響しあっていくバディを結成して、銃を撃つポーズとカメラを構えるポーズがシンクロしていくのも頼もし楽し麗しい。その裏で進行する象牙密輸団と腐敗した警察隊との攻防、警視からの脅迫からくる暗殺計画の政治的陰謀が牙を剥く後半からは、前作とはまた違った「映画が社会に与える影響」の大きさを描いていく、予想外なスケールの話へと拡大していくのも刺激的。
前作以上に社会の冷徹さ、腐敗具合、その絶望的状況を描き出す本作は、社会悪であり必然悪であるギャングをクリント・イーストウッド(*3)演じる西部の無法者ヒーローになぞらえつつ、最初はただのごっこ遊び(*4)だったギャングヒーロー映画が、真の社会変革を促す被差別集団のヒーローに変化していく過程、ウソで塗り固めたエセ映画監督でしかなかったキルバンが、真の法の正義を世間に見せつける警察の心情で1本の映画を公表させていく皮肉を込めた物語的円環構造も美しい。
インドにおいて映画とは、1本で人生丸ごと、1つの州の人々全ての生き方が変わるほどのインパクトを持つものであって、同時に人間とは映画そのものに生かされている生き物でもある姿を見せつけてくる1作。果たして日本では、そこまで映画と人間がお互いに力を通じ合っているのかどうなのか…。サタジット・レイの知名度がタミルにまで及んでいるインドのように、サタジット・レイと並び称される黒澤明を生み出した日本映画界の力を、日本人はそこまで信じることができる、のでしょう、か…?
挿入歌 Theekuchi ([彼女はまるで] 爆竹だ)
「ジガルタンダ・ダブルX」を一言で斬る!
・シェッターニとの対決で重傷を負ったシーザーを村まで運んで来たキルバンの「彼を救って」のセリフ、「ガンバッテに」と聞こえる。覚えました。
2025.11.28.
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