インド映画夜話

ジャッリカットゥ 牛の怒り (Jallikattu / 2019年マラヤーラム語版) 2019年 91分
主演 アントニ・ヴァルギース & チェンバン・ヴィノード・ジョーズ & シャーンティ・バーラクリシュナン他
監督 リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ
"暴走牛 VS 1000人の狂人!!"




 あるケーララ州の農村にて…。
 いつもと同じ1日が終わった夜中、明日の準備のため肉屋カーラン・ヴァルキと店員アントニが屠殺加工しようとしていた水牛が突如逃げ出して、その煽りで村の藁山が燃え出してしまった。
 この騒ぎで村の男たち全員が徹夜の山狩りをして逃げた水牛を捕まえようとするも、夜が明けても捕まえられずに、水牛やそれを追う村人に踏み荒らされて教会農園や銀行や商店が次々と破壊されていく。警察は「動物を捉えるには許可を申請しないといけない」と言って事態を放置するし、面白半分で集まってくる若い男たちは村を追放された"兄貴"こと白檀泥棒のクッタッチャンを担ぎ出して大歓声をあげるしで、騒ぎは次第に村々を巻き込んで歯止めが効かない方向へ…!!




 タイトルは、南インドでポンガル祭の時に行われる牛追い競技の名前。
 逃げようとする雄牛の背中のこぶに捕まって、振り落とされないようどれだけ長く捕まっていられるかを競う競技で、その危険性と動物保護の観点から何度となく禁止令が発令されながら、その度に住民たちの抗議の声が集まって撤回されているもの。

 リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリの7作目の監督作となる、マラヤーラム語(*1)映画。87年公開の同名タミル語(*2)映画とは別物。

 カナダのトロント国際映画祭でプレミア上映されたのち、インドと同日公開でアラブ、オーストリア、バーレーン、アイルランド、クウェート、オマーン、カタール、米国で一般公開。英国のロンドン映画祭を始め世界各地の映画祭でも上映。米国のアカデミー賞国際注目作品賞のインド代表作に選定されてもいる(*3)。後に、テルグ語(*4)吹替版も配信されている。
 日本では、2020年のアジアフォーカス福岡国際映画祭にて上映されたのち、翌21年に一般公開。

 いやあ…なんというかどこまでも不思議で不可思議な映画。
 農村の人々の暮らしにおける生活音と、その周囲の自然豊かな密林の環境音をラップ調に組み込んだ軽快なカットつなぎで始まるこの映画は、要所要所で祭の囃子手のような男声合唱が入り、かと思えばドキュメンタリー手法による人の目線(何者かの視線?)の高さでずっとワンカットの長回しで撮られる画面的に静かなシーンが続いたりと、いわゆる劇映画文法とは異なる演出法で構成される流れは、パニックムービーとしても芸術映画としても他に類を見ない独特な世界を見せつける傑作。
 過去のリジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ監督作「Ee.Ma.Yau(安らかに)」と同じような、村に集まる不特定多数の人々の介入による事態の悪化を淡々と描く映画ながら、「Ee.Ma.Yau」よりも何段階も奥深いところに進化している、野生そのものを表現するかのような勢いに圧倒される一本になっている。

 水牛を逃してしまうアントニや、その責任を負わされる肉屋ヴァルキ(*5)、荒くれ男クッタッチャンなど、ある程度主要登場人物がいて、それぞれに因縁が描かれるとは言え、映画の主軸は神出鬼没な牛を追う無数の人々が発揮する祭もかくやな高まり続ける熱狂そのもの。そこに教科書的戯曲の起承転結などはなく、「Ee.Ma.Yau」と同じく明確な中心軸となる物語も…ないことはないんだけど、ほぼないと言ってもいい。
 「水牛が逃げた」という1つの事件を通して、村人それぞれに対処するその行動論理は終始まとまらず、それぞれの我欲と権益と人間関係のそれぞれでお互いにバラバラな行動をし続けながら、その熱狂だけは映画の始まりからノンブレーキで高まり続け、最終的に頂点に達するそのエネルギーは、全ての理性をも吹き飛ばすあらゆる意味での絶頂へと観客を突き飛ばして行く。こんな映画の作り方、今までどの映画でも見たことないのではなかろか!!??

 印象的なのは、闇の中から浮かび上がるあまりに多い人のうごめく人海の姿。昼なお薄暗い緑豊かな森の生命力とでも呼ぶほかない野生の存在感。その野生と近い所で暮らしを成り立たせている人々の、文明に囲まれながらにして隠れ持つ野生的エネルギー。
 その熱狂具合は、まさに原初的な祭の発露としか言い表せないパワーでありましょか。その発露を前にしては、個人の好き嫌いだの、宗教の違いだの、人間と動物・植物の違いだのすら意味をなくし、全ては混沌の只中へと追い落とされる。森の濃厚な闇を身近にした感覚が見せる、超常的ななにかをも感じるという意味では、方向はだいぶ違うけどタイのアピチャッポン監督作「ブンミおじさんの森」と通じる「野生の暗闇」を感じさせる映画でもある…かなあ、どうかなあ。

 恐ろしいのは、こう言ったパニックムービーにあってなお警察や政治家に対する皮肉を入れて来たり、銀行員たちへの嫌味が入って来たり、老人の因習と若者の希望の世代間対立が入って来たりと、しっかり社会派な視点が構成されながら、それが上昇し続ける熱狂と一体化されて映画の流れを阻害させないどころか、一緒になって流れを加速させていると言う点。
 どんな頭してると、そんな脚本作って多人数の現場で映像化させるための共通認識を作り上げていけるんだか。特に夜の森の中を映す画角の広大さと濃厚さはなんとも美しく、それでいて異様な存在感を見せつける大画面で堪能したい絵面になっていて凄まじい。その中を蠢く水牛のアニマトロニクスは、当初の構想通りには行かずにやたらと予算を食いまくった上に、その扱い上事故も多発しまくったそうだけども。
 つくづくリジョー監督組…オソロシい子!! シメの一言も粋!!

メイキング


受賞歴
2019 International Film Festival of India 銀孔雀監督賞・特別監督賞
2019 Kerala State Film Awards 監督賞・音響ミキシング賞(カンナン・ガナパティ)
2021 National Film Awards 撮影賞(ギレーシュ・ガンガダーラン)
2021 SIIMA (South Indian International Movie Awards) マラヤーラム語映画監督賞


「ジャッリカットゥ」を一言で斬る!
・クッタッチャンが村に来て、皆に騒がれる中で最初にやることがバケツをぶっ壊すことって何かと思ったら、その取っ手からライフルの弾丸作るためなのね…その発想、西部劇か!

2022.2.18.

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*1 南インド ケーララ州の公用語。
*2 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*3 結局ノミネートされず。
*4 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*5 この人、名前がサンスクリット名って事はクリスチャンじゃなくてヒンドゥー教徒の食肉加工業者という設定なの? はたまた名前だけサンスクリット名だけどクリスチャンという設定? なんとなくはその背景が劇中で語られてはいたけれど。