インド映画夜話

Karunamayudu 1978年 160分
主演 ヴィジャヤチャンデル(製作も兼任)
監督 A・ビムスィン
"幸いなるかな、貧しき者たち。神の国は貴方たちの物となる
幸いなるかな、飢える者たち。かの日に満腹となるのは貴方たちである
幸いなるかな、泣く者たち。かの日に笑うのは貴方たちなのだから"



OP Puvvulakanna Punnami Vennelakanna

*西方教会の通例に従って、劇中ではベツレヘムの街の、ロバのいる家畜小屋でマリアはイエスを出産している(ギリシャ正教会などでは舞台は洞窟とされる)。「産まれてすぐ飼い葉桶に入れられた」と言うルカ福音書の記述は、馬小屋で産まれたと解釈するのが一般的ながら、当時のイスラエルの民俗習慣とする説もあったりする。
 ベツレヘムの街が古代イスラエルの王ダビデの出身地であるため、街を"ダビデの街"、イエスを"ダビデの子"と記述する事も多い(新約聖書では、マリアの夫ヨセフはダビデの直系の子孫であると記述しているため、[血のつながりはないとされながら]イエスもダビデの直系と讃えている)。
 歴史学的には、旧約聖書のミカ書に"この街からメシアが産まれる"と言う預言があったため、ナザレ出身のイエスがベツレヘムと結びつけられたのでは…と解釈されてるとか。



 これは、救世主イエス・キリストの物語である…。

 その昔、聖処女マリアの元に大天使ガブリエルが現れ「貴方から神の子が生まれる」と告げられた。ヨセフとマリア夫婦は苦労の末に馬小屋で預言の赤ん坊を産むと、ベツレヘムの空に星が輝き、羊飼いたちや東方の三賢人が救世主を礼拝しにやって来る。救世主誕生の噂を恐れたユダヤの王ヘロデは、国中の男児を集めて皆殺しにするが、その頃マリアたちはエジプトへと逃れていた…。

 数十年後。ローマの属州ユダヤにある街ガリラヤのナザレは、圧政と暴力、富の搾取に踏みにじられる弱者であふれていた。さらに、ローマに反旗を翻す野党バラバ一味はそれを名目に暴威を振るい、ナザレの人々はただ絶望するばかり…。
 そんな中、ヨルダン川で洗礼儀式による回心を広める預言者 "洗礼者"ヨハネは、神の子イシュア(=イエス)の来訪を予言し、やって来た彼を洗礼し荒野へと送り出す。

 40日間の荒野での断食修行で悪魔を退けて帰って来たイシュアは、"神の子"として説法を広め、病める人々を奇跡によって治療していく。やがて人々は、彼を救世主と崇め集い始めていくように。
 その人徳に注目してイシュアを仲間にしようとして、彼に拒否されたバラバ一党は激怒するが、イシュアは「もし必要であれば、私は貴方のために死のう」と宣言する。参謀役のイスカリオテのユダは、このイシュアの態度と説法に興味を示し、野党を抜けて彼に弟子入りを乞う。周りの弟子たちが「民を苦しめる野党崩れなぞ、信用できるわけがない」と反対する中、イシュアは快くユダを迎え入れるのだった…。


挿入歌 Davidu Thanaya Hosanna (ダビデは"ホサナ"を主義とせり)

*イシュアのエルサレム入城を迎え喜ぶユダヤ人たちの図。劇中唯一の群舞(?)シーンながら、キリストがロバに乗って入城したとか、木の枝(マルコ福音書では野原の小枝、ヨハネ福音書ではナツメヤシの枝)を振って民衆がイエスを祝福したとか、民衆が自分たちの衣服を敷いてイエスの通る道を作ったとか、新約聖書の記述には忠実。
 "ホサナ"とは、聖書のこの場面に現れる神を賛美するかけ声。ヘブライ語で「守護」「救い」場合によっては「救世主」をも含む言葉。元々はアラム語起源の単語だそうな。
 劇中の歌だと"ホザナ"、音響具合によっては"オザナ"って聞こえる…。



  タイトルは「慈悲の人」…らしい?
 テルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州の公用語)映画に、新約聖書を映画化したものがあるらしい…と聞いて「マジで!?」と騒いでたら紹介された一本。

 インドのキリスト教団体により企画・製作されたと言う、イエス・キリストの生涯を描くテルグ語映画大作!
 公開後にヒンディー語吹替版「Daya Sagar」、タミル語吹替版「Karunamoorthy」、英語吹替版「Ocean of Mercy」が公開され、インド中で人気を得た…そうな。
 50〜70年代に活躍した、監督兼プロデューサー兼編集技師兼脚本家のA・ビムスィンの遺作となった作品。本作+7本の監督作(!!)が公開された1978年に物故された。享年53歳。

 お話は、新約聖書を含めたキリスト教系資料を元にしたかなり本格的な史劇で、聖母マリアへの受胎告知〜ヘロデ王の男児虐殺までをOPとして歌で処理しつつ、洗礼者ヨハネの洗礼〜キリストの復活までを劇映画で表現。
 歌のシーンが長いのと、エピソードが次々と展開する(お話はゆったり気味なのに、カット割りが速い)所にインド映画的なテンポを感じる以外は、古代イスラエルの風俗とかも本格的に描かれている歴史大作的雰囲気。西洋美術に表現されるキリスト伝説よりもずっと土臭いイメージが強いけれど(考証的にはそっちが正しい?)、イエス本人は西洋美術的な達観し超越的なイメージで描かれている。

 脚色部分としては、
・イエスの処刑と引き換えに赦免される虜囚バラバが、イスカリオテのユダと共に元野党としてイエスの洗礼以前から登場する所(*1)
・荒野での断食とゴルゴタの丘が同じ場所のように描かれていて、イエスを誘惑する悪魔の高笑とローマ兵やユダヤ人たちの嘲笑がシンクロする所
 …があって、ほほぉぉ〜ってな感じ。

 イエス・キリストを演じたのは、60年代から主にテルグ映画で活躍しているヴィジャヤチャンダルで、本作は彼の代表作の1つ。
 1958年から舞台演劇で活躍した後、1967年「Maro Prapancham」で映画デビュー。9作目の映画出演作となる本作があたり役となり、1986年公開作「Sri Shirdi Saibaba Mahathyam」でサイババを演じて新たな代表作を確立。さらに1987年公開作「Dayamayudu」では再度イエス・キリストを演じたそうな。
 聖母マリアを演じたのは、これが映画初出演(らしい?)となったタミル人女優シュレーカ。ただし、ちょい役なためか映画デビューに数えられてないっぽい(*2)。その後、80年代にタミル映画・テルグ映画・マラヤーラム映画・カンナダ映画で活躍後、結婚を期に女優業を引退するも、自身でチェンナイ・メディア・プラスと言うプロダクションを立ち上げてメイクアップや衣裳デザイナーとして数本の映画に参加。現在、女優業復帰準備中(もう復帰した?)とかなんとか。
 他のキャストについては、名前が分かっても役名がなんなのか情報が出てこなくて…テルグ文字が読めればなぁ。ヘロデ王とかピラトゥスとかイスカリオテのユダとか、気になる個性的な人がいっぱいいるのにぃ。
 面白いのは、大天使ガブリエルや荒野でイエスを誘惑する悪魔が、しっかりハッキリと出てきて演技してた事。抽象的なものを具象イメージ化したがると言えば、やはりそこはインド映画的と言えようかどうだろか?

 そういや、テルグ語&英語字幕だと、日本語の固有名詞と発音が大きく変わる人名とかあって大変。トマスがトーマとか、マタイがマテア(英語字幕ではMatthew)とか。Johnと書いてヨハンと言われて思い出すのは「MONSTER」になっちゃうワタス(*3)。

 キリスト教系の保育園通ってキリスト生誕劇やった事ある身としては、自分でやった羊飼いが出て来るのは嬉しいけど、ホント一瞬だけでしたな。羊がほとんど出てこないので「これ羊飼い…なんだよね?」と問いつめたい感じ。まあ、保育園の羊も「本番は、本物の羊さんが来るよー」と言う先生の言葉に反して書き割りの羊1匹だけだったけどさあ……(大人はみんなウソツキダァァァァー!!)。


挿入歌 Kadilindi Karuna Radham




受賞歴
1978 Nandi Awards 注目作品青銅賞




「Karunamayudu」を一言で斬る!
・苦難の道から磔刑のシーンが詳細かつ流血ドクドクなのは、さすがテルグ映画…?

2013.12.20.

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*1 当時実在した、ユダヤ独立を掲げる武闘派レジスタンス熱心党(またはゼロテ派)の描写? 虜囚バラバの罪状がなんなのかは聖書の記載は曖昧だけれど、この熱心党のような抵抗勢力に組していたと言う説あり。ちなみに、新約聖書にはイエスの選ぶ十二使徒の中に"熱心党のシモン"と言う名前があるけども、この熱心党を指すかどうかは諸説紛々。
*2 彼女の映画デビュー作として、翌1979年のタミル映画「Thakara」が上げられている。
*3 日本語表記だと"ヨハネ"または"イオアン"…日本語表記も色々あるから余計に大変w