インド映画夜話

Kodiyettam 1977年 120分(128分、137分とも)
主演 (バーラト・)ゴーピィ
監督/脚本 アドール・ゴーパラクリシュナン
"まず覚悟しろ。自分の思うように生きたいのなら…それは他所で試すべきだ"


わりとネタバレなラストシーン近辺


 農村に住むシャンカランクッティは、近所の人たちの手伝いをしながらその日暮らしをしている、優しいながら能天気な青年。
 近所の寡婦サロージニーの世話になって子供達と遊びまわったり雑事を買って出たりする彼を、周りの人々もその素朴さを認めて助けてくれていた。そんな彼の子供のような快活さを認めつつ、街の仕事につくために引っ越していくサロージニーは、自分の気持ちを押し殺しつつ彼の将来を悲観して、見合い話を探してくる…。

 しかし、結婚してからもシャンカランクッティの生活は変わらず、ふらっと数日出かけては帰ってこない事も多く、家のことは何も気にかけない。どう働きかけても生活態度を変えようとしない彼に、ついに妻シャンタンマは絶望して妊娠を理由に実家に戻ってしまいそのまま帰ってこようとはしなかった…。




 名匠アドール・ゴーパラクリシュナン監督による、マラヤーラム語(*1)映画の傑作と謳われる1本。
 その劇中では劇伴やBGMが使用されておらず、さらにはいくつかのカットは現存していないんだそう。

 白黒のコントラスト強めの陰影の濃い画面で描かれる、ケーララ農村部の詳細な暮らしの有様が、ドキュメンタリー的空気を醸し出す映像詩。
 登場人物の配置的に、インド映画でもしばしば取り入れられているロシア文学(特に「白痴」とか)へのリスペクトを感じるなあ…と思っていたら、物語は純粋無垢な主人公の現実生活を無視した生活態度が招く家庭・人生の崩壊を丹念に描きながら、生きるために守らねばならない最低単位の人の暮らし…「家族」を成立させるための苦労こそを生きる糧とせよと言う、無垢なる主人公を全否定する皮肉的な労働讃歌な内容。
 常に虫や鳥の声が響く農村部にて、人の労働や生活の音もそれらと同質の音として画面を満たすのも意図的な演出のよう。現存しないカットがどの辺りにあるものなのか、見てる分にはわからないほど静かでありながらも叙情的な画面の連続でありましたけども、光の白画面の強さと屋内の影の黒画面の対比も色々と深読みしたくなってしまう点もあったりなかったりで飽きる暇なし。

 監督を務めたアドール・ゴーパラクリシュナン(生誕名モウタトゥ・ゴーパラクリシュナン・ウンニタン)は、1941年英領インド内にあったトラヴァンコール藩王国マンナディ(*2)の民族舞踊カタカリを伝える家系生まれ。
 8才頃からアマチュア劇団に参加して、俳優から始めて脚本・演出を担当していったそう。長じてタミル・ナードゥ州に移って61年に経済学、政治学、行政学の学位を取得してティンドゥッカル近郊で政府職員として働き出すも、翌62年には仕事を辞めて、奨学金を得てプネーの映画&TV研究所の脚本コースと監督コースに進学。そこの友人たちと、ケーララ州初の映画協会となるチトラレーカー映画協会とチャラチトラ・サハカラナ・サンガムを設立。マラヤーラム語映画界に"アート・フィルムズ"と呼ばれる新潮流を生み出していく。
 65年に短編映画「A Great Day」で監督デビューし、翌66年には「A Day at Kovalam」でドキュメンタリー監督デビュー。以降、ドキュメンタリーを多数手がけていきながら、並行して72年にマラヤーラム語映画「Swayamvaram (One's Own Choice)」で長編劇映画監督デビューとなって、ナショナル・フィルムアワード作品賞、監督賞ほかを獲得。世界各地の国際映画祭に出品されてもいる。この映画は、マラヤーラム語映画として初めて国際的に注目された映画として歴史に名を残し、その偉業を讃えられている。
 以降、マラヤーラム語映画界でドキュメンタリー監督とともに劇映画監督としても活躍し、監督作は軒並み国際映画祭にて注目され多数の映画賞を獲得。世界各地の映画祭で回顧展も開催されている。本作は、劇映画としては2本目の監督作。
 74年には全国映画賞委員会の委員に選抜されたのを始め、数々の映画関係の国や州の役員・委員、世界各地の映画祭審査員にも就任。84年には、国からパドマ・シュリー(*3)を贈られ、04年には功労賞ダーダサーヒブ・パールケー賞を、06年にはパドマ・ヴィブーシャン(*4)も授与されている。

 主人公シャンカランクッティを演じたのは、1937年トラヴァンコール藩王国チラインキージュー(*5)に生まれたゴーピィ(生誕名ゴーピィナータン・ヴェラユダン・ナーイル。別名バーラト・ゴーピィまたはコディイェッタム・ゴーピィ)。
 理学位を取得後、ケーララ電力委員会の事務員として働き出しながら、G・サンカラ・ピライ設立のプラサダナ小劇団に参加して、演劇界で役者・脚本家・演出家して活躍。その後、アドール・ゴーパラクリシュナン設立のチトラレーカー映画協会を通じて映画界に参入し、ゴーパラクリシュナンの長編劇映画監督デビュー作「Swayamvaram」に端役出演して映画デビューする。本作で主役デビューを果たしてナショナル・フィルムアワード主演男優賞を獲得したことから、以降、バーラト(*6)・ゴーピィとか、「Kodiyettam(上り坂)」のゴーピィと称されクレジットされるようになる。
 その後も、マラヤーラム語映画界で活躍して数々の映画賞を獲得する中、79年には「Njattadi」で監督デビュー(*7)。85年には「Aghaat(障害)」でヒンディー語(*8)映画に主演デビューしている。マラヤーラム語映画黄金期を作る映画人の1人となった絶頂期の86年、脳卒中に倒れ半身不随に。その経験を元に描いた92年公開の3本目の監督作「Yamanam」は、ナショナル・フィルムアワード審査員選出社会問題作品賞を獲得している。93年には「Padheyam」でプロデューサーデビューもしている他、著作「Abhinayam Anubhavam(演技、体験)」「Nataka Niyogam」もそれぞれに賞を贈られている。
 2008年、胸痛で入院した後に心停止されて物故。享年70歳。

 のどかなケーララの農村の伝統の中で生きる主人公が、結局はその能天気なその日暮らしによって自己の居場所を失っていき、対価も要求せずに自分を受け入れてくれる寡婦の思いも無下にしてしまう悲しさは、結局彼の無邪気な好奇心と人の良さが招いた悲劇であると断罪するこの物語の冷徹さが、農村ののどかさと対比されていく鮮やかな語り口。
 そんな中で、村を出て行った主人公が好奇心の赴くままに乱暴なトラック運転手から暮らしを立てていく方法を学び、聖人君子的な寡婦から与えられていたものが無効化されて行ってしまう皮肉も、人生の不条理を現して行くかのよう。最後に求めていた「家族」にたどり着く主人公の人生の「上り坂」は、無条件の人の優しさを踏み台とした上で成立する人生の道程である事を、笑顔とともに受け入れるしかないものであるという事実が、それでもそこで笑顔でいるしかない人の生きる覚悟を見せつけるものでもありましょうか…。


受賞歴
1978 National Film Awards 主演男優賞(バーラト・ゴーピー)・注目マラヤーラム語映画
1978 Kerala State Film Awards 作品賞・主演男優賞(バーラト・ゴーピー)・原案賞(アドール・ゴーパラクリシュナン)・監督賞・美術監督賞(N・シヴァン)


「Kodiyettam」を一言で斬る!
・会話しながら、でかい刃物を操って手の平で木の皮を剥がしている、その慣れた手つきの堂の入ったことったら…(何かの拍子に怪我するんじゃないかとハラハラしてしまうのは、現代病でありましょうか…)。

2021.6.25.

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*1 南インド ケーララ州の公用語。
*2 現ケーララ州パタナンティッタ県マンナディ。
*3 第4等国家栄典。
*4 第2等国家栄典。
*5 現ケーララ州ティルヴァナンタプラム県チラインキージュー。
*6 インドの国内での名称。
*7 ただ、2回上映されたのみで映画は現存せず。
*8 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。