インド映画夜話

Kuheli 1971年 129分
主演 スミター・サンヤル
監督/脚本 オビマニュ(タルン・モジュムダール)
"来て。さあそばに来て。夜は静寂の中で眠りにつきました。なにを怖がる事があるでしょう…"



挿入歌 挿入歌 Keno Ele ([この死の国に] なんで来たの?)


*誰もいないライ・クチ屋敷にやって来た主人公シバが体感する、不穏な空気。そこに響く歌声の正体とは…。
 暗いお屋敷になびく白いカーテンが、常道演出ながら美し怖い。



 辺境の町ニジュームガルの駅に、家庭教師シバ・ミトラーが到着したのは深夜。
 迎えもなし、荷物運びやタクシーの類もいない駅で、駅長に「ライ・クチ屋敷に行きたいのですが」と語ると、駅長は眉をひそめ「そんな所に行こうとするヤツなんていない」とにべもない。なんとか屋敷への案内を頼むシバの所に、ラタンと名乗る使いの男が現れ「新しい家庭教師ですね。ご案内します」と彼女を車に乗せる。しかし車は、山中の誰もいないライ・クチ屋敷に到着すると、シバを残して夜の闇に消えて行ってしまった…。霧深い夜、灯りに煌煌と照らされる屋敷の中で、シバの耳に奇妙な歌声が響く…!!

 翌朝。気絶していたシバを介抱する屋敷の主人シャンカル氏は「昨夜、駅まで貴方を迎えに行ったのに誰もいなかった」と語り、ラタンと言う名前に一瞬驚きながら、なにくわぬ顔でシバに屋敷を案内する。「ここから見る景色は素晴らしいですよ。しかし、北窓だけは開けないんです。寒い北風が入ってきますからね」
 その夜、シャンカル氏が"愚か者たち"と蔑む使用人の一人ラクシュマンは、シバに密かに語るのだった。「夜、誰かの声を聞いても無視する事です。ここは…幽霊が出るのですから…」


挿入歌 Tumi Rabe Nirabe (貴方は静かに佇む)


*シャンカル氏とアパルナの新婚時代の回想シーン。


 タイトルは、ベンガル語(*1)で「霧」「怪奇なもの」の意味とか。

 出だしから、不穏な舞台と登場人物たちで描かれる幽霊屋敷ものの定番が展開するゴシックホラー。
 不可解な殺人事件が起こった人里離れた巨大な屋敷、亡き妻の思い出に取り憑かれる男と娘、屋敷の所有権をめぐる諍い、使用人たちがささやく幽霊の噂…。それぞれの登場人物が内に抱える不安が徐々に表面化して行く様は「ジェイン・エア」や「フランケンシュタイン」などの怪奇小説のノリ。屋敷に住む一家の人間関係が、物語を進める鍵となったり妨害する壁となる所は、こう言うホラーの定番でありつつ、家族ドラマ好きなインド映画とのシンクロ具合の高さも見せてくれる。なにはともかく、白黒の画面が、古き良き映画空間を作り上げてくれているような美しさ。
 怪奇ものの定番展開のため、ホラーと言うほど恐くはないしグロいシーンも皆無(*2)。上品なサスペンス映画な画面は、わりと安心して見てられる感じ。

 監督を務めたオビマニュは、本作で使われた映画監督タルン・モジュムダールの別名義(*3)。
 そのタルン・モジュムダールは、1931年英領インドのベンガル地方ボグラ(現バングラデシュ領)に生まれた映画監督。58年の「Rajlakshmi O Srikanta」で助監督として映画界に入り、翌59年にサチン・ムケージー、ディリップ・ムケージーとともに監督&脚本家トリオ"ジョトリク(英語発音ヤトリク)"を結成して、その"ジョトリク名義で「Chaowa Pawa(希望と承諾)」で監督デビュー。65年の「Alor Pipasa」で単独監督デビューとなり、文芸映画の名監督として名声を獲得して行く。
 本作は、"ジョトリク"時代から数えて10作目の監督作で、それまでの文芸ものとは路線を一変させた映画にあたるそう。同年には、本名のタルン・モジュムダール監督作として「Nimantran(招待)」「Ekhane Pinjar」の2本も公開され、「Nimantran」で初めてナショナル・フィルム・アワードの注目ベンガル語映画賞とBFJA(ベンガル語映画ジャーナリスト協会)アワードの監督賞を獲得。
 76年には、自身の監督作「Balika Badhu(若い妻)」の同名ヒンディー語リメイク作でヒンディー語映画にも監督デビュー。その後は主にベンガル語映画界で活躍し、90年にパドマ・シュリー(*4)を授与されている。

 主役シバを演じたのは、1945年英領インドのダージリン(*5)生まれの女優スミター・サンヤル(生誕名マンジューラー・サンヤル)。
 女優リーラー・デーサーイの紹介で60年の「Khoka babur pratyabartan」で映画デビュー。その時の役名スチョリターを短縮した"スミター"を芸名にしようと映画監督コナク・ムコーパダーイに提案され、以降スミター・サンヤルとして60〜90年代のベンガル語映画界で活躍して行く。68年には、ヒンディー語映画「Aashirwad」でボリウッドデビューし数本のヒンディー語映画にも出演している。

 本作で重要な役となる幽霊アパルナを演じたのは、タルン監督の妻ションディヤー・ローイ。
 サタジット・レイ監督作「遠い雷鳴」でも一癖も二癖もある役を演じていたけど、本作でも出演シーンは短いながらその存在感をいかんなく発揮。肖像画だけで妖しい眼力を見せつける美貌があな恐ろしや。もっと、ションディヤー映画を見てミターイ!!

 それ以外の登場人物は、以下の通り。()内は演じた役者名。
シャンカル・ローイ (ビスワジート):ライ・クチ屋敷の現在の主人。
Dr. ハリハール・チャウドリー (サティヤ・バナージー):医者。コルカタに住むシャンカル氏の父。
ラヌー (デーバシュリー・ローイ):シャンカル氏の娘。
ラクシュマン:ライ・クチ屋敷の使用人。シバに過去屋敷で起こった殺人事件と幽霊騒動を語る。
マノダディ (チハヤー・デヴィ):ショットの母? ライ・クチ屋敷の住み込みの家政婦。
ショット・ブシャン・ローイ (アジテーシュ・バナージー):シャンカルの従弟。屋敷の相続権を主張し勘当されている。
ラタン 屋敷の運転手。

 ゴシックホラーな映画本編は、中盤から屋敷の主人夫婦の新婚時代の回想シーン〜不条理な殺人事件の顛末ヘと展開し、後半には二転三転の物語の真実が意外な展開をたどる結末へと導かれて行く。
 アパルナの過去の謎や、屋敷の北にある森に潜む怪異を解決して行くサスペンス調の後半の絵面もカッコええけども(*6)、夜の闇に現れる顔が暗闇で満たされたサリー姿の女性の姿は、なんと不気味かつ美しいのでしょう。フラフラついて行ってしまいそう〜。


挿入歌 Eso Kachhe Eso (さあ来て、仲良くしましょう)








「Kuheli」を一言で斬る!
・精神的ショックで気絶するヒロイン、てのはこの手のゴシックホラーの常道ながら、気絶する紳士は珍しか!(しかも複数回)

2016.7.22.

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*1 北東インドの西ベンガル州とトリプラ州の公用語。
*2 怪奇現象、と言うほど怪奇かって言うと…ねぇ。
*3 本作でのみ使われた名義のよう。
*4 インドの一般国民に与えられる、4番目に権威のある国家栄典。
*5 現 西ベンガル州ダージリン。
*6 冷静に考えると、ツッコミ所は満載だけど。