インド映画夜話

ムンナー兄貴、ガンディーと出会う (Lage Raho Munna Bhai) 2006年 144分
主演 サンジャイ・ダット & ヴィディヤー・バーラン
監督/脚本/原案/台詞/編集 ラージクマール・ヒラーニー
"帰って来たゼ。一人じゃないゼ!"






 今日も今日とて、ムンバイ下町のボス ムンナー兄貴(本名ムンリー・プラサード・シャルマー)は、大ファンのラジオDJジャンハヴィの番組に聞き惚れていた。
 この番組企画で、インド独立の父ガンディーに関するクイズを出題して、その優勝者を10月2日のマハトマ・ガンディー生誕日に番組に招待すると聞いたムンナーは、すぐさま歴史学者たちを誘拐してクイズにそなえ見事優勝!! ジャンハヴィに直接会うチャンスをモノにする!

 意気揚々ラジオ局を訪ねてゲスト出演を果たしたムンナーは、得意満面。
「オレこそ、1番のガンディーギリー(ガンディー主義。ムンリーがとっさに作った造語)だからさ!」
「えーと、ガンディアン(ガンディー主義者)のことね?」
「おうともよ!!」
 とうとう番組内で口から出まかせに「学校でガンディーについて教えてるから」と断言してしまい、それがためにジャンハヴィに「我が家"2回表ハウス"で同居する祖父の友人の高齢者たちに、ガンディーについて講義してほしい」と頼まれてしまって仰天!!
 一の子分サーキットの勧めで、図書館にて5日漬けでガンディーについて学ぶムンナーだったが、そんな彼の前に、突如マハトマ・ガンディーその人が現れる…!!


挿入歌 Lage Raho Munna Bhai (そのまま続けて、ムンナー兄貴)



 タイトルの意味は、ヒンディー語(*1)で「そのまま続けて、ムンナー兄貴」。
 ラージクマール監督の初監督作にして大ヒット作となった「Munna Bhai M.B.B.S. (ムンナー兄貴と医療免許)」の続編。…と言っても、下町のチンピラたちのボスである主人公ムンナー兄貴と子分サーキットが共通して登場するだけで、話的にはつながっていないパラレルな映画。
 企画当初のタイトルは「Munna Bhai MMG (Meets Mahatma Gandhi)」だったとか。批評家からは、物語が1977年のヒンディー語映画「Yehi Hai Zindagi」に似ていると言う指摘も。07年には、テルグ語(*2)リメイク「Shankar Dada Zindabad(シャンカル兄貴よ、永遠なれ)」も公開。
 日本では、2021年に大阪の国立民族学博物館で行われるみんぱく映画会にて「ムンナ兄貴とガンディー」のタイトルで上映。22年には「ムンナー兄貴、ガンディーと出会う」のタイトルでJAIHOにて配信され、23年に東京外国語大学で行われたTUFS Cinema南アジア映画特集にて「ムンナ兄貴とガンディー」のタイトルでも上映。
 医療と教育がテーマだった前作を受けての今回のテーマは……ガンディー主義について!

 前作は、医療研究至上で現場無視な医療界に対して生粋の下町兄貴ムンナーが風穴を開けると言う、庶民側からの爽快感と気っ風の良さ、ある種の毒を混ぜ込んだ映画だったけども、続編となる本作は下町兄貴が世の中に風穴を開けると言う点では前回以上のインパクト。毒の入ったコメディはある程度抑えられたものの、ムンリーとサーキットの掛け合いは相変わらずで、自然と話が転がって笑えてくるんだから、このコンビを発明した人はエラい!!

 それまで、インドでは「古くさい思想」として専門家以外は気にも止めていなかったと言う「ガンディー主義」について、「ガンディアン(またはガンディニズミアン)」と言う言葉をヒンディー語化した「ガンディーギリー」に言い換えてその思想性を組み替え、一般人の日常生活の中に落とし込んだ事こそが、この映画の最大の実験にして最大の成果。
 ガンディーの提唱した"サッティヤーグラハ(無抵抗非服従の運動)"を、より身近な生活に取り入れて世の中を見つめ直すと言う、新たな価値観を創出してみせたドラマツルギーは、公開されるや大きな議論を巻き起こして、賛否両論さまざまな意見を噴出させた。以降"ガンディーギリー"と言う言葉は一人歩きを始めながらもインド社会、世界中のインドコミュニティにて賛成反対を問わず意識され、実践されていく概念になっているそうな。暴力や反発ではなく、愛と忍耐と笑顔を抵抗の象徴として、"自分にも出来るサッティヤーグラハ"を考えていくガンディー主義の普遍化・日常化作業は、インド人にとってはわかりやすく、大きなインパクトであり、誰でも参加可能な普遍的概念になっていったってことこそが、この映画に仕掛けられた大きな娯楽要素でありましょう。

 そう言う大きなテーマありきだからか、映画は中盤までは多少テーマ先行的な展開をしていき、その穴を埋めるがためのコメディ&ロマンスが入ってくる地味な展開をするものの、ジャンハヴィとのロマンスが一旦破局してからのムンニーの一途な"ガンディーギリー"を世間に広めて行く様は、物語の緩急も面白さを加速させて話をどんどん転がしていき、1つ間違えば説教臭くなりかねないお話を、ハラハラドキドキの奇想天外な方向へ盛り上げていく。ムンナーにしか見えないガンディー、と言うモチーフの使い方も「ウマい!」の一言。途中まであくびまじりに見てた自分を反省する次第ですよ!

 主役ムンナーを演じるのは、1959年ムンバイ生まれの俳優サンジャイ・ダット(生誕名サンジャイ・バルラージ・ダット)。父親は往年の大スター スニール・ダット(*3)で、母親も大女優のナルギス・ダット(*4)。
 72年の父親スニールの監督兼主演作「Reshma Aur Shera(レシュマー&シェーラ)」で子役出演して映画デビュー。81年の「Rocky(ロッキー)」で主演デビューするも、そのデビュー作公開4日前に母ナルギスが病死してしまい、世間を大きく揺るがすことになる。それでも、その後徐々に人気を獲得していき、80年代後半から大ヒット作を連発してスター俳優に駆け上がる。
 しかし、93年に起きたムンバイ爆破テロに関して、テロリストへの武器供与容疑で逮捕され、4年間の懲役刑に。服役前や保釈期間に撮影された映画で断続的に人気を維持しつつ、映画復帰後、00年公開の「Vaastav: The Reality」で初めてフィルムフェア主演男優賞始め多くの映画賞を獲得。03年の「Munna Bhai M.B.B.S.」と06年の本作で、自身の代表作と謳われる人気を獲得し、NDTV(*5)では"インディアン・オブ・ジ・イヤー"と称される事に。
 07年、テロリストへの銃器販売に関与したとして逮捕され再度服役。その間も、保釈期間を使って映画撮影やサマージワーディー党の政治運動に参加していたりする。
 私生活では、87年に女優リーチャ・シャルマーと結婚し娘も生まれるも、96年にリーチャが脳腫瘍のために物故(*6)。98年にモデル レーア・ピライと再婚するも05年に離婚。その後、08年に女優マンヤーター(*7)と再婚し、マンヤーターはサンジャイ・ダット・プロダクションのCEOに就任して、10年には双子を出産しているとか。

 ムンナーの一の子分サーキットを演じて各助演男優賞を獲得したのは、1968年ムンバイ生まれのアルシャード・ワールシィー。ダンサー兼振付師として映画界に入って、96年の「Tere Mere Sapne(私たちの夢)」から俳優として活躍している人物。
 ヒロイン ジャンハヴィを演じるのは、後に「Ishqiya(情欲)」「女神は二度微笑む(Kahaani)」などで大活躍するヴィディヤー・バーラン。1978年ケーララ州パラッカド県パットハー生まれ。様々な苦労の末03年のベンガル語映画「Bhalo Theko(気をつけろ)」で映画&主演デビューして、本作が3本目(*8)の出演作。
 ムンナーの前に現れるマハトマ・ガンディー役には、1944年英領インドのボンベイに生まれたディリップ・プラバーヴァルカル。生物物理学の学位を所得して製薬会社やリサーチセンターで働く傍ら、演劇に参加して活躍。82年のマラーティー語(*9)映画「Ek Daav Bhutacha」で映画&主演デビューし、マラーティー語映画とヒンディー語映画双方でも活躍している。本作のテルグ語リメイク作「Shankar Dada Zindabad」でも同じガンディー役で出演している。

 監督を務めるラージクマール・ヒラーニーは、1962年マハラーシュトラ州ナーグプルのシンディー家系(*10)生まれ。父親はタイプライターだった。
 会計士になる勉強がてら父親の仕事の手伝いをしていたものの、映画への興味からプネーのインド映画&TV研究所の編集コースに奨学金を得て進学。編集業と広告業の仕事をこなしながら、映画プロデューサー兼監督兼脚本家のヴィッドゥー・ヴィノード・チョープラと知り合って映画予告編制作の仕事をもらって映画界と接触しはじめ、98年の「Kareeb」、00年の「アルターフ(Mission Kashmir)」、01年の「Tere Liye」の編集を担当。ヴィッドゥー・ヴィノード・チョープラのプロデュースを得て03年に「Munna Bhai MBBS」で監督デビューして人気を博し、各映画賞を獲得。以降、05年に「Parineeta(夫人)」でクリエイティブ・プロデューサーに就任する一方、06年の本作から立て続けに大ヒット監督作を世に贈り出し、一躍ヒンディー語映画界の重鎮に成長している。

 ラジオDJジャンハヴィと知り合って、自分にしか見えないガンディーの助言をラジオを通して広めていくムンナー兄貴、って言う構図も色々と読み解き可能ながら、その後のラージクマール監督作への影響、演出的・脚本的進化を見ることも可能。特に「PK」とのモチーフの類似性を考えていくのも面白いかも。出演者やスタッフの共通性も多い映画だけど、なんと、本作には映画デビュー以前のモデル時代のアヌシュカー・シャルマー(*11)の写真が出てくるんだってヨ!


挿入歌 Pal Pal...Har Pal (待って待って、待ち続けて)




受賞歴
2006 Screen Weekly Awards 批評家特別賞(サンジャイ・ダット)
2006 Global Indian Film Awards 批評家選出主演男優賞(サンジャイ)
2007 Filmfare Awards 批評家選出作品賞・原案賞(ラージクマール・ヒラーニー & ヴィドゥー・ヴィノード・チョープラ)・台詞賞(アビージャト・ジョーシー & ラージクマール・ヒラーニー)・コメディ演技賞(アルシャード・ワールシィー)
2007 IIFA(Awards of International Indian Film Academy) 監督賞・助演男優賞(アルシャード・ワールシィー)・原案賞(ラージクマール・ヒラーニー)・台詞賞(アビージャト・ジョーシー & ラージクマール・ヒラーニー)
2007 Stardust Awards 世紀の監督賞・スター・オブ・ジ・イヤー男優賞(サンジャイ)
2007 Star Screen Awards 作品賞・助演男優賞(アルシャード・ワールシィー)・批評家選出男優賞(サンジャイ)・編集賞・台詞賞・原案賞
2007 Zee Cine Awards 原案賞・脚本賞・台詞賞・コメディ演技賞(アルシャード・ワールシィー)・男優賞(サンジャイ)・ゼニス・パワー・チーム賞(Rang De Basantiと共に)
2007 Bollywood Movie Awards 作品賞・監督賞・原案賞・台詞賞
2008 National Film Awards 驚異的エンターテインメント作品賞・助演男優賞(ディリップ・プラバーヴァルカル)・脚本賞(アビージャト・ジョーシー & ラージクマール・ヒラーニー & ヴィドゥー・ヴィノード・チョープラ)・作詞賞(スワナンド・キーキル / Bande Mein Tha Dum)




「ムンナー兄貴、ガンディーと出会う」を一言で斬る!
・冒頭の"マハトマ・クイズ・コンテスト"、あっさりムンナーが優勝者に決定してたけど、電話がつながって全問正解と言う"早い者勝ち"な企画だった……の?

2016.9.22.
2022.5.28.追記
2023.3.19.追記

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*3 生誕名バルラージ・ダット。
*4 生誕名ファティマ・ラシード。
*5 New Delhi Television Limited=ニューデリー・テレビ。
*6 その後、娘の親権を巡ってシャルマー家と争っているとか。
*7 生誕名ディルナワーズ・シェイクー。
*8 ヒンディーでは2本目。
*9 マハラーシュトラ州の公用語。
*10 現パキスタン南部シンド地方から派生した、シンド語を母語とするコミュニティ。
*11 「PK」でヒロインを演じることになる女優。