インド映画夜話

ルートケース (Lootcase) 2020年 132分
主演 クナール・ケームー & ラシカー・ドゥガル
監督/脚本/原案 ラジェーシュ・クリシュナン
"毎日、お金が足りないって言ってたじゃないか!"




 不吉な夜に、公衆便所でこんなにも興奮した人物はナンダンが初めてだ。
 なぜならそこで、彼は大金の入ったスーツケースを見つけてしまったのだから…!

 話は、数日前にムンバイで起きたジャミール氏暗殺事件から始まった。
 実行を指示した犯人は、MLA (=Member of the Legislative Assmbly=州議会議員の意)のスヤーシュ・パティル配下のゴロツキ アブドゥル。彼は、兄貴分のオマール・シディッキーの指示も聞かずに選挙前のこの微妙な時期にパティル陣営の政敵を殺してしまった。この事をパティルに謝罪しに行ったオマールは、「代わりにやってもらいたい事が」と切り出してきたパティルに、資源大臣からの依頼という「ある物」の運搬を命令される。1億ルピーの入ったスーツケースと、パティルと大臣に関わる極秘ファイルを、大臣の個人秘書へ秘密裏に届けて欲しいと言う依頼を…。

 この情報を手に入れたパティルの対立勢力である街のギャングボス バラ・ラトホードは、早速スーツケースの強奪計画のために部下を走らせていた。
 同じ頃のナンダン・クマールと言えば、しがない印刷工場付エンジニアとして安月給と妻子からの小言と戦う毎日。妻ラータの満足するような生活費も工面できず、妹への送金も足を引っ張って、クマール家は常に火の車。そんな小市民生活の中で喉から手が出るほどお金を欲していた彼は、いきなり見つけてしまった大金の詰まったスーツケースに困惑してしまい……「…行く前に聞くけど、これ、誰の?」


挿入歌 Pavitra Party


 タイトルは、英語でありヒンディー語(*1)の単語でもある「Loot(盗品、略奪品の意。元々ヒンディー語由来の単語)」+英単語「case(事件、立場、状況の意)」の合成語? 当然、劇中の曰くありまくりの「スーツケース」とかけた単語になる。

 2016年のWebドラマシリーズ「TVF Tripling」で監督デビューしたラジェーシュ・クリシュナンの、映画監督デビュー作となるブラックコメディ・クライム・ヒンディー語映画。
 当初2020年4月に劇場公開を予定しながら、コロナ禍によるパンデミックの影響で公開が延期。同年7月にネット配信された。
 日本では、2022年にJAIHOにて配信。翌23年にCS放送されている。

 登場人物全員どいつもこいつも、うだつのあがらぬヌケた所のある小悪党ばかり登場するドタバタユーモア劇で、真っ黒い裏金の詰まったスーツケースを巡って終始しょーもない駆け引き(?)を仕掛けようとして、より事態が悪化することを止められなくなる小市民的悪党たちの愛すべきダメダメさが楽しい小粋な1本。

 冒頭のジャミール氏暗殺実行犯からして、妙に愛嬌ある演技で目標に近づいて雑に殺しまくる暗殺者のギャップが恐ろし可愛らしく(*2)、ラストにしっかりそんな暗殺方法が回収されて行くのも「分かってるねえ」とニヤリとしてしまうポイント。
 ナショジオマニアのギャングボスと言い、「人に誤解される話し方しかできない」とのたまう州議会議員と言い、我らが主人公の大金が手に入って喜びながらも小市民的な発想から一歩も外に出ないお金の使いっぷりの想像力も、しっかりきっちり伏線として機能させて風呂敷をきっちり畳みながらも、全方位でおふざけかまして富裕層やら権力者やら姑息な小市民やらへ喧嘩をふっかける飄々として語り口が「愛らしいねえ」とニヤリとさせてしまう楽しい構成。都市部生活者の、人馴れしてスレまくっていつつ、夢は見てみたい人間を鼻で笑うニヒリズムと気だるい余裕が全編満ち満ちている脱力系映画ですわ。

 監督を務めたラジェーシュ・クリシュナンは、マハラーシュトラ州ムンバイ(旧ボンベイ)のパラッカド・アイヤール家系(*3)生まれ。
 商学の学士号を取得後、広告&コミュニケーション研究も修了。コピーライターとして広告界で働き始め、広告プロデューサー アーメヤー・ダヒバーヴカールと共に店頭映像制作プロダクション"ソーダ・フィルムズ"を設立。TVライターや番組編成、広告やCM制作に携わる中で、2016年にWebドラマシリーズ「TVF Tripling」のシーズン1で監督デビューし高い評価を得る。続く本作で映画監督&脚本デビューし、多くの映画賞を獲得する。

 主人公ナンダン・クマールを演じるクナール・ケームーは、1983年ジャンムー・カシミール州(*4)シュリーナガルの、カシミール・パンディット(*5)家系生まれ。祖父に、パドマ・シュリー(*6)を授与された劇作家モティ・ラール・ケンムーがいる。
 1987年のTVドラマシリーズ「Gul Gulshan Gulfaam」から子役として活躍。90年のカシミール反乱から逃れて、家族でジャンムー、さらにマハラーシュトラ州ボンベイ(現ムンバイ)へと移住しつつ、93年のヒンディー語映画「Sir」で映画デビュー。98年の「Zakhm(傷)」で主人公の少年時代を演じて、スクリーン・アワードの子役賞を獲得。05年の「Kalyug」で主役デビューして、スターダスト・アワードの新人男優賞にも選ばれている。
 13年の日本公開作「インド・オブ・ザ・デッド(Go Goa Gone)」出演後、女優ソーハ・アリー・カーンと結婚。その後もヒンディー語映画界・Webドラマ界で活躍中。本作でも多数の映画賞を獲得&ノミネートされている。

 ブラックジョーク故に、かなりやばい事態に発展して行く物語ながら、18年公開作「ブラックメール(Blackmail)」みたいな底意地の悪さや命の危険(*7)ってのは薄く、重いスーツケースを隠すためにお札を部屋のあらゆるところへ分散して隠す主人公とか、その場でつく嘘が小悪党たち全員でなんとなく息が合ってたりとか、終始明るい笑いに転化されていて見ていて心地良い笑いばかり誘われて行く。
 口を開けば、逼迫する生活費のための口喧嘩ばかりの主人公夫婦が、なんだかんだ言って仲の良いコンビだったりするのも麗しい。司祭の家系生まれという妻ラータ(*8)の正直さが、主人公をギリギリ命の危機から救ったという意味では、映画内における善性の砦的なキャラクターでもあったんかね。この辺の、小市民的でありつつ善良で平和な家庭と、真っ黒な政治&街を仕切るギャング&暴力警官たちの生きる世界の対比、その対比関係が間抜けな方向へ増幅して行く物語展開は、演劇的な間の取り方もありつつ、そのアホ可愛らしさが現実への諧謔から発信されているようでも…ある?(いらん深読み)
 ニヒリズム的な視点がそこかしこに見えるブラックユーモア劇でありながら、こんなにも小気味良い後味の楽しい映画は、なかなか無いですゼ! ああ、もし私が大金の詰まったスーツケースを見つけた時は……触る勇気もないかな。うん。ご用心ご用心。



挿入歌 Muft Ka Chandan




受賞歴
2021 Filmfare Awards 監督デビュー賞
2021 Dada Saheb Phalke Film Festival コミカル演技賞(クナール・ケームー)
2021 Indian Recording Arts Awards ヒンディー語映画シンク音声賞(ローチャン・プラタープ・カンヴィンデー)・ヒンディー語映画ミキシング賞(ガンダール・モカーシー)
2021 Hitlist OTT Awards 主演男優賞(クナール・ケームー)
2021 Indian Film and Television Awards コミカル演技パフォーマンス賞(クナール・ケームー)


「Lootcase」を一言で斬る!
・惚れた女性への決め台詞は「四川炒飯くらい、君がホットだからさ」。是非使っていきましょー!(*9)

2023.10.21.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*2 相手に声をかけられた当初の、とぼけようと上向いてる表情のおとぼけ感が笑えてしょうがない。マネして行きたい。うん。
*3 現ケーララ州で発達したタミル系バラモン集団の1潮流。ヴェーダ学者集団だった人々がケーララに移ってきて、地元の司祭階級とは別に独自の建築・儀式様式を生み出しながらケーララで勢力拡大していったもの。
*4 現ジャンムー・カシミール連邦直轄領。
*5 別名カシミール・ブラーミン。中世期以降、イスラーム化されて行くカシミール渓谷内で、ヒンドゥー教徒のまま残り続けたパンチャ・ガウダ・ブラーミン起源のバラモン集団。
*6 インドの第4等国家栄典。
*7 まあ、ラストは結構そっち系ですけど…。
*8 演じるのは、映画・TV・Webドラマなどで活躍するラシカー・ドゥガル。本作で、メルボルン・インド映画祭にて主演女優賞ノミネートされている。



*9 "四川風"とつく所が、インドで独自発達したインド中華の特徴だネ!