インド映画夜話

Mughal-E-Azam 1960年 177分(白黒版は191分)
主演 プリトヴィラージ・カプール & ディリップ・クマール & マドゥバーラー
監督/製作/脚本 K・アーシフ
"皇子として死ぬこの日こそ…愛が勝利をおさめる日。ムガルよ偉大なれ!"





 時に16世紀後半の北インド。
 ムガル帝国第3代皇帝ジャラールッディーン・ムハンマド・アクバル(一般にアクバル大帝)には、世継ぎとなる息子がいなかったが、聖者シェーク・サリームッディーン・チシュティーを参拝する事で、皇后ジョダーは念願の子供を授かるのだった。しかしジョダーは、この息子ヌールッディン・ムハンマド・サリームを溺愛し次第に甘やかし始めたため、アクバルは次期皇帝に相応しい戦士に育てようと無理矢理少年サリームを戦地へと追放する…。

 それから14年。サリームは常勝無敗の将軍に成長して王宮へ凱旋。
 次期皇后の座をねらう侍女バハールは、これを期にサリームの世話を焼こうとするが、直後、反体制派の老石工サンカラームが仕掛けた美女像にサリームは魅惑されてしまう。しかもその石像が本物の踊り子の娘であると知ったアクバルは、この余興を面白がって彼女に"アナールカリー(=ザクロの花の意)"の名を与え、皇后の侍女に取り立てるのだった。

 ジャンマシュタミ祭(クリシュナ神の生誕祭)に王宮で舞い踊るアナールカリーとサリームは、次第に身分を越えた禁断の愛に足を踏み入れて行くが、これを妬んだバハールによって2人の関係はアクバル大帝の知る所となり、ついにアナールカリーは捕縛される。彼女に突きつけられたのは「死か、さもなければサリームを忘れる事」!!
 一方、アクバルによってデカン高原の戦場へ送られたサリームは、父がアナールカリーを老石工サンカラームと結婚させようとしていると当のサンカラームから知らされ、部下の助けもあってアナールカリーを救出。業を煮やした父との戦争を決意する…。


挿入歌 Teri Mehfil Mein (貴女方の中に [我々は待ち受ける運命の何たるかを見たい])

*禁断の愛に沈むアナールカリーに、バハールが「気晴らしに、女官たちの歌合戦に参加しない?」と挑発。サリームを裁定役にして、バハール団とアナールカリー団でそれぞれ異なる"愛の意義"を歌い上げる。イスラム宗教歌カッワーリーの旋律が美しい。
 バハールは「愛は、それによって死ぬほどの痛みを与えられてしまう」と歌い、アナールカリーは「それこそが人生の糧である」と歌う。それはすなわち、その後の2人の運命をも暗示する…。
 ためしに、歌詞を日本語訳してみました。



 タイトルの意味は「偉大なるムガル帝国」。
 当時としては破格の製作予算をつぎ込んで作られたインド映画史上に残る歴史映画大作の大傑作。1975年の「Sholay」に抜かれるまで、インド映画史上最高の興行成績を15年もの間守り続けたと言う。
 分類的には、古風なウルドゥー語(*1)映画とのこと。

 製作期間15年にもなり、印パ分離によるスタッフの大量流出で一時製作凍結・主演を演じるはずだったチャンドラモーハンの物故・カラー映画の台頭による白黒映画の終焉など、数々のアクシデントを越えて製作が続行されていたそうな。
 もともとモノクロ映画(部分的にカラー)だったけれど、2004年にデジタル処理による念願のフルカラー版が公開され、その驚異の技術力によってこれまた大ヒットを飛ばしたと言うから、その化け物映画ぶりは推して知るべし!

 アクバル大帝と言えば、ムガルの黄金期を作り上げた人物にして、長年対立し続けて来たムスリムとヒンドゥーの融和に成功した皇帝。ヒンドゥー教徒のラージプート王国の姫を何人も妃に迎え、ヒンドゥー教徒のみならず北インド〜アフガニスタン各地の異教徒・異民族を親族として宮殿に重用したことで、帝国内の安定を実現させ、"アクバル(=偉大の意)"の名で呼ばれた歴史上の偉人である(*2)。

 物語は、このムガル時代を代表する偉人アクバルを主軸に、その後継者として育てられたサリーム(*3)の禁断の愛が巻き起こす政変の嵐を、絢爛豪華な宮廷劇として描いていく大時代的な悲恋劇。

 皇帝一家を、現代的な一夫一婦制にして描いてるのに気づくまで「なんで、身分違いの恋にそこまで慌ててるんだろ? 正妃を別に立てた上で結婚しちゃえば当時としては無問題じゃね? アナールカリーって身分が卑しいって言っても宮廷人なんでしょ?」とか思っちゃってたのは秘密。
 冒頭、地平線の向こうから現れるインド亜大陸自身が「我はインド。我を愛する多くの人々の中でも特に記憶に残る人物が一人。名を、ジャラールッディーン・ムハンマド・アクバル」と高らかに宣言するあたり、(北)インド史においてアクバル大帝が如何に存在感の大きな人物であったかが表現されてて、色んな意味でビックリ(*4)。このアクバルとジョダーの若かりし頃の出会いを映画化したのが、後の2008年のヒンディー語映画「Jodhaa Akbar」となる。

 様々な装飾品やきらびやかな衣裳の数々、イスラム様式の建築物など、美術セットの本気度が凄まじく、ムガル文化の素晴らしさをこれでもかとスクリーンの中に見せつけてくれる。デジタル技術による色彩も自然(*5)。基本、室内劇ばかりなのでタイルの1つ1つ、散りばめられた宝石類のこだわりはスゴいもんですわ。…その分、元が白黒映画だからかセットの青空とかがうすぼんやりしちゃってる感もあるけども…。

 キャストも超一流が勢揃い。特にアクバル役のプリトヴィラージ・カプールと、アナールカリー役のマドゥバーラーは最強中の最強ですわ。
 プリトヴィラージ・カプールは、ボリウッド最大の映画一族カプール家創始メンバーの一人。インド映画黎明期から活躍し、その巨躯と容姿、特にトーキー時代が始まるとその声ですぐさま人気を博し、インド初のスタジオに依らないフリーの映画スターとして活動。自身の夢であった舞台演劇団を創設して、映画人・演劇人の育成やサポート体勢に尽力したとか。
 彼の息子が50年代に活躍したラージ/シャンミー/シャシ兄弟で、その下が70〜80年代のトップスター リシ・カプール他。今はその子供のランビールやカリシュマ/カリーナ姉妹、遠縁にはアニル・カプールとその娘ソーナム・カプール等もいるからオソロしや。劇中、野太い声で周りを一喝しつつ、ゆらゆら揺れながら起立する姿が微笑ましい。
 アナールカリー役には、当時インド最高の美女と謳わたマドゥバーラー(*6)。撮影当時、恋人同士だったサリーム役のディリップ・クマールと別居状態になった事から、撮影中かなり緊迫した空気が流れていたとかなんとか。さらに、彼女はすでにこの頃重い心臓疾患で苦しめられていたものの、スタッフにはそれを公表してなかったために身体的負担のかかる演技の数々を求められ、そのために病状の悪化を招いたと言う(*7)。
 個人的には、腹に一物含んだ妖しい魅力が光るバハール役のニーガル・スルターナーの美しさも一推しながら、狂言回し的な役柄でラスト近くには影が薄くなってしまってましたなぁ…。あの妖しくも美しい眼力で、もっとロマンス劇に絡んでくるかと思ったのにぃ。

 調べてみるとアクバルの側室の一人にアナールカリーの名前があるってことは、この辺がこの映画のネタ元でしょうか? なんでも、サリームに微笑みかけた事にアクバルが激怒して、生き埋めにされたと言う伝説があるそうで…。
 同時に、サリームのアクバルへの反抗も史実だそうな。歴史上では、サリームは父アクバルの遠征中に挙兵して反旗を翻したとか。そのためアクバルは一時サリームへの皇位継承権を剥奪しようとしたものの、サリームの弟たちが全員早世したために、しぶしぶサリームを説得して皇位を継がせたんだとかなんとか。ま、ムガル皇帝一族は、代々武力で皇位を継承する慣習があるためか、父子争いが絶えないらしいんだけども…。


挿入歌 Ye Dil Ki Lagi(心が恋い慕わずにいられようか )

*反逆罪でサリームが処刑されようとする時、その身代わりをアクバルに申し出たアナールカリーは、最後の望みとして「皇子が約束した夢(アナールカリーをインド皇后にする)を、彼の前で実現させてから死にたい」と願う。アクバルは、彼女らの結婚式を承諾するものの、アナールカリーに麻酔入りの羽根飾りを持たせて「最後にこの匂いを皇子に嗅がせて気絶させよ。その後にお前の処刑を行なう」と命じる。
 彼女は、全てを承諾し、愛する人との祝福の席へと向かう…。
 ためしに、歌詞を日本語訳してみました。





受賞歴
1961 National Film Award 大統領銀章(ヒンディー映画注目作品)賞
1961 Filmfare Award 作品賞・撮影賞・台詞賞

2012.9.21.

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*1 ムガル時代の雰囲気を出すため?
*2 皇后のジョダーについては様々な異説あり。
 史実的には、サリームの母はラージプート出身のマリアム・ウズ=ザマニとかハルハとか多数の別名で伝えられ、ジョダー・バーイの名前はサリームの妻の一人とされて別人と言うことになっている……らしい。ただし、民間伝承的にはジョダーの名は人気が高く、マリアムと同一視されているとか。
*3 後の第4代皇帝ヌールッディーン・サリム・ジャハーンギール。細密美術やウルドゥー語文学を奨励した文化皇帝。
*4 アクバルの時代は、日本では織田信長〜徳川家康あたりと同時代だったりする。
*5 多少、枯れた色彩になってるけども、それはそれで往年の名画的。
*6 本名 ムムターズ・ベガム・ジャハーン・デーラヴィ。
*7 1969年、心臓病の悪化によって病死。享年36歳。