インド映画夜話

タカの獲物 (Madaari) 2016年 134分
主演 イルファン(製作も兼任) & ジミー・シェルギル & ヴィシェーシュ・バンサル
監督 ニシカーント・カーマト
"語れ、貴方の舌はまだ貴方のものなのだから"




 鷹が獲物を空に運び去った…その後、獲物が鷹を喰らい始めた。その、前代未聞な声はなんとも…心地よい音だった。
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 内務大臣の息子ローハン・ゴースワーミーが誘拐された。
 デヘラードゥーンの寄宿学校で常に護衛の目が光る中を、犯人はやすやすと子供を誘拐して行ったのだ。捜査担当のナチケット・ヴァルマーは、子供の命を守るために報道管制を敷いた上で捜査を開始するも、ネットは騒ぎ出し従わないマスコミも出始め、事態は混乱し続ける。しかし、いつまで経っても犯人側からの声明はなにもなく、手がかりは杳として知れない…。

 しばらく後、ローハン誘拐の現場に一緒にいた友人チクーの家に、ついに犯人側から電話連絡が入ってくる…「金はいらない。情報が欲しい。大臣と同じように、私の息子も誘拐された…これは政府の過失だ。内務大臣に、私の息子がいなくなった状況とその居場所を調べろと伝えてくれ。私が犯人を罰した後、大臣の息子は解放しよう。この要求が実行されない場合は…また誰かの息子が行方不明になるぞ」


挿入歌 Dama Dama Dam


 原題は、ヒンディー語(*1)で「人形使い」とか「猿廻し芸」の意とか。
 マラーティー語(*2)映画「Dombivali Fast」で監督デビューしたニシカーント・カーマトの、8本目の監督作となる社会派サスペンス(*3)。予告編では、その物語は実話に基づくとクレジットされている。

 インドより1日早くクウェートで、インドと同日にパキスタン、シンガポールでも公開されている。
 日本では、Netflixにて「タカの獲物」のタイトルで配信(*4)。

 要人の息子を誘拐した主人公の不可解な行動を通して、政府やマスコミ、警察などの事件の捉え方・広め方に見る社会の歪な情報化、無関心さ、無責任さが浮かび上がっていく物語の中で、トラウマ的記憶を抱えた主人公を苦しめる不条理な現実に隠された真の目的が、徐々に浮かび上がってくるサスペンスの傑作。
 そのインド社会…ひいては現代社会そのもの…の改善も改革もされない諦観に満ち満ちた現実のありように、ただただ一矢報いようとする一般人の姿の、なんと悲壮なことか。ただの誘拐事件と思えた冒頭から、様々な社会問題を内包した権力の腐敗を糾弾する、主人公に託された庶民の悲痛な願いの塊は、暗く思い情念となって見る側を叩きつけてくる(*5)。

 とにもかくにも、無力な一般人が一矢報いようとするその様を物悲しくも異様なオーラを放つ執着心とともに、それでも物静かで冷静な姿勢で行動する主人公を演じるイルファン・カーンの凄味が本当に凄まじい。
 それに対して、当初は反発し恐怖しながらも徐々に物事の推移からその真意を理解しはじめ、主人公と擬似父子のような関係になっていくローハン演じる子役ヴィシェーシュ・バンサルの演技も素晴らしか。

 そのヴィシェーシュ・バンサルは、2004年デリー生まれでマハラーシュトラ州ムンバイ育ち。
 2012年のTVドラマ「Na Bole Tum Na Maine Kuch Kaha(君は話さないし、僕も何も言わない)」で子役デビュー後、TVドラマ界で活躍。13年のオムニバス・ヒンディー語映画「ボンベイ・トーキーズ(Bombay Talkies)」の1編「Sheila Ki Jawaani(シェイラーの若さは)」の端役出演で映画デビューとなり、本作が2本目の映画出演作。その後は、Webドラマシリーズで主役を張っているそう。

 主人公を迎え撃とうと奔走する捜査官ナチケット・ヴァルマーを演じるジミー・シェルギル(生誕名ジャスジット・シン・ギル)は、1970年ウッタル・プラデーシュ州ゴーラクプル県デオカヒア村のジャート系(*6)地主の家生まれ。
 父方の大叔母に、インド美術界の巨匠でもあるインド=ハンガリーハーフの画家アムリター・シェルギルがいる。
 学生時代に家族でパンジャーブに移住し、大学卒業後に従兄弟と一緒に映画界に入るためムンバイに移住。演技教室での特訓の後、96年のヒンディー語映画「Maachis(マッチ棒)」で映画デビューし、続く99年の「Jahan Tum Le Chalo」で主役級デビューする。05年にはパンジャーブ語(*7)映画「Yaaran Naal Baharan」にもデビューし、以降この2つの映画界で活躍中。08年の出演作「A Wednesday!(あの水曜日!)」でアプサラ映画プロデューサー協会の助演男優賞を獲得したのを皮切りに各映画賞も獲得する活躍を見せている。
 11年のパンジャーブ語主演映画「Dharti」からはプロデューサーとしても活躍中。

 子供がいなくなったそれぞれの親の態度と対応が、時間が過ぎるとともにどんどん対比的に強調されていくのも印象的。
 誘拐されたローハンの父親と母親でもその困惑具合に差が生じ、どちらも息子を思う親でありながらも、大臣という仕事を持つ故に踏み切った手段も態度も見せられない父親、それに従うしかない母親の姿を見せつつ、事態が進展せず犯人の動機が見えない中で、母親が夫を見限って行動に出る様も圧巻。それを迎え撃つ主人公もまた、1人の親としての顔を見せ始める姿を見つめていく事になる、被害者でありつつ一定の理解を示していくローヒトの心境たるや、どんなものだったやら…。それを隠すように、大人ぶった口調で主人公をやり込めようと「ストックホルム症候群だね」というセリフに平然とした口調を変えすいじらしさが、なんとも良い教育を受けたお坊ちゃん然としていて将来が楽しみですわ。役の上でも、演じた役者的にも。うん。

挿入歌 Masoom Sa



「タカの獲物」を一言で斬る!
・インド人でも、インドの生水でお腹を壊すんだもんねえ…(いいとこの坊ちゃんだから、って事だろうけど)。

2020.9.5.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 西インド マハラーシュトラ州の公用語。
*3 かつ、2020年に急逝されたカーマト監督の、最後の監督作となった。
*4 あらすじで、盛大にネタバレされていたようですが…。
*5 ある意味、インド映画で人気のマサーラーヒーローをシリアスなリアリティ高いキャラとして描くと、こう言うキャラクターになるのかも…とも思えてくる。
*6 現パキスタン南部シンド地方を起源とする、18世紀に北インドで勢力を拡大した農耕民族。
*7 北西インド パンジャーブ州の公用語で、パキスタンのパンジャーブ州の共通語。別名パンジャービー。