インド映画夜話

ビッグ・シティ (Mahanagar) 1963年 131分
主演 マダービー・ムカージー & アニル・チャタージー
監督/脚本 サタジット・レイ
"職が欲しい人は臆病になる。でも君は違った。すごいことだよ。怒るわけないだろう"






 1953年のカルカッタ(現コルカタ)。
 毎日家事に走り回る主婦アロティ・モジュムダルは、忙しく働く銀行員の夫シュブロト、年老いた義父母、義妹の学生バニ、まだ小さい息子ピントゥと共に生活していた。狭い小さな家での大所帯で、生活費は逼迫。本職と共にアルバイトで費用を稼ごうとするシュブロトだが、それでもなお生活は苦しかった…。

 ある日、夫から知り合いの奥さんが働き出したと聞いたアロティは、自分も働いて家計を助けようと思いつく。「そうよ。なんでもっと早く思いつかなかったのかしら!」
 夫と共に新聞の求人欄を手がかりに、アロティは主婦層をターゲットにした裁縫機械のセールスレディの仕事を見つける。面接合格の知らせ以降、家では「女が働きに出るなんて」と怒る義父との"冷戦"が始まり、自分の稼ぎ以上の給料をもらうアロティに驚く夫シュブロトや、母を恋しがる息子との関係もギクシャクし始めてくる。…そんな中、シュブロトの勤め先の銀行が突如…。





  ベンガル人小説家ナーレンドラナス・ミトラー原作の小説「Abataranika」の映画化。
 本作は、後にアミターブ・バッチャンと結婚するベンガル人女優ジャヤー・バドゥリーの映画デビュー作(*1)でもある。英題は「The Big City」。
 日本では、1976年に「大都会」のタイトルで一般公開。2015年には、サタジット・レイ監督デビュー60周年記念「シーズン・オブ・レイ」で、デジタルリマスター版「ビッグ・シティ」として公開された。

 50年代のカルカッタを舞台に、外に出て働き始める主婦を主人公に据え、都会人の抱えるさまざまな生活苦・人生状況を描き出す1本。
 経済成長著しい大都市にて、どんどん変化していく生活の中で揺れ動く人間関係と、それに翻弄されながら自分の居場所を探し続ける人々。歩み進む人、置いていかれる人、変化を利用する人、変化を拒否する人…さまざまな人々の生き様を映しながら、それぞれに家族や家庭を抱えて生きていく(当時の)現代人の様子を描き出す。
 主演を努めたマダービーは、この脚本を監督から見せられた時に「私の知る、最初の女性主導の脚本だった」と驚き絶賛したと言う。映画全編に渡って、マダービー演じるアロティが縦横無尽に活躍して社会に立ち向かい、家庭を再生していこうとするその強さが小気味良い。

 現代日本でも通用する収入や仕事の不安定化、女性の社会進出による社会・家庭の変化具合、都会人の自己肯定感の希薄さを丁寧に描いていく映画構造の緻密さはさすが。仕事や家庭や上司に対して、1つ1つの問題をそれぞれに解決していくアロティやその周りの女性たちの強さ、聡明さ、前向きさが特に印象的。
 それと対比するように描かれる夫シュブロトや義父の零落ぶり、大学出のインテリであるはずのそれぞれの登場人物たちの活躍場所の違いなんかにも、インテリ(教育界?)への懐疑、伝統と(西洋風発展による)現実の対立具合とその昇華具合、男女や親子の対立構造が現されているよう。

 私自身が共働き家庭で育った身なので、いくら伝統とは言え一家の妻が働きに出る事にそこまでショックを受ける家族の姿はただ旧来的にしか見えないんだけれど、まあ、今でも子供を保育園に入れて仕事に行く母親を悪く言う人は、日本でもいるみたいだしなあ…。個人的経験から言うと、子供が寂しがるのなんて最初の数日間だけな気もするんですよ。
 近所に保育園か子供の世話を見てくれる人とかいると心強い気もするけど、カルカッタでは、隣人が同じコミュニティを共有する人とは限らないんですかね(*2)。

 ま、それにしてもアロティが勤める会社がそこまでブラックな所でない事がこの映画の救い。そこが一番恐かった所だよ……とか思ってしまうのは、現代日本の方がこの時代のカルカッタよりも社会状況が逼迫してるってことなんですかねえ…。本作でも、ラスト近辺は会社組織の非情さと人生の儚さが、しっかりきっちり描かれておりますけども…。


受賞歴
1964 ベルリン国際映画祭 銀熊監督賞
1963 National Film Awards 全インド認定第3主要作品功労賞




「ビッグ・シティ」を一言で斬る!
・アロティの売り込んでた商品は"自動縫い機"と言ってたけど、ミシンとは違う…の?

2015.11.27.

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*1 シュブロトの妹バニ役。
*2 まあ、家に祖父母や叔母がいるからってのが一番でかいんだろうけど。