インド映画夜話

Na Hannyate 2012年 136分
主演 ルーパ・ガングリー & ラフール・バナルジー & シャイニー・ドッタ
監督/脚本/撮影/原案/編集 オルナブ・リーンゴ・バナルジー
"忘れようとしても忘れられないの…。あの、お母さんの言葉が"




 1986年8月のサマスティプル。
 ラタンとシウリーの兄妹は、両親に愛されながら平和に育っていた。喧嘩ばかりで騒がしい兄妹をなんとか寝かしつけ、静かな夜を夫デベーシュと外で語らう母親ジュイだったが、その夜、突如起こった大地震が子供たちの寝ている集合住宅を倒壊させるのを目撃する…!!

 翌朝。瓦礫の山と化した周囲は、泣き叫び助けを呼ぶ人々で埋め尽くされていた。
 絶望の中、子供を探すジュイは瓦礫の中から息子ラタンの声を聞きつけ、周りと協力して子供達を助け出そうとするが…「待ってくれ。この中で柱が2人の上に倒れてる…1人を助けようとすると、柱がもう1人を押しつぶしてしまうぞ!」「柱を壊せない。助けられるとしたら、どちらか1人だ」「ジュイ、決めてくれ。1人しか助けられない。ラタンか? シウリーか? 他に方法はないんだ!!」「…待って。そんな…急に言われたって……!!」

 その昼。遺体安置所で息を吹き返したシウリーは、傷を負ったままあてもなく歩き出し、一人娘イーラムを亡くしたモルシード・シディッキー医師に保護されてコルカタへ連れられていった。夫婦に介抱されながらも一言も発しない彼女の脳裏には、あの時の母親の声がこだましていた…「息子を助けて! 息子を!!」




 タイトルは、ベンガル語(*1)で「死んではいない」
 中国で映画化もされている、カナダ在住の中国人小説家リン・チャン著の小説「Tangshan Earthquake(唐山大地震)」から着想を得た、ベンガル語映画。
 詩聖タゴールの弟子モイトレーイィ・デヴィ著の同名小説とは別物、のはず。

 未見ながら映画「唐山大地震」とほぼ同じ物語のようで、直接的な震災そのものよりも、地震によってそれぞれに心の傷を負ってバラバラになった家族の離散と再結合を描く一本。
 最初の地震が86年になってるのは、最後の展開を映画公開年に近い2010年にするための措置で、実際にビハール州でその日時に大地震があったわけではない…んだよね? 映画冒頭でも「この物語はフィクションです」と銘打ってるけども。

 地震で夫を失い、瓦礫の下敷きになった子供の命の取捨選択をしてしまったという傷を抱えてサマスティプルに残り続ける母親ジュイ。
 片腕麻痺ながら母親に助けられた事で、母親のために一旗揚げようと躍起になる息子ラタン。
 瓦礫の中で声を出すことができず、母親が自分を見捨てた事を聞いて「家族」なるものに絶望して別の家の養女になっていく娘シウリー。
 三者三様の震災による心の傷は、10年以上の歳月の中でそれぞれにそのトラウマを深くしていき「家族」を希求しながら望む形を手に入れられない現状を嘆いていく、人生の不条理を描いていく。
 中国と同じように家族の結びつきを特に重要視するインドにおいて、災害による家族の離散と結合を描く物語は、ストレートに家族観の崩壊と再確認を見つめていく流れを生み出して、次世代が新たに築いていく家族のあり方、血の繋がらない親子愛のあり方、シングルマザーや寡婦の人生、地域住民たちの協力体制など、多くの人のあり方を模索していくよう。それぞれの家族ドラマ・男女の推移の繊細かつゆったりとした描き方は、なんとなく朝ドラを見てるかのような雰囲気でもあるか。

 そこにかぶるインド特有の要素として、ヒンドゥー名の家で育っていたシウリーを助け出して自分の娘とするシディッキー夫婦がイスラーム名を名乗るイスラーム教徒である点。
 ヒンドゥー教徒たちが集まりヒンドゥー教徒たちで助け合っているサマスティプル郊外の農村地域の様子と、大都市コルカタにて主にイスラーム教徒たちに囲まれつつ「シウリー」と言うヒンドゥー名を堅持しながら養父母の実の娘として様々な人々の間で育てられていく様子が対比的に描かれる事で、普段は見えないながら人の暮らしの間に厳然と横たわるさまざまなボーダーラインが可視化され、それを意識して乗り越えていく人の姿に、事態の困難さと感動がより強調されて描かれていくこととなる。

 監督を務めたのは、1969年西ベンガル州都カルカッタ(現コルカタ)生まれのオルナブ・リーンゴ・バナルジー。
 インドやバングラデシュの広告会社で14年間働いた後、CMやミュージックビデオ監督を経て、2006年のベンガル語映画「Kranti」で長編映画の監督兼編集兼音楽コンポーザー兼撮影を手がけて映画界デビューし大ヒットさせる。以降も、自身の監督作では編集・撮影・音楽などを手掛ける多芸監督としてベンガル語映画界で活躍中。
 08年の「Love(ラブ)」で、アナンダロク監督賞を獲得している。

 主人公の1人、母親ジュイを演じたのは、1966年西ベンガル州都カルカッタ生まれの女優兼歌手兼政治活動家でもあるルーパ・ガングリー。
 結婚式に出席した時に、短編ヒンディー語(*2)映画「Nirupama / 公開は86年」への出演を依頼され、叔母の応援を受けて主演デビュー。この映画より前の84年公開のヒンディー語映画「Paar」で端役出演して映画デビューとなったよう。その後、TVドラマでも活躍する(*3)中、88年の「Pratik」でベンガル語映画にもデビューし、主にこの2つの言語圏の映画とTV双方で大活躍。日本公開作品「バルフィ!(Barfi!)」にも出演している。
 数々のTV賞のほか、96年の「Ujan」でベンガル語映画報道協会賞の助演女優賞を獲得したのを皮切りに、多数の映画賞も獲得している。
 2015年からインド人民党に加入して選挙運動を開始したものの、16年の州議会選挙では落選している。

 主人公の1人、ラタンを演じたのは、1983年西ベンガル州都カルカッタ生まれのラフール・バナルジー(生誕名オルノダイ・バナルジー。別名ラフール・オルノダイ・ボンデョパドヤーイー)。
 父親が劇団ビジョイゴル・オトマプラカーシュの団長を務めていて、演劇を身近に体験して育ち、学校の卒業後にTV俳優としてキャリアをスタートさせる。TVドラマやTVショーで人気を勝ち取った後、04年の「Aabar Aashbo Phire」で映画デビューし、以降ベンガル語映画&TV界で活躍中。共演の多い女優プリヤンカ・シャルカール(*4)と10年に結婚している(*5)。

 最後の主人公シウリー役には、本作が映画デビュー作となるシャイニー・ドッタ。
 父親は環境活動家スバーシュ・ドッタ(*6)で、コルカタ生まれ。本作公開の翌年「Shaada Kalo Aabcha」で複数の国際映画祭で知られる女優として名声を獲得。以降、モデル兼女優としてベンガル語映画界で活躍中。

 映画後半、過去と決別してそれぞれに自分の人生を歩みだしたかのように見える兄妹が、それぞれに求める家族観の衝突を経験し、ラタンは母親との距離を、シウリーは養父母たちへの複雑な愛情を抱えて生きていく、その静かな佇まいの強さも見もの。
 そこから、ある事件によって運命的な家族の再会を果たしていく展開は駆け足気味ではあるけれど、実の母親との再会を逡巡しながら「シウリー」と言う名前を頑なに捨てなかった妹の姿を通して、地震を生き残った家族3人の「死んではいないからこそ」前を向いていく生命力と人生への希望を見るようでもある…か。

プロモ映像 Theme Video




「NH」を一言で斬る!
・シウリーの家で子供に見せてるTVは、クレヨンしんちゃんなのね…!!

2021.3.5.

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*1 西ベンガル州とトリプラ州の公用語。
*2 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*3 88年から放送開始の「Mahabharat(マハーバーラタ)」ではドラウパディー役を演じ、スミター・パテール・メモリアルアワード女優賞を受賞している!
*4 本作でも、ラタンの妻ラボニ役で出演している。
*5 後、17年に離婚しているそうな。
*6 本作冒頭で謝辞が捧げられている。