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下層都市 (Neecha Nagar) 1946年 98分(102分、122分とも)
主演 ラフィーク・アンワル & ウマ・アーナンド & カーミニー・カウシャル他
監督 チェータン・アーナンド
"もう誰も、沈黙したままではいられない"
山間のスラム街に暮らす下層民たちは、日々山頂の豪邸に住む地主サルカールに搾取され続け喧嘩が絶えない。
それでもサルカールは下層民たちを無視して、山間の沼地の水を全て下流に放流して新住宅建設予定地にしようと計画を推進させ、抗議に来たスラム街代表たちをにこやかに追い返すのだった。
そのスラム街代表団の中にいたバルラージとサーガルは「これからも話し合おう」と言ってきたサルカールに一縷の望みを抱くものの、サーガルは早々に地主側に懐柔され「排水溝」を「運河」と言い換えてスラム街発展のために必要な施設だとバルラージ一家の前で宣言。ついに、スラム街に沼の汚水が襲来する…!!
バルラージと妹ルパは、医者である叔父(父親?)ヤークブを手伝って、街中に蔓延して行く伝染病と闘って行くことになるが、飲料水すら手に入らなくなったスラムでは打てる手は数少なく、人々はただ死を待つより他なくなってくる……。
挿入歌 Dil Mein Samaake (心から話したことを、忘れないで)
タイトルは、ヒンディー語(*1)で「いやしき街」。劇中の下層民たちが住んでいたスラム街の名前でもある。
ロシア人作家マクシム・ゴーリキーの1902年発表の戯曲「どん底(На дне)」を、インドを舞台に翻案した映画。インド映画史における、社会派リアリズム運動の先駆的存在となった1本でもあり、第1回カンヌ国際映画祭でグランプリ(現パルム・ドール *2)を受賞した映画になった。しかし、インド国内では一般公開されず、1980年代になって国営放送局によってTV放送されている。チェータン・アーナンドの監督デビュー作であり、舞台演劇出身の多数の役者の映画デビュー作であり、世界的に有名な音楽家ラヴィ・シャンカルの映画音楽監督デビュー作としても知られる。
日本では「下層都市」の邦題で知られている、らしい(*3)。
「どん底」の翻案ものと言うことで興味津々で見てたけど、本作公開の年に監督デビューするK・A(ホアジャ・アーメド)・アッバス(*4)が持ち込んだ脚本を基にしたという物語は、底辺生活者が集うスラム街の厳しさを描く群集劇という点が共通するだけで、物語的には明らかに別物。それが、インド社会の現実を映すための措置だったのか、「どん底」で描かれる底辺生活者の絶望的状況を当時のインド映画界が描こうとすると打倒富裕者にまとめないといけなくなった措置なのか……まあ、社会派娯楽映画という新潮流を成立させようとする、戦略的な措置という面から「どん底」を持ち出したという可能性も…ある?
舞台は山間の地方都市であり、都市と言っても貧困層の暮らすスラム街の他は富豪の地主が取り巻きたちと暮らしている豪邸があるだけで、人口を除けば都市というよりは農村的な雰囲気が強い。そんな場所にあって(そんな場所だからこそ?)、現在に至るまで描かれ続ける地主VS隷属民、富裕層VS貧困層の構図が全く変わらずに成立してしまうインド社会の絶望具合が、この頃から変わらず存在し続けている事が今見るとより重いメッセージに見えてきてしまう。植民地時代末期公開作の本作が描く階級闘争の悪役が、貧困層と同じインド人であるところは、まさに独立以後のインド社会を見透かしたような構造でもある…か?(いらん深読み)
そのほとんどが演劇界で活躍する俳優を起用する本作において、その悪役演技で圧倒的存在感を示すサルカール役を演じているのは、1898年英領インドはパンジャーブ州ラーワルピンディー(*5)に生まれた、ラフィ・ピール(生誕名ラフィ・ピールザーダー・シャー)。
父親は高等裁判所勤めの弁護士にしてインド・パキスタン独立運動にも大きな影響力を示した知識人ピル・タージューウッディーン。
ラホールの官立学校で育ち、ヒラーファト運動(*6)に参加して作家活動を始める。1916年からイギリスのケンブリッジ大学に留学して法律を学ぶが、イギリス人たちとの軋轢から乱闘事件を起こし、3年後にドイツに渡って、ハイデルベルク大学にて哲学を専攻。ドイツ語や英語、サンスクリット、パンジャーブ語、ウルドゥー語などで戯曲を制作して舞台演劇に身を投じて大学卒業後もドイツに残り、ヨーロッパ近代演劇の先駆者マックス・ラインハルトを師事して西洋演劇を体得して行く。
1930年代に入ってインド帰国し、インド演劇芸術アカデミーにて教授兼俳優兼演出家として活躍。近代ヨーロッパ演劇とインド伝統演劇を組み合わせた現代演劇、ラジオドラマを生み出す新潮流の中心的人物となって行った。彼の執筆した戯曲から、当時の社会規範に挑戦する様々なテーマや思想、伝統的表現様式をシリアスな現代劇に落とし込むことで生まれる新規表現などが現れて、高い評判を勝ち取って行く。
本作で映画デビューするも(*7)、監督が支配的な映画の現場に不信感を抱き、以後、舞台演劇やラジオドラマにおける役者の自由度の高さを追求して行くことになる。
1947年の印パ分離独立後、ラホールに移住して劇団ドラマ・マルカズを設立。パキスタンにおける最初期の舞台演劇・ラジオドラマ形成の中心的存在となる。その功績から、1967年に国からプライド・オブ・パフォーマンス賞を贈られている。
1974年、ラホールにて物故される。享年76歳。
映画冒頭に「ダンスなし。1曲だけ歌あり」と宣言して始まる冒頭にスラム街の人々のお祭りにて住民たちが歌って踊るシーンが入ってくるのは、ミュージカルではなくインド庶民の暮らしの中にあるお祭りの情景がそうだと言ってるような感じか。
劇中のスラム街で暮らす人々が、普段どんな仕事をしてるのかは不明ながら(*8)、細々とした暮らしの中で争いが絶えないスラム生活の中にあって、数少ない娯楽が歌であり、歌とともに踊りによって庶民たちが団結して行く様がインド生活上「普通のこと」として存在し、庶民の現実への抵抗として娯楽がるという姿を映している…と読み解くことも可能なのかどうなのか。まあ、インドに限らず政治運動を庶民化して行く過程で歌と踊りってのはよく使われる手段ではありますが。
映画ラストのスラム住民の決起によって立場が逆転し、絶望へと追い込まれて行くサルカールの狂気と孤独の寂漠感が、読後感を一段階上げて行くインパクトをもたらして行くわけですが、映画全編でサブリミナル的に「扉の隙間から覗く眼」が壁の文様として何度も出てくるそれが、最後に「持てる者」であるサルカールの持つ他者への猜疑心、不信感、全てを信じることのできない孤独感を表す象徴として大写しされる様はシュールレアリズム的なインパクト。その壁の隙間、柱の影から忍び寄るような庶民側の不信の眼に怯え、絶望する富裕者の姿は、そのシュールさと共にそれでもなお富裕層への共感を信じる姿を見てしまうのは、こちら側の曲解でありましょうかどうでしょか。
挿入歌 Hum Rukenge Bhi Nahi
受賞歴
1946 仏 Cannes Film Festival グランプリ(作品賞)
「下層都市」を一言で斬る!
・汚水をスラム街に流す時に『水道を止めたのか?』『いえ。そんなことは…』みたいなこと言ってたけど、その気になればできるってこと?
2026.8.28.
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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*2 本作がグランプリを獲った1946年には、11作の映画にグランプリが授与されている。
*3 どこかで上映・配信されてたの?
*4 本作では、クレジット未表記。
*5 現パキスタンのパンジャーブ州ラーワルピンディー県都。略称ピンディ。
*6 第1次世界大戦後に英領インドで広がった、カリフ制維持を掲げる汎イスラーム主義による反英運動。
*7 ラフィ・ピール唯一の映画出演作でもある。
*8 主要人物であるバルラージとルパは、医者ヤークブの手伝いとして医療業の知識があることは描かれている。
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