インド映画夜話

Nishabd 2007年 110分
主演 アミターブ・バッチャン & ジアー・カーン
監督/製作 ラーム・ゴーパル・ヴァルマー
"彼は60歳…愛した彼女は18才"




 その日、崖の上にたたずむヴィジェイ・アーナンドは、何度も何度も身を投げようと決意しながらも果たせずにいた。彼を悩ませるのは、あの少女の記憶…。

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 ヴィジェイの前にジアーが現れたのは、娘リトゥが連れて来た友人としてだった。
 ケーララ州の実家に帰省して来た娘に連れられて来たジアーは、オーストラリアからインド留学している印系大学生。その無邪気で自由奔放な振る舞いに、ヴィジェイと妻アムリターは困惑し続ける。しかし、写真家だというヴィジェイに興味を持ったジアーがカメラを通してヴィジェイに近づいて行くようになると…。
 「貴方、ジアーとはあまり関わらないほうがいいわ。あの子、少し変わってるみたい…」「気にしすぎだろう」そんな夫婦の会話と同じ頃、ジアーとリトゥも話し合っていた…「ねえリトゥ、貴方のパパって素敵ね。私、気に入ったわ」「え? どんな所が?」「素敵なのは、素敵な所よ…」


プロモ映像 Rozaana


 女優ジアー・カーン映画デビュー作となる、ヒンディー語(*1)映画。
 タイトルは、「ものが言えないほど」「筆舌に尽くしがたい」みたいな意味…なのかな?

 その物語は、1999年のハリウッド映画「アメリカン・ビューティー(American Beauty)」と、86年のヒンディー語映画「Anokha Rishta」からインスパイアされたものであるそうな。批評家からは、その内容が1977年のフランス映画「Un moment d'e´garement(戸惑いの瞬間)」と似ていると指摘されている。
 本作公開後、05年の印仏合作ベンガル語(*2)映画「Nisshabd(沈黙へ至る)」の監督ジャハール・カヌンゴから、本作がタイトル侵害をしているとして訴えられていたと言う。

 ケーララの幻想的な避暑地を舞台に(*3)、青味がかった画面が全編を支配するアンニュイな空気濃厚な一本。
 プランテーション経営によるお屋敷を舞台に、主要登場人物4人(+後半に2人追加されるくらい)のみで構成される物語は、平和な家族の中に突如招かれて来た来訪者の少女による情熱によって、その家庭も少女自身も崩壊する様をねっっっっっとりと見せつけていく。歌や踊りは一切登場しないし(*4)、特別アクションその他の刺激的シーンもないながら、静かで平穏な暮らしの中に突如現れた異物による「愛」ともつかない「衝動」の拡大が、徐々に家族なるものを崩壊させていく様を丹念に描くことによって、全編静かながら緊張感みなぎる映画になっている。これを恋愛劇ととるか家族劇ととるか、はたまた別の何かととるかは、見る人それぞれの価値観によってその印象は変わる…かもしれない。

 本作のジアー役で映画デビューしたジアー・カーン(生誕名ナフィサー・リズヴィ・カーン)は、1988年米国はニューヨーク生まれでロンドン育ち。
 父親はインド系アメリカ人のビジネスマンで、母親は80年代にヒンディー語映画で活躍した女優ラビヤー・アミン。2才の時に父親が出奔してからは母親と妹たちと共に暮らしていたそうだけど、父方の叔母にパキスタン人女優兼映画監督のサンギータ、同じくパキスタン人女優カヴィータがいる。
 6才の頃に、本作と同じラーム・ゴーパル・ヴァルマー監督作となる「Rangeela(色彩)」を見て女優を志し、98年の「ディル・セ(Dil Se..)」にノンクレジット出演。米国のリー・ストラスバーグ演劇&映画研究所で演技とダンス、歌を修得し、16才の頃に「Tumsa Nahin Dekha」の主演最終選考に残り撮影もされていたものの「役に対して若すぎる」ことから監督との協議の末降板。07年公開の本作で主演デビューを果たし、フィルムフェア新人女優賞ノミネートされ批評家たちからの評判を勝ち取った。以降、08年の「Ghajini(ガジニー)」、10年の「Housefull(ハウスフル)」と大ヒット作に連続して出演してその活躍を期待されていながら、13年にムンバイの自宅で自殺しているのを家族に発見される。享年25才。その死について、彼女が残したメモから、同居関係にあった男優ソーラジ・パンチョーリーが起訴されている。
 その葬儀にはヒンディー語映画界の著名人が集まって弔意を表した他、彼女の死をテーマにしたTVドラマやドキュメンタリーが製作されているそう。

 ジアー・カーンの生い立ちを反映したような、ヒロイン ジアーのインド人らしくない奔放さ(*5)とセクシーさ、その危うさが、文化人として良き父・良き夫を演じるヴィジェイの価値観や倫理観を壊していくさま、それを望むように振る舞うジアーその人のティーンエイジャー特有の不敵さ・壊れやすさを、主役2人が嫌味なく演じてしまうその演技の説得力たるや、もう…。
 大スター アミターブを相手に、アミターブ自身を喰う勢いのジアー・カーンのパワフルさ、その10代特有の不安定さこそが本作の最大の魅力になってるあたり、新人発掘のうまいヴァルマー監督作の力量が遺憾なく発揮された一本って感じ。好々爺然としたヴィジェイの壊れようも、ジアーの輝くような演技とともに一見の価値あり。

 静かで満たされた家庭において、家族の愛を求めながら家族を裏切ってしまう有様のままならなさ、家庭こそが1番安全な場所であるはずという価値観が通じなくなった時の家庭内の虚無の有様が、静かに刻々と綴られていく映像の美しさは、古典的でありながら効果的に心情を揺さぶって、「家族を優先にすることで失ったもの」「情熱を優先したことによって失うもの」を対比的に見せつけていく。家族の会話劇を中心に見せていく映画にも関わらず、その詩的な画面のねっとりさが印象に残る映画でありますわ。

 ま、どんなに仲が良くてウマが合う人同士でも、個人的に書きつけてる作詞ノートも無断で見たら嫌われると思うけどなあ…うん。



プロモ映像 Take Lite





「Nishabd」を一言で斬る!
・ヴィジェイがジアーへの愛を妻に告白するシーンで、それを横で聞いてるジアーの無表情さの中に潜む不敵さが、もう…。

2023.3.10.

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語でもある。
*2 北インド 西ベンガル州とトリプラ州、アソム州、連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島の公用語。
*3 ロケも、実際にケーララ州イドゥッキ県ムンナールで行われたそう。
*4 登場人物が歌うシーンはあるけど…また、そのシーンの意味深なことったらもう…。
*5 まあ、ジアー・カーンに寄せたと言うより、インド側から見る欧米文化圏育ちへのある程度のステレオタイプを利用してる感が強いけど。