インド映画夜話

Nonsense 2018年 147分
主演 リノーシュ・ジョルジ(歌&作詞&音楽コンポーズも兼任)
監督/脚本/原案 MC(・ジティン)
"あらゆる問いに対する答えは、全て自分自身の中に"




 ケーララ州北部(カンヌール県?)の山間部ヴェラーヴァナに住む高校生アルン・ジーヴァンは、なにをおいても自転車が1番。祖父との2人暮らしの中、学校のテストよりも自転車にばかりに熱中するため、学校では「ナンセンス(馬鹿者)」と呼ばれ続けている。

 自転車に熱中する傍ら、何事も機転を利かせて問題解決するアルンはしかし、学力面では教師たちにその能力を認めてもらえず問題児扱い。そんな彼の目標は、国内最高のBMX(=自転車競技Bicycle Motocrossの略称)選手アヌル・ペールのような自転車競技選手になる事。

 だが、あまりにも自転車に熱中しすぎて担任のシーナ先生から罰則課題を命じられた彼は次の日の朝、荒い運転の車にペンを壊されて遅刻するわ、緊急の職員会議でシーナ先生と会う時間を潰されるわで、先生に課題を渡す暇もなかった。
 今日中に課題を提出できなければ次の試験を受けさせてもらえないと焦るアルンは、下校中にシーナ先生の車を見つけて追いかけるも追いつけず、車を降りた先生の娘ジェスナと同僚の先生が美容院に寄っている間に、ジェスナと仲良くなってシーナ先生に会う機会を伺おうとする。しかし、彼が少し目を離したスキにジェスナが交通事故に巻き込まれてしまって…!!


ED They Call Me Nonsense (僕らはナンセンスと呼ばれて)


 インド映画史上初のBMXに言及した映画となったと言う、マラヤーラム語(*1)映画。
 これが監督デビュー作となるMC・ジティン(*2)と、映画デビューとなるミュージシャンのリノーシュ・ジョルジの、新人お披露目映画でもあるか。

 BMXのスタントに熱中する主人公の物語、と聞いて隠れた天才の織りなすスポ根映画かと思って見てみたら、スポ根要素はほぼない、学校教育と世相を皮肉る風刺映画的な1本でしたわ。
 前半は、「ナンセンス」と言われ続ける主人公アルン(*3)を中心に、高校生たちのしょーもない学校生活のドタバタの中で、画一的教育では生まれ得ないアルンの独創的な問題解決能力、その知力の使い方が描かれていって、学校教育のあり方にわかりやすい疑問符を投げかけていく展開。
 中盤から一転して、担任の娘である幼い(*4)ジェスナの緊急手術のための輸血を探しに東奔西走するアルンと巻き込まれたオートリキシャー運転手サントーシュを通して、世間に広がる分裂、政治的対立、政治的・宗教的パフォーマンスにばかり終始する分断を狙う画一的思考を攻撃する内容へと変わっていく。

 アルンの日常生活描写を丁寧に追いながら、その不器用ながら善良な人となりを描いて行くため、お話が動き出すまでにだいぶ時間がかかるのんびりとした映画なんだけども、カメラが詳細に追うアルンの日常を通して、その生活圏にいるさまざまな人々との交流、議論、うまく行ったり行かなかったりする由無し事の中で、社会の抱える画一性、想像力の無さからくるコミュニケーション不足、世間の頑固さが事細かに表されて行く構成。

 元々、映画監督兼ファッションカメラマンのアブリド・シャインと共に映像制作に関わっていたと言うMC・ジティンが、ミュージシャン兼DJのリノーシュ・ジョルジのMV制作にアブリド・シャインと共に入ってきたことで、企画が本格的に動いたという本作。
 当初は、どこも制作を引き受けてくれるスタジオがなかったと言うものの、リノーシュ・ジョルジのMV人気の高まりによって映画会社ジョニー・サガリカ・プロダクションハウスに採用されて本格始動したのだそう。その意味では、主人公アルン演じるリノーシュ・ジョルジあってこそ、ミュージシャン リノーシュの俳優演技お披露目映画でもあるんだろうけど、映画自体はわりと地味であり世相を映すピリリと皮肉の効いた落ち着いた日常ドラマの所作が嫌味なく美しい。
 学校の教師陣やアルンたちの輸血ドナー探しを妨害する各青年団の連中など、悪役たちの頑固さ、人の話を聞かない自己主張の強さもアピールされるものの、ある程度その背景もフォローされ、特に先生たちの厳しさに対してある程度の反省が描かれていく所も良心的なお話としての麗しさを強調する。

 そんな厳しい学校生活をいろんな悪知恵で切り抜けようとする映画前半の学生たちの小狡さ、生意気さに「へえ」と感心してしまいそうになるシークエンスも興味深いけれど(*5)、より「ほほぅ」と感心してしまいたくなるのは、映画後半に「Aーの血液型のドナーが必要」と東奔西走するアルンたちの動きをことごとく邪魔してくるハルタル(*6)の運動を皮肉的に・懐疑的に描いている点。
 現行の政府方針への抗議の意味で始められることが多いと言うハルタルは、ヒンドゥー・ナショナリストたちが標榜し監視し管理される政治運動になっているように本作では描かれていて、それがために失神したまま意識が戻らないジェスナの緊急手術に対する医療スタッフ不足、予約優先のための輸血在庫不足、事件に巻き込まれたオートリキシャー運転手のサントーシュ以外にリキシャーが動いてなく、交通・病院・役所・商店街が機能不全を起こしている事による危機的状況の進行が描かれていく。
 その中で、必要最低限に病院・交通を動かして事態に対処しようとする人、ドナー探しに動くアルンたち、病院に急ぐシーナ先生やその同僚を「ハルタルに参加しない馬鹿ども」と叱責し、石を投げ、リンチしようと言い出す「政治的に正しい青年団」と「それに反発して青年団に喧嘩を売って事態をより混乱させる主義者たち」の、あまりにも意味のなさすぎる衝突と妨害のしょうもなさが、頑迷な世間を映す鏡である事をこれでもかと表していく。そうしたダメダメな世間に抵抗しようとする、良心的存在のように見えるアルンに協力する占い師のおばさんやリキシャー運転手仲間たちもまたそこまで信用できないままに、遠回りさせられるアルンの脱力感も「なんだかなあ」ではあるんだけど、その旅路を通して言い合いが続くアルンとサントーシュの2人の絆がだんだんと強まっていく姿がお話をより盛り上げていって美しい。
 裏主人公的な存在感を見せるサントーシュ(*7)が、アルンとの1日だけの旅を通して、平静を装いながらも自分の中にあった偏見・頑固さ・世間に流されている視野狭窄を見つめ直し、最終的にそれを乗り越えていく姿は本当に印象的。完全に主人公を喰って一番の存在感を見せつけるサントーシュ(*8)のカッコ良さだけでも一見の価値ありってもんですわ(*9)。ハルタルと言う、世間一般に広がった政治運動を通してさまざまに見えてくる世間の分断の在り方と、それを乗り越えようとする人の姿を、きっちりスッキリ描いていく姿勢に、マラヤーラム語映画界の健全さと言うか、映画というものへの丁寧さを見るようですわ。

 映画ラストに出てくる、第11代インド大統領A・P・J・アブドゥル・カラームの標語も、引用の仕方が分かりやすすぎな面はありものの、話を粋に締める効果を産み出してて良きデスヨ。



挿入歌 Pularnila Kasavumayi (絹のような朝の光を、道が歓迎しているよう)





「Nonsense」を一言で斬る!
・ケーララの学校は、授業中は荷物は廊下に出して置くもんなの?

2024.3.22.

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*1 南インド ケーララ州とラクシャディープ連邦直轄領の公用語。
*2 エンドクレジットでは、Film by MC & FRIENDS と出てくる。
*3 夜明け、始まり、兆しなどの意。
*4 小学1年生くらい?
*5 丁寧すぎて、やや冗長ではあるけれど。
*6 劇中ではMinnal Hartal="輝かしきハルタル"とも。インドの独立運動期の抵抗運動を起源とする、労働ストライキ。
*7 演じるのは、舞台・TV・映画で活躍する名優ヴィナイ・フォルト。
*8 幸福、信任の意。
*9 ま、最初にその態度でいてくれれば、みんなが苦労する事もなかったのに…ってツッコミも可能ではありますが。