インド映画夜話

おじいちゃんの嘘 (Ottaal) 2015年(映画祭上映では2014年) 81分
主演 マスター・アシャント・K・シャー & クマラガム・ヴァースデーヴァン
監督/台詞 ジャヤラージ
"おじいちゃんへ…今夜はクリスマスイブです。でも、僕には聖夜は訪れません…"




 クリスマスイブの夜…。
 クッターバーイは、夜中に起き出してろうそくの火の中でおじいちゃんへの手紙を書き始める…
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 ケーララ州中南部クッタナードの農村地域。
 ここで、大量の鴨の飼育に従事する老人と孫がいた。老人は70才。孫のクッターバーイはまだ8才。借金苦から自殺を図った家族の中で唯一生き残り、仕事を引退しようとしていた祖父に引き取られて鴨の飼育業で生活していた。
 美しい水と緑に囲まれたクッタナードで、祖父に愛され伸び伸びと生活するクッターバーイだったが、遊び友達の地主の息子ティンク(本名トマス・クルヴィラ)から聞かされる小学校の話に興味津々。
 彼の宿題を手伝う中で、その頭の良さを発揮するクッターバーイを学校に通わせてはどうかとティンクの母親が提案してくるも、おじいちゃんは「私たちは、流浪の民ですから」とやんわり否定。
 「あんな鴨飼いなんかと関わるんじゃない」と命じるティンクの父親の言もあり、村の富裕層とは隔絶した生活を強いられる2人だったが、ある夜、祖父の容態が急変して…

挿入歌 Aa Manathilirrunnu

 ロシアの文豪チェーホフの短編小説「ワーニカ(Vanka)」を現代インドに翻案した、児童労働問題を描くマラヤーラム語(*1)+英語の芸術系映画。
 原題も、マラヤーラム語で「罠」の意。劇中物語と、その中で登場する漁師が使っていた魚取りのための籠状の罠をかけたタイトルか(*2)。

 2014年に各映画祭で上映された後、その評判から翌15年に一般公開されたそう。一般公開と同日にオンライン配信もされた作品(*3)。
 日本では、2016年に京都国際子供映画祭で「わな」のタイトルで初上映され、翌17年にTUFS(東京外国語大学) Cinemaでも「わな おじいちゃんへの手紙」のタイトルで新日本語字幕で上映。Netflixにて「おじいちゃんの嘘」のタイトルで配信されてもいる。

 冒頭、薄暗いタコ部屋に押しこめられて眠る多くの子供たちの中から、ひそかに起き出した主人公がろうそくの火を頼りに祖父への手紙を書き出して始まる映画は、貧困の中で不運に見舞われた子供を通してクッタナードの豊かな自然を描いて行き、そこで河とともに暮らす労働者たちと、村の富裕層の暮らしを点描的に映し出して行く。
 のんびりとした農村部の豊かな情景が占める前半部は、ゆるやかな観光ビデオのような雰囲気ながら、そこに潜む解決不能な貧困問題、生活文化の差、自然界の様相の変化、不幸な未来が予見される主人公の境遇がそこはかとなく現されて行き、後半に自分の老い先を自覚した祖父の決断に始まるあまりにも厳しい現実は、現代もまだ「ワーニカ」の描かれた時代となんら変わらない冷酷な現実が、なお解決不能のまま継承され続けていることを見せつけていく。

 クッタナードの自然景観の美しさもさることながら、その川周辺で暮らす肉体労働者たちの厳しくもどこか牧歌的な暮らしも注目所。
 地主の家と思われるティンクのような屋敷(*4)で暮らす人々との、衣食住での生活レベルの圧倒的格差を見せつけながら、それぞれに遠くの相手との呼びかけに使われる一定リズムのかけ声の数々、灯台役の男や祖父が歌う民謡的な歌の数々、それらを修得していくクッターバーイの様子を通して、こうした人々の持つ生活文化の豊かさ、たくましさ、不安定さ、儚さが印象的にも描かれて行く。
 日が落ちて夜が訪れ、再び日が昇って次の日がやってくる事を水車の回転に乗せて歌い上げるさまの、なんと美しく、かつもの悲しいことか(*5)。

 監督を務めたジャヤラージ(・ラージャセーカラン・ナーイル)は、1960年ケーララ州コッタヤムのナーイル家系(*6)生まれ。
 エレクトロニクス&コミュニケーションの工学士を取得する学生時代に、州都ティルヴァナンタプラムでさまざまな映画祭に参加して数々の映画に触れ(*7)、大学卒業後にタミル人映像作家バラタンと意気投合。彼の監督作となる87年のマラヤーラム語映画「Chilambu」で助監督に入って映画界入り。90年の「Vidhyarambham」で監督デビューする。
 92年の「Kudumbasametham」でケーララ州映画賞の次点作品賞を、監督作であるとともにプロデューサーデビューともなった96年の「Desadanam」でチェコのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭特別賞を獲得したのをはじめ、国内外で多くの映画賞を獲得し注目される。オセローの翻案劇となる97年の「Kaliyattam」、ナヴァラサ・シリーズ第1作「Shantham(静寂)」、続くシリーズ第2作「Karunam」など話題作も多い。
 02年のナヴァラサ・シリーズ第3作の「Bhibatsa」でヒンディー語映画監督デビューし、05年の「Yuva Sena」でテルグ語映画に、08年の「Sila Nerangalil」でタミル語映画にもデビューしている。
 娯楽映画界の活躍とともに、一般の映画館ではかからない芸術系映画でも数々の名作を送り出し、世界中の映画祭から注目される映画人でもある。

 劇中のおじいちゃん役を演じたクマラガム・ヴァースデーヴァンは、本物の漁師だそうで、ロケーション探索していたジャヤラージ監督と出会い、映画出演する事になったとかなんとか(ホンマ!?)。

 カメラワークの見事さとともに、農村地域に暮らす人々を演じる役者たちの生活臭の強い身のこなしの確かさなんかは、まさに黒沢映画にも通じる見事な映像構成力。どこまでが役者の演技で、どこまでがリアルな暮らしぶりから来る所作なのか、ワタスのようなインド未経験者にはわからないぜよ。
 そういや、主人公の友達ティンクの家の"クルヴィラ"と言う名字は、インドで発達したキリスト教東方教会シリア=マナバル典礼カトリックの家が名乗る事が多い名前だそうで、近代以降にキリスト教に改宗した人々とはまったく違う派閥をなし、同じクリスチャンと言えども両者の間の生活格差、その大元にある格差意識は根深いものがあると言うのも初めて知りましたわ…。

 ラストシーンを希望と見るか絶望と見るかは、あえてぼかした描き方になっていて、人によって受け取り方が変わるんだろうけど、原作がああ言う物語だからなあ…。希望的解釈に立ったとしても、「ティンクに手紙を読んでもらってるおじいちゃん」の絵面あたりで、彼の状況を予見していた祖父やティンクの母親が、それでも結局彼を救い出せないままだった事を連想させられると、希望を希望のままに実現できる可能性も…。
 まあ、その辺は余計な深読みと言うヤツで、それ以上の事を語るのは野暮ってもんだけどネ!

出演者インタビュー(マラヤーラム語/字幕なし)

受賞歴
2014 National Film Awards 脚色賞(ジョーシ・マンガラット)・自然環境保全および保護に関する作品賞
2014 Kerala State Film 作品賞
2015 Mumbai Film Festival インド金道賞・衝撃的社会福祉作品賞
2015 International Film Festival of Kerala スヴァルナ・チャコラム(金雉)作品賞・FIPRESCI(国際批評家連盟)作品賞・NETPAC(アジア映画プロモーション・ネットワーク)マラヤーラム語映画作品賞・ラジャタ・チャコラム(観客)賞
2016 独 Berlin International Film Festival クリスタル・ベア(Generation Kplus)注目作品賞


「おじいちゃんの嘘」を一言で斬る!
・まさか、インド映画で『窓際のトットちゃん』が出てくるとは思わなんだ…。ちゃんと『Toto Chan』と発音してたし(ケーララで15版も重版させている人気作なんだそうで!!)。

2017.6.23.

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*1 南インド ケーララ州の公用語。
*2 それを匂わせるように、タイトルロゴの中に籠と魚の文様が現されている。
*3 これはインド映画史上初だそうな。
*4 観光客滞在用に貸出してるほどの規模。
*5 水車の回転は、時間の経過とともに太陽そのものの仮託…なのかしらん?。
*6 ケーララ州に広がる、特殊な信仰体型と母系集団で形作られる複合カースト・コミュニティ。別名ナーヤルとも。
*7 特に「羅生門」と「自転車泥棒(Ladri di biciclette)」に影響されたそうな。