インド映画夜話

Psycho 2020年 134分(144分とも)
主演 ウダヤニディ・スターリン & ニティヤー・メーノーン & アディティ・ラーオ・ハイダリー & ラージクマール・ピッチュマニ
監督/脚本/作詞 マィスキン
"1人にしないで…!!"




 タミル・ナードゥ州コーヤンブットゥール(英語名コインバートル)周辺にて、13件もの猟奇殺人が続いていた。
 犯行は一様に若い女性をターゲットとして、首なし死体の状態で人里離れた場所で発見される。専門家は、事件について「シリアルキラーにとって殺人は狩りと同じです。犯人は、被害者の顔をトロフィーのように陳列する事に意味を見出しているかもしれません」と分析する…。

 この事件を報じるラジオDJダーギニーは、ここ最近自分をストーキングする男の存在に悩んでいた。
 図書館内や買物中、友人の結婚式にすら登場する視覚障害の男ガウタムは、兄の手を借りて彼女の行く所全てに先回りして来る。怒るダーギニーの抗議によって式場客の前で罵倒されながらも、それでもガウタムが歌った愛の歌は、騒然とする式場を一瞬で静かな感動に満たしていき、ダーギニーたちを驚かせるのだった。この一件で男に興味を覚えたダーギニーは、ガウタムに1つの提案をする…「明日、私の仕事が終わった後、私に会いにきて。何処にいるかは番組の中でヒントを出してあげる。場所がわかったら、貴方を私の誕生日会のゲストに呼んでもいい。でも、わからなかったらもうそれっきり。私につきまとわないで」
 次の日の夜。コーヤンブットゥールのペリヤナイッケンパラヤン駅でガウタムを待つダーギニーだったが、突如見知らぬ男に襲撃され昏倒させられて連れ去られてしまう! その直前、意識が遠のくダーギニーは、向こうからガウタムが来るのを発見するが声も出せず、目の見えないガウタムもまた、音もなく彼女を連れ去る犯人の気配をわずかに感じるだけで犯行を防ぐことができなかった。彼が見つけたのは、現場に残されたダーギニーのアクセサリー1つ…。

 ある地下室にて、体を手術台の上で固定された状態で目を覚ましたダーギニーだったが、彼女は恐怖の表情を見せる事なく不敵な笑顔を犯人に向ける…
「怖くないのか? 俺は今からお前を殺すんだぞ」
「…殺すなら殺して。でも、私は怖くない。きっとガウタムが見つけてくれるから」
「ガウタム? 誰のことだ?」
「…7日後に私の誕生日がやって来る。私が生きていようと死んでいようと、ガウタムはそれまでに必ず私を探し出して、ここから連れ出してくれる…どう? 貴方、怖くないの?」


挿入歌 Unna Nenachu (君の記憶の中で [僕はロウソクのように溶けていく])


 2006年の「Chithiram Pesuthadi」で監督デビューした、マィスキンの9本目の監督作となるタミル語(*1)サイコスリラー。
 その物語は、仏典に語られるアングリマーラ伝説(*2)をもとに構成されたものとか。

 インドと同日公開で、フランス、シンガポール、米国でも公開されたよう。
 1960年の同名ハリウッド映画を始め、インドでも2008年の同名カンナダ語(*3)映画など、いくつか同じタイトルの映画があるけれど、それらとは別物(のはず)。

 正体不明の殺人鬼の起こす不可解な殺人事件に巻き込まれた、人気ラジオDJヒロインとそのヒロインの救出に奔走する視覚障害者の探偵役の男双方の目で見た犯人の目的とその背景を描くサスペンス劇。
 1カット1カットが、美麗なレイアウト・色彩で構成されたアート系の匂いが強い作りで、凄惨な殺人現場やその被害者の死体発見(*4)などの刺激強めの絵面に対して、スタイリッシュな画面作りや色彩がそれを中和し、ある程度都会的なファッショナブルかつ刹那的な雰囲気を醸し出して行く。
 アディティ・ラーオ・ハイダリー演じるヒロインのダーギニーが、監禁され殺人の現場を強制的に見させられる立場として終始精神的に追い詰められる被害者側として描かれながら、ラストの犯人の真相に一番近い立場で事件発生の原因を報道者の目で確認させられるのも秀逸な構成。
 対して、能動的に動く名探偵役のガウタムは視覚障害者で音を頼りに動くしかなく、そのガウタムと協力して犯人を追う元捜査官カマラ・ダースは事故によって半身不随になって歩けないと言う、殺人鬼を追うのには致命的なハンディキャップを背負うコンビの活躍とそのドキドキ感もたまらない。

 ダーギニーを救いたいガウタムと、そんなガウタムが自分を見つめてくれると確信しているダーギニーの強い絆を説明するための前半20分強のガウタムのストーキングラブも、話の持ってき方としては分かるんだけど、殺人鬼がガウタムのことを「知らない」と言うまで怪しさプンプンの恐ろしさが先に立ってしまう危うさもあって、こいつが犯人ちゃうかくらい思ってしまうのは意図的な演出なのかどうなのか…。インド映画で肯定的に描かれがちでありインド国内でも問題視されてるストーキングラブを、そこまで堂々と犯罪捜査の前段階として描く度胸に、逆に感服してしまいますわ(*5)。

 その探偵役の主人公ガウタムを演じるウダヤニディ・スターリンは、1977年タミル・ナードゥ州都マドラス(現チェンナイ)中心部のアルワルペット生まれ。
 父親は元男優でありDMK(ドラヴィダ進歩党)党首で現タミル・ナードゥ州首相(*6)のM・K・スターリン(本名ムットゥヴェール・カルナーニディ・スターリン。*7)。祖父はDMK創設者であり元党首、タミル・ナードゥ州首相も務めていたM・カルナーニディ(別名カライニャル[*8]。本名ムットゥヴェール・カルナーニディ。*9)で、親戚に政界(や映画界)の著名人が並ぶ政治家一族の生まれ。2002年に結婚した妻キルティガは、ライフスタイル雑誌"Inbox 1305"編集長を務めていて、息子インバン・ウダヤニディはインパールのフットボールクラブ"NEROCA FC"の選手になってるとか。
 地元の大学で商学の学位を取得後、映画プロダクション"レッド・ジャイアント・ムービーズ"を設立して、自社製作映画第1号作となる2008年のタミル語映画「Kuruvi(運び屋)」でプロデューサーデビュー。続くプロデュース作の09年の「Aadhavan(太陽)」でエンディングにゲスト出演し、10年の「Vinnaithaandi Varuvaayaa(空を飛んで会いにきて)」で配給を担当。12年には、プロデュース作である「Oru Kal Oru Kannadi(石1つ、鏡1つ)」で主演デビューを果たしてフィルムフェア・サウス新人男優賞他複数の新人賞を獲得する。翌13年公開の「Vanakkam Chennai(こんにちは、チェンナイ)」では自身はプロデューサー兼ゲスト出演しつつ、妻キルティガ・ウダヤニディを監督デビューさせてもいる。以降、自身のプロダクション製作映画を中心にタミル語映画界で活躍。
 その後、DMKの勢力拡大とともに州内選挙運動に身を投じ、2021年の州立法議会選挙にてチェパウク=ティルヴァッリケニ選挙区から立候補して当選。政治家に転身して、2022年には父親の内閣にて青少年福祉・スポーツ開発大臣に任命されている。

 本作のアイディア元となったと言うアングリマーラの伝説とは、ブッダの直弟子の1人アヒンサカを主人公とする物語のこと。
 バラモン出身で4ヴェーダを学んでいた身ながら(*10)、師事していた師匠の妻に言い寄られてそれを断ったため「アヒンサカに襲われた」と師匠の妻に偽証されて、そのために怒る師匠から「これから通りで出会った順に相手の指を切り取り、首飾りを作れ」と命じられて逆らうことができず殺人鬼となってしまい、指鬘=アングリマーラと呼ばれるようになったと言う。
 仏典では、その後100人目の犠牲者(*11)が出る前に仏陀の説法によって仏法に帰依し殺人をやめた。しかし、その後も彼の噂を聞き知った人々から迫害・暴行を受ける日々を送り、これこそが自身の行いの報いであると悟ったと言う。

 本作では、このアングリマーラを殺人鬼に投影してその原因をより劇的に、より悲壮感漂うその生い立ちに描きながら、監禁されていたヒロイン ダーギニーがその真相を知ってしまう悲哀もまた皮肉というか、もの悲しい。真の原因の映画的あり方は違うものの、その犯人の心性の方向はダヌシュ主演作「残骸(Kaadhal Kondein)」に通じる残酷さがある感じ。
 探偵役のガウタムが、仏陀の名前ゴータマから来る名前なのも仏教由来(*12)なら、ガウタムと共に警察とは別に犯人捜査する第2のヒロイン カマラ(蓮華の意)もまた、仏教由来の救済を意味する登場人物である象徴でしょか。
 そうなると、最初のヒロイン ダーギニーの名前も意味深く響いて来る。ダーギニーとは古代ベンガルに起源があるとされる豊穣女神の名前で、仏教では羅刹女に属する心臓を好んで食べる鬼女あるいは女神の事。漢訳名 荼枳尼天とも書かれて、日本でも豊穣・戦勝・福徳・治癒の神として稲荷信仰と習合して祀られることが多い神様の名前になる。

 アングリマーラ伝説では仏陀との出会いで救済される殺人鬼は、本作では血を求める豊穣女神の名を持つ女性を監禁して彼女の言う救済がどんなものか試すものの、清浄なる蓮華の守りを得た仏陀の名を冠する探偵に追い詰められるだけ。その奥にある、殺人へと促される「師の教え」の現代的読み替えも、救いの見えない悲壮な社会構造を暴露するかのような真相へとたどり着いてしまうインド社会の恐ろしさよ。
 仏教哲学的なものは画面的にはあんまり描かれないので、その辺を期待すると肩すかしはくらう感じではあるけれど、終盤の突如オカルト的な画面構成で描かれる殺人鬼の隠れ家の大掛かりさは、彼の内面を反映したかのような幼稚さと異常さを同時に表現する奇抜かつ奇妙な舞台美術で圧巻。それそのものに、ヒンドゥー世界から見た仏教との距離を感じるのは…穿ち過ぎかなあやっぱ(*13)。

 まあ、あととりあえず注目なのは、インド的なものがほとんど感じられない西洋音楽的なBGMの数々で、特に殺人鬼周辺のシーンでかかるクラシック風な音楽がより映画のスタイリッシュさを強調するようで興味深い。仏教的モチーフ、芸術映画的なカメラアングルやレイアウトカット、西洋的な音楽の数々。タミル語映画界における、様々な表現文化の習合具合が垣間見える1作でもある、ような気も、しないでは…ない(弱気)。



挿入歌 Neenga Mudiyuma (君と別れるなんて)





「Psycho」を一言で斬る!
・タミルの仏壇って、あんな仏陀の頭部だけを飾るものなの…?(それともインテリア的な扱い…?)

2024.1.26.

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*1 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*2 パーリ語経典の「アングリマーラ経」あたり?
*3 南インド カルナータカ州の公用語。
*4 ある程度偽物であることがわかるものになってはいるけど。
*5 ガウタムの、類い稀なる観察力と分析力を見せつけてから犯人捜査に入る構成ではあるんだけど。
*6 8代目。2021年〜。
*7 生まれて4日後にソ連のスターリン死去の報を聞いた父親によって、哀悼の意を込めてスターリンの名前をつけられたそう。
*8 学芸の智者の意。
*9 タミル・ナードゥ州2代目州首相。1969年から断続的に5期就任。
*10 一説に賊の出とも。
*11 仏陀は、それが彼の母親であると予知したと言う。
*12 仏壇的なものが自宅あって「ブッダが好きなの?」と聞かれて「とても」と語ってるあたり、仏教徒設定…なのかどうなのか。ま、仏壇といっても仏陀ヘッドをインテリアのように部屋の真ん中に置いたもので、その奥にヒンドゥー祭壇らしきものがあったけど…。
*13 ややラストに向けての展開が性急な気もするけど。