インド映画夜話

Raghavendra 2003年 157分(151分とも)
主演 プラバース & アンシュ & シュウェーター・アガルワール
監督 スレーシュ・クリシュナ
"人々よ、法が正義を執行できなくなったなら……それは変えるべきだ"




 我らがインドが独立して56年。
 その間に、アンベードガル博士によって発布された憲法は76回改定された。それによって我が国は最大の民主主義国家と称されるようになったが、刑法だけはいまだ独立当初から改定された事はない。国民に正義をもたらすための法律はしかし、その抜け道を利用する者たちには未だ届かないまま…。

 アーンドラ・プラデーシュ州カルヌール県都カルヌール。
 シリーシャ殺人事件の裁判が行われる中、首謀者とされるアンキネードゥが体調不良を理由に出頭せず、証人も揃わないがために裁判そのものも証拠不十分として犯人グループたちの釈放を宣言する。
 被害者の友人たちは、公衆の面前で行われた凄惨な殺人事件であるにも関わらず、その犯行が不問にされることに憤り、最終手段としてマントララヤム村で修行僧生活をおくる、事件の目撃者であり被害者の恋人でもあったラーガヴェンドラ(通称ラーガヴァ)を頼ることに。しかし、彼の両親はそんな友人たちを見て憤慨し「どうかあの子の考えを今更変えないでくれ」と懇願するばかり…。

 マントララヤムで友人たちを迎えたラーガヴェンドラも、事情を伝えられても修行僧生活を変えようとはしない上、その日婚約者マハラクシュミーがチンピラたちに襲われそうになっていてもそれを無視しようとする。
 彼の態度に憤るマハラクシュミーは、父親共々チンピラたちを訴えようとするが、その手続きを担当した警部は夜半にカルヌールの支配者アンキネードゥに連絡を入れていた…「我々の部下が村の女性マハラクシュミーの髪を公の場で切ったとして、その女性が訴えに来ました。彼女は、かつてあなたに反抗したラーガヴェンドラの縁者なのです。今、彼はここマントララヤムにいるのですよ…」


挿入歌 Calcutta Pan Vesina (カルカッタのパーンを食べた唇を [貴方の唇で拭いて])

*ゲスト出演で主演プラバースと踊っているのは、主にタミル語映画を中心に多数の言語圏のインド映画界で活躍する女優兼プロデューサー兼ダンサー兼歌手のシムラン。
 パーンとは、嗜好品であるキンマの葉にビンロウジ、香辛料、水で溶いた石灰、果物、砂糖などを一緒に包んだものを指す。これを噛んで、依存性のある酩酊状態を楽しむ嗜好品として広く知られ、古代からヒンドゥー教文化にも浸透しているが、歯の変色、顎の変形、口腔ガンの発生原因と言う副作用があることも判明している。


 タイトルは、主人公の名前。タイトルシーンには、下に副題として「THE WARRIOR SAINT(戦う聖人)」ともでてくる。
 その名前は、劇中舞台となるカルヌール県マントララヤムで祀られている聖人ラーガヴェンドラ・ティルタ(*1)に因んでいる。

 80年代末から活躍する名匠スレーシュ・クリシュナ監督による、27本目の監督作となるテルグ語(*2)映画。脚本を、男優兼映画監督としてテルグ語映画界で活躍するポサニ・クリシュナ・ムラーリーが担当している。
 のちに、ヒンディー語(*3)吹替版「Sanyasi: The Warrior Saint」、マラヤーラム語(*4)吹替版「Sakthi」も公開され、2006年にはスレーシュ監督自身によるヒンディー語リメイク作「Rocky: The Rebel(ロッキー: 反逆者)」も公開された。

 わりとハッキリした三幕構成の映画で、第一幕で法の正義が機能しないインドの現実の虚しさを描きながら、過去の何かのためにそれに抵抗せず受け入れようとする主人公の絶望感が描かれ、第二幕から過去編でその経緯、暴力の連鎖がもたらす悲劇が、第三幕が決着編となってその解決、主人公が元の正義漢に戻って大暴れするカタルシスで物語を締めてくる。

 本作の前年公開作「Eeswar(イースワル)」で俳優デビューしたプラバースの、2本目の主演作であるこの映画。すでに長い手足を振り回し踊るように動くプラバースのしなやかな巨躯はできあがっていて、非暴力と暴力の間で苦悩する主人公像を好演。ややアクションのキレに乏しい感じに見えるのは、慣れていないせいか撮影側の都合か。
 法の正義を信じられないインド社会の不信感そのままに、地元の権力者に牛耳られる地方都市の正義が、その権力者の気持ち如何でどうとでもなってしまう世紀末都市的舞台はいつものことながら、正義漢ゆえにそこに抵抗する主人公が直面する悲劇と零落の落差が凄まじく、中盤の熱血漢(*5)ラーガヴァとし、全てを諦めた修行僧ラーガヴァの絶望感の間にある感情のうねりが、この映画の見せ場であり1番の魅力を発揮してくる。そんな人間社会に絶望しかなく受動的になっている主人公が、子供持ち上げる象には眼力だけで調伏してしまうんだから、どんだけ潜在能力高いねんって話ですわ!

 本作監督を務めたのは、1959年ボンベイ州都ボンベイ(現マハーラーシュトラ州都ムンバイ)生まれのスレーシュ・クリシュナ。
 妹(姉?)に、マラヤーラム語映画とタミル語(*6)映画界で活躍していた女優シャンティ・クリシュナがいる。
 経済学を修了し、映画男優兼プロデューサー兼監督のL・V・プラサードのムンバイ事務所に就職して会計士として働く中で、次第に事務所そのものを取り仕切るようになっていく。L・V・プラサードがプロデューサーを務めていた1981年のヒンディー語映画「Ek Duuje Ke Liye(互いのために生まれて)」のロケハン協力で映画現場入りして、その映画の監督K・バーラチャンデルの助手を務め、そのまま同監督作で同年公開のタミル語映画「Thaneer Thaneer (水…水…)」から助監督として働き出す。
 助監督から副監督を経て、1988年のタミル語映画「Sathya(サティヤ / *7)」で監督&脚色デビューを果たし、続く89年のテルグ語映画「Prema(愛)」でナンディ・アワード監督賞を獲得。以降、この2言語映画界で活躍する中、91年の「Love(ラブ / *8)」でヒンディー語映画界にも監督デビュー。92年のラジニカーント主演のタミル語映画「Annamalai(アンナマライ / *9)」の大ヒットによって知名度を上げヒットメーカーの仲間入りを果たす。95年の監督作「バーシャ(Baashha)」は、主演ラジニカーントと共にキャリアの転機と称されるほどの記録的大ヒットを飛ばした映画で、監督自身の回顧録「My Days with Baashha(バーシャとの日々)」で当時の思い出を綴っているそうな。
 1996年には「The Prince(プリンス)」でマラヤーラム語映画に、2003年の「Kadamba」でカンナダ語(*10)映画にも監督デビューしていて、各言語圏のトップスターたちを主演に起用する人気監督になるが、2012年のカンナダ語映画「Katari Veera Surasundarangi」を最後に映画界から退き、同年のタミル語TVシリーズ「Aaha」からTVやネット配信ドラマの監督やプロデューサーを務めている。

 第二幕のヒロイン シリーシャを演じたのは、英国ロンドン生まれのアンシュ(・アンバーニー)。
 カメラマンのカビールに見出されてK・ヴィジャヤ・バースカル監督に紹介され、2002年のバースカル監督作テルグ語映画「Manmadhudu」で映画&主演デビューを果たし、同年のヒンディー語+英語映画「Om Jai Jagadish」で衣裳デザインを担当。続く2003年には、本作と「Missamma(マダム・メーグナ)」に出演、ヒンディー語映画「Ishq Vishk(愛)」で衣裳制作担当している。その後、2004年のタミル語映画「Jai(ジャイ)」に主演しているものの、本作公開後すぐ結婚したためか以降は映画界から引退。映画界とは別に、自身のファッションレーベル「Inspiration Couture (インスピレーション・クチュール)」を展開しているそう。

 第一幕と第三幕のヒロイン マハラクシュミーを演じているのは、1986年マハーラーシュトラ州都ボンベイ(現ムンバイ)に生まれたシュウェーター・アガルワール。
 ミュージック・ビデオ出演から2001年放送開始のヒンディー語TVドラマ「Shagun」出演を経て、2002年のテルグ語映画「Allari(騒動)」で映画&主演デビュー。続く2003年には、カンナダ語映画「Kiccha」にも準主役(?)出演。「C.I.D. Moosa(捜査官モーサ)」でダンサー出演してマラヤーラム語映画デビュー。本作と同じスレーシュ監督作テルグ語映画「Idhi Maa Ashokgaadi Love Story」にも出演しているらしい。
 その後、スイス初のボリウッド映画と称されたスイス映画「Tandoori Love(タンドーリ・ラブ)」などに出演後、2010年のヒンディー語ホラー映画「Shaapit(呪い)」を最後に女優業を退いているよう。この「Shaapit」で共演した歌手兼男優のアーディティヤ・ナラーヤンと2020年に結婚している。

 マントララヤム村の聖廟を舞台に、聖人ラーガヴェンドラに言及しつつもその事績、宗教哲学には深く踏み込まず、「全てを我慢して悲劇を受け入れる非暴力」か「世に蔓延る悪を滅する暴力による改革」かを両天秤にかけた上で、「社会がうまく機能しないままであるなら、民衆が立ち上がって法の正義を書き換えるべき」とパワフルに歌い上げるストーリーラインは、まあ刺激的。非暴力の抵抗運動の理想なんて、現代社会では通用しないんだよとでも言いたげなほど高まる、現代インド社会への絶望度の高さの表現としてみれば、そのカタルシスは相当な高さを表現していますわ。
 興味深いのは、こうした絶望と諦観による非暴力、そこから一転する弱きものの自制だけでは社会の腐敗が広がる一方であるのだから暴力による改革を庶民こそが進めるべきという双方の主張を、主人公の両親が共に行って先導している点。特に、いつものマサーラー文法では父親の主張だけが重要視されるものであるのに、母親もまた父親とともに2つの相反する主義主張を声高に演説するシーンが挟まれるのは、両親役に名優ムナーリー・モーハンとプラバーと言う人気俳優を起用しているが故でございましょか。両親が、それぞれの場面で引き起こされる悲劇に対して、共に家族の未来を見るが故に「非暴力」と「暴力」の主張を揺れ動きながら息子の更生のために厳しい言葉で物事を進めていこうとする姿が、その主張の激しさ、演説の巧みさもあって最も印象的になるよう演出されているのがさすが。
 その親の移り変わる善悪のあり方が嫌味に見えず、どの場面でも親としての役割をきっちりこなしてるように見える絶妙なバランスを渡りきっているのは、脚本の巧みさか、演出の優秀さか。ベテランのヒットメーカー監督による、期待の若手から熟練の映画人を含めたあらゆるタレントをぶつけながら、その時代その時代にあった「怒れる民衆の姿」を見せつける映画人の語りの余裕さをも見せつけるような構成でございますわ。各場面の喜怒哀楽に簡単にコロコロ転がされる心地よさが、「I Like It」 ですゼ!



OP Nammina Nammadi ([聖ラーガヴェンドラよ] 貴方の中の私の心は [マントララヤム村のよう])

*映画冒頭部の、主人公の名前の由来となる17世紀に実在した聖人ラーガヴェンドラを讃えるラーガヴェンドラ寺院の讃歌。
 舞台となるマントララヤムはカルヌール県西部の州境沿いにある村で、聖人ラーガヴェンドラ終焉の地とされ、彼が開いたサマーディ(*11)が有名なんだとか。




「Raghavendra」を一言で斬る!
・人参をかじる音が脅しになる映画なんて、今までもこれからも見られるものだろか!?

2025.7.4.

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*1 別名ラーガヴェンドラ・スワーミー。スダー・パリマラチャルヤー、ヴェーヌー・ゴーパラとも。
 1595年頃〜1671年頃に実在したヴァイシュナヴァ派のバラモン僧指導者。ドヴァイタ哲学を始めとした神学論の著作を多数残し、宗派・カーストによらず多くの人々から崇拝されている聖人。
*2 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*3 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*4 南インド ケーララ州と連邦直轄領ラクシャドウィープの公用語。
*5 ややバタ臭い現代っ子アピールが鼻につきはしますが。
*6 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*7 1985年のヒンディー語映画「Arjun」のリメイク作。
*8 スレーシュ監督作「Prema」のヒンディー語リメイク作。
*9 1987年のヒンディー語映画「Khudgarz」のリメイク作。
*10 南インド カルナータカ州の公用語。





*11 仏教における「三昧」。瞑想の意ではあるが、ここではその瞑想のための空間、寺院のこと。