イエローブーツの女 (That Girl in Yellow Boots) 2010年 103分(99分とも)
主演 カールキー・ケクラン(脚本も兼任)
監督/製作/脚本 アヌラーグ・カシュヤプ
"出て行って…私の人生から出て行け"
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"何年も経って、この手紙を受け取ることになって驚いていると思う。君と話し合えることを待ち望んでいたんだ。ルース、元気だろうか。これは君のお父さんからの手紙だよー"
印系イギリス人ルース・エヅサーは、顔も覚えていない父親アルジュン・パテールの置き手紙を頼りに彼を探して観光ビザでムンバイにやって来ていた。
父を探す間の生活費稼ぎにマッサージ店で働くルースは、通って来る男性客に裏オプションの"握手"で日銭を稼ぐだけで1年以上が経過してしまい、今なお父親の消息はほとんどわからないまま。姉の自殺以後出奔した父親の手がかりを求めて、インド中を駆け回るルースだったが、仕事場を斡旋してくれたヤクの売人プラシャントとの不安定な恋人関係のせいで、プラシャントが金を借りているギャングボス チティアッパに目をつけられ、苦労して貯金していたお金を取られてしまう。
孤独に苛まれながらもさまざまな人々に父親の行方を尋ね回る中、現在の父を知っていると語る女性ディヴィヤを紹介されたルースは、父が現在「ベンジャミン・パテール」と名乗っていること。ヴェルソヴァのアパートを買ったことを知らされる…
挿入曲 Karmaari Duniya
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ヒンディー語(*1)映画界に新機軸を持ち込んだアヌラーグ・カシュヤプの、8本目の監督作。本作公開後に結婚する(後の2015年に離婚)カシュヤプ監督と主演のカールキーが2人で脚本を担当している。
カナダのトロント国際映画祭でプレミア上映された後、多数の映画祭で上映されて、2011年にようやくインド本国で公開されたという。
日本では、2017年頃? にNetflixにて配信。
雑然とした汚らしい大都市の片隅を舞台に、その多くは部屋の中などの限定空間内のすれ違い続ける会話劇で構成されている挑戦的な映画。
監督の過去作「No Smoking(ノー・スモーキング)」ほどアーティスティックな作風ではないとは言え、カット繋ぎ、画角、照明・音響効果など、ムンバイの雑然として空気感、プライベート空間に割り込んで来る密な人の距離感を表現して、その落ち着かない不安感、孤独感を増幅させていく。限定空間内で延々とすれ違う会話劇そのものは舞台的な雰囲気濃厚ながら、それを撮るカメラ演出はシャープで感情移入を否定するような映像演出が施されている感じもある。
同年公開作の同じカールキー主演作「サタン(Shaitan)」「人生は二度とない(Zindagi Na Milegi Dobara)」と比べると、メイクが濃くて「モデル美女ですよ」感の強いカールキーの白人美女度がやたら高いのが印象的。それこそが、脚本も手がけたカールキーが語るところの「インドで白人女性として育った自分は、常に浮いた存在で、ある種の疎外感があった」と言う自身の経験を反映させた主人公像を作り上げ、その疎外感から逃れようとしても周りのインド人たちがそれを許さず、無意識的にも刷り込まれていく自分を意識せざるを得ない虚しさと自虐感が、不安定な自己撞着を生み出していきながら、それ自体を諦めきった視線で眺めていくお話にもなっている。まあ、日本人の自分から見れば、その他大勢の北インド人だって十分白人的な顔してるじゃんとか言ってしまいたくはなりますけど…ね…(疎外感)
「カシュヤプ監督作に出演してみたい」と言われて嬉々として出演オファーしにナセールッディーン・シャーに会いに行ったと言うアヌラーグ・カシュヤプの逸話は微笑ましいながら(*2)、そんな中でも監督名義で借金を抱えながら製作したと言う本作。
それまでのインド映画のパターンにはまらない映画を撮ろうとする野心は、起承転結を排する劇進行や、すれ違い続ける多数の登場人物たちが出たり入ったり使い捨てられていく様にもはっきりと見て取れる作り。それをしっかり観客が掴んで話題を呼んだと言うんだから、カシュヤプ監督&主演カールキー恐るべしって感じでもある。「No Smoking」が全然ヒットしなかった事実は結構なプレシャーになっていたそうで、監督自身が資金調達による精神的疲労が辛かった旨を語るほどだったと言うのは、映画の野心的作風とは対照的な現実を見せるよう。
そうした野心的映画構造にあって、ラストのどんでん返し的衝撃によって劇中の人間関係も根幹から覆り、2度目に見た時の会話劇の中でうずまく感情の渦が大きく変わって見えて来る構成は「転結」の作法を守りつつ、最大限の価値の転倒を引き起こす効果が絶大。
結局はすれ違う人々はすれ違うままに、なんの解決もしないまま、主人公が唯一すがりつく人生の価値すらも無意味化してしまう虚しさを持って幕となるアングラな匂いもまた、映画が持つ魅力へと転倒していく「見られるもの」の映すアンビバレンツでありましょうか。
挿入曲 Ladkhadaaya
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「イエローブーツの女」を一言で斬る!
・部屋の中の青いライト、青い小物類という色とイエローブーツの対比的な使い方の意味とは…?
2025.6.27.
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