インド映画夜話

大樹のうた (The World of Apu / Apur Sansar) 1959年 105分
主演 ショウミットロ・チャタージー & シャルミラー・タゴール
監督/製作/脚本/台詞 サタジット・レイ
"サタジット・レイ三部作、完結"




 労働ストが激しい1940年代初頭のカルカッタ(現 西ベンガル州都コルカタ)。
 オプー(本名オプルボ・クマール・ローイまたはオポルポ・ラーイ)は学費の問題から理系2年修了をもって大学を中退。家庭教師のバイトで食いつなぎ、家賃支払いのための定職を探しつつ小説を投稿し続ける生活なのだが、生活費の足しになるような仕事は見つけられない日々。そんな中、友人プルが訪ねてきて、彼の従妹の結婚式出席のための帰省に付き合って欲しいと頼まれる。

 クールナ(現 西ベンガル州クルナ管区クルナ)郊外にあるプルの実家で歓迎を受けるオプーは、自然に囲まれた村での生活を楽しもうとするが、プルの従妹オポルナの結婚式が突然中断されたと聞いて吃驚仰天。
「やって来た新郎が重度の精神病患者だと知って、オポルナの母親が激怒して式を中止すると言っている。でも、父親含め村の長老たちは今日オポルナの結婚式が行われないと、彼女は一生呪われると怯えているんだ。その…そこで頼みがあるんだが…」
「まさか、僕に新郎になってくれと言うんじゃないだろうな? ただの迷信のために!?」




 ベンガル語(*1)映画界の名匠サタジット・レイの代表作「オプー3部作」最終作。
 ヒロイン オポルナを演じたシャルミラー・タゴールの映画デビュー作でもある。

 原題は「オプーの世界」の意。ビブーティブーシャン・ボンドパッダエ(別名ビブーティブーシャン・バナルジー)著の小説「Aparajito(支配されぬもの)」の後半部分の映画化作品。
 世界各地で映画祭上映・一般公開される中、日本では1974年に一般公開。2023年には、岡山県のインド映画祭in真庭中央図書館でも上映されている。
 1996年には米国アカデミー・フィルム・アーカイブが本作を含む「オプー3部作」を収蔵保存。同年のムービーライン・マガジンの「外国映画ベスト100」の1本に選出されてる他、2002年のニューヨークタイムズの「史上最高映画1000本ガイド」にも選出。2005年にはタイム誌選出の「オールタイムベスト映画100」にも選出されている。

 オプー少年期を描く「大地のうた(Pather Panchali)」、オプーの巣立ちを描く「大河のうた(Aparajito)」と来たオプー3部作の終幕は、社会人として家庭を持つオプーの姿を描く物語ながら、過去2作が「オプーをめぐる家族との別れ」と言う人生の悲哀を常に描いてきたように、本作でもその運命はオプーについて回る。映画は、天涯孤独の身になっているはずのオプーの目線を通して再び起こる家族の再生と崩壊を描いていきながら、人生の移り変わり、虚しさ、それでもなお前進する人の生きる姿を、ゆったりとした詩的景観によって物語る一級の映画体験を見せていく。

 自由を求め、作家になる夢を捨てきれないオプーの姿は、その困窮生活もあってかつての亡き父の姿が重なるし、その父がしたように自身の夢によって家族を得るチャンスを持ちながらもその家族を手放してしまう物悲しさは、貧困・因習・社会不安に満ち満ちた複雑な社会のありようを背景として、個人が求めゆくささやかな幸福のありようや、そのささやかな幸福なるものの儚さを見るよう。
 偶然とオプー自身が否定する因習によって結婚せざるを得なくなったオプーが、結婚のあとに夫婦の愛を育てていく初々しさと麗しさは微笑ましい絵画のようでありながら、その出来すぎた幸福があっさりと去っていく悲哀もまた、家族を1人1人亡くしていったオプーにつきまとう喪失感をより肥大化させてく悲しさ。自分の嫌う因習によって結婚生活と言う幸福を手に入れた皮肉。そんな彼を待っていたのが、不幸の輪廻とも言うべき境遇と家族を失う孤独感の再来という運命の皮肉というには悲しすぎる人生の姿。54年のイタリア映画「道(La strada)」にも通じるような、人生の悲哀と無情、それを飲み込んだ上で歩き続けるラストの2人の結びつきの、なんと美しいことか…。

 オプーの家族として前半に大きな位置付けで描かれるヒロイン オポルナを演じるのは、これが映画デビュー作となるシャルミラー・タゴール。
 1944年英領インドの連合州カウンポール(現ウッタル・プラデーシュ州カーンプル県カーンプル)生まれ(*2)で、父親ギティンドラナート・タゴールは有名なタゴール家出身のBIC(*3)総支配人で、母親イラー・タゴール(旧姓バルアー)はアッサム系バルアー氏族(*4)出身者で、母方の祖母となるタゴール家出身のラティカ・バルアー(旧姓タゴール)を通じて作家ラビンドラナート・タゴールと小さい頃から知り合い。その他、親戚にタゴール家関連やバルアー家関連の芸術家や社会活動家・著名人が名を連ねる。2人の妹がいて、その1人オインドリラ・タゴール(結婚後はクンダ姓)は、シャルミラーより早く1957年のベンガル語映画「Kabuliwala(カブールの果物売り)」で"ティンクー"の芸名で主演している(*5)。
 68年に、パタウディ州(現ハリヤーナー州グルグラム県パタウディ)のナワーブ(*6)兼クリケット選手のマンスール・アリー・カーン・パタウディと結婚して、イスラーム教に改宗して本名をアイーシャー・ベーガムと改名。2人の間には、男優サイーフ・アリー・カーンと女優ソーハ・アリー・カーンが生まれている。
 撮影当時13才で本作に抜擢されて映画&主演デビュー。しかし、女優業によって学校の成績を落とした上に同級生への悪影響を学校側から指摘されて、学業か女優業かの選択を迫られ、父親の助言を受けて女優業に専念する決意を固める。続く60年のサタジット・レイ監督作「女神(Devi / The Goddess)」でも主演を務め、64年の「Kashmir Ki Kali(カシミールの少女)」でヒンディー語(*7)映画に主演デビュー。65年の「Nirjan Saikate(佗しき浜辺)」でIFFI(国際インド映画祭)主演女優賞を獲得し、以降主にヒンディー語映画界で活躍しつつ数々の映画賞・功労賞を授与されている。
 79年には「Chuvanna Chirakukal」でマラヤーラム語(*8)映画に、91年のミーラー・ナーイル監督作「ミシシッピー・マサラ(Mississippi Masala)」で英語映画にデビュー。99年にはフランス政府から、芸術文化勲章を授与され、04年からインドのCBFC(中央映画認証委員会)の委員長に就任(*9)。09年の「Samaantar(並行)」でマラーティー語(*10)映画にもデビューしている。12年には映画への貢献から、英国エディンバラ大学の名誉芸術博士号を贈られ、13年には国からパドマ・ブーシャン(*11)を授与されている。

 撮影当時13才だったと言うシャルミラー・タゴール演じるオポルナが劇中何才設定なのかは映画内ではわからないものの、ベンガル辺境部の大家族で育ち、ベンガル文字の読み書きはできる程度には教育を施され、それでも若くして嫁に出され、夫に従うこと・家事全般をこなす事を叩き込まれているそれが、当時にしてどの辺までリアルなのかは…どうなんだろうな?(*12) その都合のいい順応性の高さを見せるオポルナとの淡い夫婦生活の幸福が、幸せであるほどに映画後半との落差の衝撃が重々しく、オプーが全てを捨てて姿を隠すほどに自らを追い詰めるその痛々しさの説得力が生まれるわけだから恐ろしい。オポルナの可愛さ・美しさが印象的であればあるほどに、その儚い幸せが、まさに夢でしかなかったとでも言いたげな物語展開の残酷さよ……。
 オプーに関わる女性たち(*13)が皆オプーに親身になって彼を守ろう・導こうとすればするほど、彼女たちが自分の意思とオプーの意思を尊重してオプーの世話をしようとすればするほどに、そこに満ち溢れる幸福は必ず夢幻となって消えていく運命である予感がよぎっていく。
 それでもなお、家族という幸福を知ったオプーが自ら捨てていった家族との再結合を持って終幕とするこの物語は、どんなに打ちのめされようと、家族なるものが否定されようと、否定しようと、最終的に寄って立つ血縁による愛情は壊れないと歌う「オプー3部作」の力強さを見せるからこそ、それがインドが今でも頑なに持ち続ける家族間の結びつきの強さそのものであり、インドが世界に誇るその生命力の原動力となるものでもありましょうか。




受賞歴
1959 National Film Awards 総帥金メダル注目インド映画作品賞
1960 英 British Film Institute Awards (London Film Festival) サザーランド杯(独創的映画監督賞)
1960 英 Edinburgh International Film Festival 功績賞
1960 米 Natinal Board of Review Awards 外国映画賞


「大樹のうた」を一言で斬る!
・40年代初頭と言う、英領インド末期のカルカッタは労働スト激しい時代だったの?(独立運動の一貫と言うわけでは…ないよね?)

2023.12.8.

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*1 北インドの西ベンガル州とトリプラ州、オリッサ州、連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島の公用語。バングラデシュの国語でもある。
*2 または、マドラス管区ハイデラバード生まれとも。
*3 国営の繊維業会社ブリティッシュ・インディア・コーポレーション。
*4 元アッサム地方の栄えたチュティア王国の役職名を起源とする軍人家系。その拡大とともに王族やバラモン階級として知られる人々を輩出し、様々な氏族・階級に広がっている。
*5 映画出演はこれ1作のみ。
*6 太守。元は、ムガル帝国の地方長官を意味する称号。帝国の衰退とともに領主的な権力を持つ独立勢力となっていく。
*7 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*8 南インド ケーララ州、連邦直轄領ラクシャディープの公用語。
*9 11年3月まで。
*10 西インド マハラーシュトラ州と連邦直轄領ダードラーおよびナガル・ハヴェーリーの公用語。
*11 インドから一般国民に与えられる第3等国家栄典。
*12 最近の映画だったら、結婚後にいろいろな事件を通した恋愛劇や離婚劇が始まりそうな設定…。
*13 姉・母親・そしてオポルナ。