インド映画夜話

サーカス (Thampu) 1978年 129分
主演 ゴービ & ヴェヌ & シュリーラーマン他
監督/脚本 ゴーヴィンダン・アラヴィンダン
"サーカスが来て、去っていく。…人生はなお続いていく"



 辺境の村にサーカス一座がやって来た。
 老若男女取り混ぜた一座は早速、必要な荷物を降ろしてサーカステントを組み立て、村長から興行の許可をもらう。「この興行がうまく行ってくれないと、困ったことになるんだ」「…わかってますよ」

 村の人々は、外国帰りの金持ちメノン一家の後推しを受けたサーカスに興味津々。その夜は、多くの歓声を受けて初日興行を成功させた一座だったが、翌朝は打って変わって虚ろな団員たちが無気力にテントで横たわっている姿が…。




 とあるケーララの村にやって来たサーカス一座の様子を、淡々とドキュメンタリー風に描いていくマラヤーラム語(*1)白黒映画。
 英題「The Circus Tent」としても公開。日本では、1983年の第1回インド映画祭他で上映。東京都の川崎市民ミュージアムや、福岡県の福岡市フィルムアーカイヴ所蔵作品でもある。

 冒頭、トラックの荷台に詰め込まれた一座の人々の虚ろな表情とともに、延々と道を進むトラックを映すカットの連続から、ネオ・リアリスモ的な雰囲気を感じるものの、いわゆるドキュメンタリーや無編集的演出を狙った映画でなくて、静かに寡黙にサーカスの到来〜次の舞台へ出発するまでの人々の情景をそれぞれに写し取っていく群集劇。
 村人の好奇の目、一座の人々の疲れ切った表情、落ち着かない群衆、売上を気にするオーナー、金持ち一家それぞれの反応の違い、華やかなサーカス本番の様子と、対比的にけだるく虚ろな舞台裏…核となる劇的ドラマはそこまでないものの、サーカスを取り巻く一座の人々の暮らしぶりの過酷さ、娯楽のない村の貧しさ、それぞれの人々のサーカスにかける期待や戯れなどなどを、並列的に見せていき、サーカスを成立させている様々な思いを重層的に見せていく。

 前半のサーカス興行本番の華やかさ、人々の表情の明るさ、実際に目の前のサーカス小屋に入って来たような騒音の数々と曲芸の長回しの数々は、サーカスの明るい面を見せつけて来て、その楽しさ、騒がしさ、ドキドキする観客の一喜一憂と同調してこっちも同じく口ポカーンで見入ってしまう(*2)。この辺の熱狂する観客たちのシーンは、どうやって撮ったんでしょうねえ…。
 とりあえず、2日目の客で来ていた親子が微笑ましくて印象的でしたわん。

 しかし、昼間のサーカステントは一転、無気力な団員たちの虚ろな表情が本番との対比となって印象的だし、普段の生活に従事する村人たちの元気さに対して、団員たちの諦観しかないような表情のギャップ、そこかしこで描かれるそれぞれがサーカスに従事する(=売られて来た)経緯が、過去のサーカス映画にもある定番ではあるけども映画構造的な対比をなしてて素晴らしい。その物語に対応する役者たちの表情の違い、目の生き生きさと死んだような虚ろさの違いが、よくできるよなあって感じ。その団員たちが、興行時以上ににこやかに過ごすのが買い物の時だけってシークエンスも秀逸。
 そういえば、曲芸が決まった後の決めポーズがゆるく消極的に見えるのも、そう言う演出なのか、単純にインド人が気にしてないだけなのかが気になったりならなかったり…。

 団員たちの過酷な人生をこれでもかと見せていったあとのラストシーンで、それまで影で楽器演奏を団員から教わっていた富裕層のメノン一家の一人息子が、自ら希望してサーカスについていくシーンもなかなかに印象的。その後をはっきりと描いてるわけでもないから、どうなったかは色々と考える余地を残しているけれど、サーカスに希望を見ている男と、そんな男を見つめる団員たちの視線の生命感の違いが、なんとも詩的でね…。


受賞歴
1978 Natinal Film Awards 監督賞・撮影賞(シャージ・N・カルン)・注目マラヤーラム語映画賞
1978 Kerala State Film Awards 監督賞・次席作品賞


「サーカス」を一言で斬る!
・サーカスの入場券販売って、まず女性列を優先した後で男性列の販売が始まるのね!(しかし、家族で来てるとかの場合は男性が買うために入場券手に入れるまで女性や子供達がやきもき待ち焦がれているという…ムゥ)

2018.9.23.

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*1 南インド ケーララ州の公用語。
*2 実際、バスター・キートンばりの道化師のパフォーマンスで「ププ」って笑いが起こってましたし。