インド映画夜話

僕はドナー (Vicky Donor) 2012年 126分
主演 アーユシュマーン・クラーナー(音楽/歌/作詞も兼任) & ヤーミー・ゴータム & アヌー・カプール
監督 シュージット・シルカル
"今日から僕は、精子ドナー!"




 精子ドナーの不足は、数千人に上る不妊夫婦たちの「親になる」という喜びを阻害する要因である ーWHO

 ニューデリーにて、不妊治療医院チャッダー・クリニックを開設するバルデーヴ・チャッダー医師は、しかし患者の要望に応えられない日々が続き廃業の危機。
 この危機の最大要因は、優秀な精子ドナーの慢性的不足だと気づいたチャッダーは、これまでの信用できないドナー希望者たちを排してデリー中に候補者を探し回り、子沢山の血統を持ち心技体に優れながら職にあぶれて遊び暮らす青年ヴィッキー・アローラをあの手この手で勧誘し始める。

 当初、「精子ドナーにならないか」との誘いなど相手にもしなかったヴィッキーだが、自分の精子が不妊治療に効果絶大の最高級品と聞かされ有頂天。ギャラも高騰していき当初の迷いもなくなった彼だったが、周りの人々は「精子ドナーやってる」というと彼を罵倒するだけ。そんなヴィッキーは、家族や最近付き合い始めた銀行員のアシマ・ローイ(愛称トゥナ)にはこのことを秘密にし続けたままにしていたが、そのうち2人の結婚話が浮上すると…。


挿入歌 Rum Whisky (ラム&ウイスキー)


 2005年の「Yahaan」で監督デビューしたシュージット・シルカルの、2本目の監督作(*1)。
 今や都会派ユーモア映画界の看板男優でもあるアーユシュマーン・クラーナーのデビュー作であり、ボリスターのジョン・エイブラハムのプロデューサーデビュー作となるヒンディー語(*2)+パンジャーブ語(*3)+英語映画。
 その内容は、2011年のカナダ映画「人生、ブラボー!(Starbuck)」に似ているとの指摘がある。

 2016年にはテルグ語(*4)リメイク作「Naruda Donoruda」も公開。タミル語(*5)リメイク作「Dharala Prabhu」も企画進行中とか。
 インド本国に先立ってオーストラリアで、インドと同日には英国、米国でも公開。日本では、2012年のIFFJ(インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン)にて「ドナーはビッキー」の邦題で、2022年のIMW(インディアン・ムービー・ウィーク)2021パート3では「僕はドナー」の邦題で上映。2022年のIMW、24年のシネ・リーブル池袋のゴールデンウィークインド映画祭で上映されてもいる。

 本作が初プロデュース作となるジョン・エイブラハム曰く「インド社会のタブーに光を当てること」を目論んで立てた企画ということで、なかなか人々が口にしたがらない精子ドナーと不妊治療への誤解と必要性を、時にコミカルに、時にシニカルに、時に切実に語りかける挑戦的な人情系ロマンス劇に仕上がった傑作。

 血統主義、大家族主義が基本のインドにあって「精子を売る」ことの倫理的是非、不妊治療とその夫婦に対する世間の風当たりの強さという現実をアピールしつつ、「子供を望む親」の切実さとその嘆き、「子供が生まれる」ことの素晴らしさを謳いあげる一本。
 と同時に、「優秀な遺伝子」を望む人々の精子ドナーへの注文の多さも「ほへぇ」って驚く事実ってやつでもありました(*6)。優生学的な観点の話題は「ムゥ」とうなってしまうポイントながら、その優秀性をアレクサンドロスの東征にまでさかのぼって説明してこられると「どこまで本気なんだか…」と悩んでしまう部分もあったりで、なんともとらえどころのない飄々とした映画でもありますわ。

 ヒロインのアシマ・ローイを演じるヤーミー・ゴータムは、1988年ヒマーチャル・プラデーシュ州ビラースプル県ビラースプル生まれで、連邦直轄領チャンディガール(*7)育ち。
 父親はパンジャーブ語映画監督ムケーシュ・ゴータム。妹に、やはり女優のスリリー・ゴータムがいる。
 当初は法学部に進学しIAS(インド行政サービス)への就職を志望していたものの、20才で大学を辞めて演技修行に集中。ムンバイに移住して、08年のTVドラマ「Chand Ke Paar Chalo」で女優&主演デビューする。TVで活躍するかたわら、09年のカンナダ語(*8)映画「Ullasa Utsaha」で映画デビューし、11年には「Ek Noor」でパンジャーブ語映画に、「Nuvvila」でテルグ語映画にそれぞれデビュー。12年には本作でヒンディー語映画デビューすると同時に、「Hero(ヒーロー)」でマラヤーラム語(*9)映画に、翌13年には、テルグ語・タミル語同時公開作「Gouravam(名誉)」でタミル語映画デビューも果たしている。
 本作で数々の女優賞・新人賞を獲得。以降、ヒンディー語映画を中心に活躍中。

 本作で一番印象的なチャッダー医師を演じたのは、1956年マディヤ・プラデーシュ州都ボーパール生まれのアヌー・カプール(本名アニル・カプール)。
 父親はパールシー劇団(*10)主マダンラール・カプール、母親は詩人兼教師兼伝統歌謡の歌手カマル・シャブナーム・カプールで、兄に映画監督兼脚本家のランジット・カプールが、妹にプロデューサー兼女優のシーマ・カプールが、弟に作家兼作詞家のニキル・カプールがいる。
 経済的理由によって中等教育までで学校を辞めたのち、父親の劇団に参加して舞台演劇を経験。76年に兄の推薦を受けて兄の通う国立演劇学校に入学し、卒業後その傘下の会社に短期間勤めながら演劇界で活躍。その活躍を見たシャーム・ベネガル監督の誘いを受けて、83年のヒンディー語映画「Mandi(市場)」で映画デビューする。
 以後はヒンディー語映画で活躍。88年の出演作「Tezaab(酸)」以降、この映画の主演男優アニル・カプールとの混同を避けるため、芸名をアヌー・カプールと改める。
 95年には子供映画「Abhay (The Fearless)」で監督デビューし、国立映画賞の子供映画賞他を獲得。96年には「Kala Pani(黒い水)」でマラヤーラム語映画デビューもしていて、12年の本作で多数の映画賞を獲得している。その他、Webドラマ出演やTV番組プロデューサーとしても活躍中。

 不妊治療とともに、優性遺伝子を望む親の心情を描いていく物語にあって、主人公たちのパンジャーブとベンガルの民族を超えた恋愛劇が効果的な要素として話を転がしていくのも興味深い点。
 パンジャーブ人たちは同じパンジャーブ人たちこそ優性であると主張し、ベンガル人たちは我こそはと主張する様もコミカルであると同時に相当にシニカル。南北インドの生活文化的差異をテーマにした「2 State(2つの州で)」と同じく、本作では北インドにおける東西の文化的・民族的違いの大きさをこれでもかと描いていくことで「優性遺伝子ってなんやねん」って疑問へと行き着いていく物語の軽快さもスンバラし。異民族との結婚に寛容な祖母と反発する母親という世代間の価値観の相違や、精子ドナーと言うものへの理解を示すヒロイン側の父親の視点、離婚経験や不妊に苦しむ夫婦の有り様なども同時に自然に取り込んでいく脚本の軽やかさが、本筋のテーマである「精子ドナーへの理解」を促進させていく爽やかさを彩り、その人情劇と伴って美しく展開する。まあ、主人公カップルの自分に降りかかった問題への納得に至る道にもうあと一押し欲しかったかなあ…とは思うけども。

挿入歌 Pani Da Rang (水を染める色を見れば [僕の目から涙は止めどもなく流れ落ちる])

*歌と作詞を担当してるのは、本作主演のアーユシュマーン・クラーナー!(作詞のみ、ローチャク・コーフリーと共同)


受賞歴
2012 Boroplus Gold Awards TVからの映画スター賞(アーユーシュマーン・クラーナー & ヤーミー・ゴータム)
2012 BIG Star Entertainment Awards 男優デビュー賞(アーユーシュマーン・クラーナー)・女優デビュー賞(ヤーミー・ゴータム)・歌曲賞(アーユシュマーン・クラーナー / Pani Da Rang)
2012 Bhaskar Bollywood Awards ドラマチック新人男優賞(アーユーシュマーン・クラーナー)
2012 Global Indian Music awards 歌曲賞(アーユシュマーン・クラーナー / Pani Da Rang)
2012 Mirchi Music Awards 期待の音楽コンポーザー・オブ・ジ・イヤー賞(アーユシュマーン・クラーナー & ローチャク・コーリー / Pani Da Rang)・期待の作詞オブ・ジ・イヤー賞(アーユシュマーン・クラーナー & ローチャク・コーリー / Pani Da Rang)

2013 IIFA (International Indian Film Academy Awards) 助演男優賞(アヌー・カプール)・男優デビュー賞(アーユーシュマーン・クラーナー)・女優デビュー賞(ヤーミー・ゴータム)・台詞賞(ジュヒー・チャトゥルヴェディ)
2013 National Film Awards 驚異的娯楽人気作品賞・助演男優賞(アヌー・カプール)・助演女優賞(ドリー・アールワーリアー)
2013 Filmfare Awards 男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)・助演男優賞(アヌー・カプール)・男性プレイバックシンガー賞(アーユシュマーン・クラーナー / Pani Da Rang)・原案賞(ジュヒー・チャトゥルヴェディ)
2013 Star Screen Awards 男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)・助演女優賞(ドリー・アールワーリアー)・コメディアン賞(アヌー・カプール)
2013 Producers Guild Film Awards 男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)・助演男優賞(アヌー・カプール)・コメディアン賞(アヌー・カプール)・助演女優賞(ドリー・アールワーリアー)脚本賞(ジュヒー・チャトゥルヴェディ)・原案賞(ジュヒー・チャトゥルヴェディ)・台詞賞(ジュヒー・チャトゥルヴェディ)・男性プレイバックシンガー賞(アーユシュマーン・クラーナー / Pani Da Rang)
2013 Times of India Film Awards 男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)・助演男優賞(アヌー・カプール)・助演女優賞(ドリー・アールワーリアー)
2013 Zee Cine Awards 男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)・女優デビュー賞(ヤーミー・ゴータム)
2013 Stardust Awards 作品賞・監督賞・主演男優賞(アーユーシュマーン・クラーナー)・新感覚ミュージカル賞(アーユシュマーン・クラーナー / Pani Da Rang)
2013 ETC Bollywood Business Awards 大ヒット小規模映画賞・高収益男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)
2013 Apsara Film Producers Guild Awards 原案賞(ジュヒー・チャトゥルヴェディ)・台詞賞(ジュヒー・チャトゥルヴェディ)・男性プレイバックシンガー賞(アーユシュマーン・クラーナー / Pani Da Rang)・コメディ演技男優賞(アヌー・カプール)
2013 Bollywood Hungama Surfers’ Choice Movie Awards 男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)
2013 Renault Star Guild Awards 男優デビュー賞(アーユシュマーン・クラーナー)・男性プレイバックシンガー賞(アーユシュマーン・クラーナー / Pani Da Rang)


「僕はドナー」を一言で斬る!
・ヒロイン アシマのベンガルの実家、同じシルカル監督作『ピクー(Piku)』に出てきたベンガル屋敷を彷彿とさせ…る?(あの映画も、デリーの現代っ子がベンガルの伝統に触れていく話だったネ!)

2019.11.1.
2021.12.22.追記
2022.5.21.追記
20234.4.13.追記

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*1 間に1本、途中凍結された監督作を挟んでいる。
*2 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*3 北西インド パンジャーブ州の公用語で、デリーの第2公用語。パキスタンでも言語人口の多い言語。
*4 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*5 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*6 カリカチュアされたものではあるだろうけど。
*7 パンジャーブ州とハリヤーナー州の共同州都でもある。
*8 南インド カルナータカ州の公用語。
*9 南インド ケーララ州の公用語。
*10 北〜西インドで巡業されたペルシャ系演劇集団コミュニティ。1850〜1930年代に隆盛を極めた集団ながら、その多くは舞台演劇の衰退とともに旅行会社や映画プロデューサーなどに移り変わって行った。