インド映画夜話

永遠の絆 (Viswasam) 2019年 156分
主演 アジット・クマール & ナヤンターラー & アニーカー
監督/脚本/原案 シヴァ
"お前の中では、俺は悪役、お前は英雄だろう"
"だが、俺の中でも俺は…悪役なのさ"




 タミル・ナードゥ州テーニ県のコードゥヴィラルパッティ村は、10年来念願の祭礼地決定を祝して大盛り上がり。
 その決定に寄与した村の指導者ドゥライを皆が褒め称えるものの、親族たちは、そんな彼が村に妻子を呼び寄せないことを悲しんでいた。

 その昔、村にやって来た強気な医者ニーランジャナの世話をしたことをきっかけに彼女とドゥライは恋仲となり、彼女側の家から申し込まれて2人は結婚した。
 村人全員から祝福され、娘シュウェータも生まれて幸せな日々を過ごす2人だったが、争いごとの絶えない村で暴力で物事を解決するドゥライの喧嘩っ早さと、その暴力が娘シュウェータにも及んだことでニーランジャナは激怒し、娘を連れて実家ボンベイ(=マハラーシュトラ州ムンバイ)へと帰ってしまう。以来、2人は一切連絡も取らずにいたが、親族の勧めでボンベイのニーランジャナを訪ねる事になったドゥライは、そこでシュウェータを襲う何者かの脅威を知らされる…!!


挿入歌 Adchithooku


 原題は、タミル語(*1)で「忠誠」とか「信頼」の意味とか。
 撮影監督出身で、08年のテルグ語(*2)映画「Souryam(勇敢)」で監督デビューしたシヴァ監督の、8本目の監督作。

 同名テルグ語吹替版、カンナダ語(*3)吹替版「Jagamalla」も公開。
 インドに先立ってフランスで公開が始まり、インドと同日公開でアイルランド、クウェート、マレーシア、米国、デンマークでも公開。タミルでは、ポンカル祭にわく大作公開シーズンにラジニ主演作「ペーッタ (Petta)」と同日公開され、19年度2強映画として興行収入を競ってるとか。
 日本では、2019年に英語字幕版で自主上映され、同年のIMW(インディアン・ムービー・ウィーク)で上映。

 基本構造はいつもの父権万歳映画ではあるけれど、前半の農村部でのロマンス劇が終わると、分裂してしまった家族のために奔走する父親の姿を、主人公側はプラス面を強調して、悪役側はマイナス面を強調して描いていく「父とはかくあれかし」な濃厚な家族再生ドラマになっておりました。
 タイトルから、ヒロインをどこまでも追っていくベタベタなメロドラマかと思ってたこっちの予想をはるかに飛び越えて、「なんて面白い!」と向こうの掌に転がされるように泣き、笑い、盛り上がってしまいましたことよ。

 もうとにかく、重要なシーンには必ず雨が降り続け、水しぶきが飛び散り、その中を登場人物たちが縦横無尽に走り回るは飛び回るわ、ガラスは飛び散るわヴェーッティ(*4)は翻るわで、もうこれでもか! とタミル的ヒーロー像をめいいっぱい盛り上げる映画的仕掛けの数々が振り切っていてパワフル。
 その中で、娘に正体を打ち明けないでボディガードとして働くことを約束する主人公ドゥライの健気さだけで泣けてくるし(*5)、村でバカやってる若ドゥライと現在の白髪ドゥライと言う時の経過で(*6)演じてるアジット・クマールの様々な顔が見えてくるのもボリューミー。家族を思うが故に、腕力で解決させるしかない田舎者大将が、都会人父親像を木っ端微塵に変革させていく物語構造と映像構造の小気味良さったらハンパないっスよ! もう、みんなでドゥライと一緒に踊っちゃえばイイノニ!!

 監督を務めるシヴァ(別名J・シヴァ・クマール)は、1977年タミル・ナードゥ州チェンナイ生まれ。
 父親はドキュメンタリー・カメラマンのジャヤクマールで、祖父に映画プロデューサー兼作家のA・K・ヴェランが、弟にマラヤーラム語(*7)映画で活躍する男優バーラが、親戚にカルナティック音楽家のヴィシャーカ・ハリいる。
 映画界を志望して公立映画&TV研究所に入学し、撮影監督ジャヤナン・ヴィンセントを師事。彼の参加する00年のテルグ語映画「Jayam Manade Raa(我らに勝利を)」からカメラマンとして働き出す。02年のタミル語映画「Charlie Chaplin」から撮影監督として独立したのち、自身で用意した脚本をもとに08年のテルグ語映画「Souryam」で監督&脚本デビュー。続く09年の「Sankham(巻貝)」を挟んで、11年の3本目の監督作「Siruthai(チーター / *8)」でタミル語映画監督デビュー。以降、タミル語映画界で活躍している。

 父親万歳映画なので、母親側の視点は「子供を守るためには、危険な父親からは遠ざかるべき」と言う部分が強調され、子育ての苦労とかはあんま描かれないものの、結婚によって医者としてのキャリアを中断せざるを得ないニーランジャナの苦悩も、夫婦の危機の前段階として書かれているのはさすがと言うか、あんな農村地域の農作業中に世界が認める論文を作ってしまえるニーランジャナがスゴイと言うか。
 まあ、本来なら娘の成長それぞれの段階で立ち会うべきだったと嘆くドゥライの挿入歌「Kannaana Kanney」に込められた、別居する父親の悲哀とその再生があまりにもドラマチックなので、そこに母親側のエモーションを足されると、映画が終んないじゃんって感じになるかもですが。その中で、それでも離婚せず夫婦という形は崩さなかった2人の複雑な思いもまた、色々と健気よね…と涙を誘うのであります。
 とは言え、ワタスの経験上(感覚上?)授業参観に両親が来てくれないってだけでそんなに悲しいもんかね…って思ってしまうのは、まだまだワタスが小僧なだけかなあ…。

挿入歌 Kannaana Kanney



「永遠の絆」を一言で斬る!
・シュウェータの走る姿、どーも早く走れるように見えない…。

2019.10.12.

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*1 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*2 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*3 南インド カルナータカ州の公用語。
*4 インドで着用される男性用腰布。ドーティ他地域によって多数の呼び名がある。
*5 親になったことなかとやけど。
*6 基本的に、性格は全然変わんないけど…。
*7 南インド ケーララ州の公用語。
*8 ラージャマウリ監督作「Vikramarkudu(テルグのヴィクラマルカ王)」のリメイク作。