ファンタジーな地名辞典

蛮夷

分類:異郷
交通:現中国は湖南省あたり?
 
 捜神記に曰く。「赤髀横桾、盤瓠の子孫」
 赤髀は股まるだしの姿、横桾は短いスカートの意かと言われる。梁漢・巴蜀・武陵・長沙・廬江あたりに住んでいた異民族(1)を説明したことわざで、中央では彼らを『蛮夷』と呼ぶ。
 捜神記によれば、彼らは一見愚かのようだが悪賢く、自身の土地旧来の風習を堅固する。また通行手形や道中手形の携帯を免除され租税の義務もない。村の酋長は朝廷からそのしるしを授けられ、カワウソの皮の冠を用いる。米のあつものに魚や肉を混ぜて、桶を叩いて盤瓠を祭る風習を続けているとされる。
 伝説時代、高辛氏(2)に老婦人があり、彼女が耳の病にかかったため治療すると耳の中から繭ほどの大きさの虫が出てきた。医者はこの虫をざるの中に入れて盤をかぶせると、五色の毛なみを持つ犬に変じた。このため犬を「盤瓠」と名づけたと言う。
 ある時、呉地方に夷狄が侵入し征伐のための争いが起った。この戦いに際し王は天下に布告して、夷狄の将軍の首を取った者に金千斤・戸数一万の領土に封じて姫を与えると約した。するとその後、盤瓠が敵将軍の首をくわえて王宮に現れた。これに対し、家来は反対したものの姫は天命によって盤瓠が敵を倒し国を救った事を重要視し、自ら盤瓠の嫁となって犬と共に南山へ登っていき、蛮人のような身なりになって石室の中に住んだ。
 王は姫の様子を探ろうとしたが、使者が送られるたびに風雨が起こり山々が振動し、雲が垂れこめて近づく事もできなかった。3年の後、姫は六人の息子と六人の娘を生み、子供達は互いに夫婦となった。彼らは木の皮を織って草の実で染めて着物を作ったが、五色の色と尾の形の残る服を愛用した。
 後に母親が王宮に戻って王にこの事を話すと、王は再度使者を送って子供達を引き取ったが、彼らは山中を慕って都を嫌うのを見て大きな山と広い沼とを領地として与え、蛮夷と名づけたと言う。

 なんか聞いた事のある話だなぁ、と思った人は正解。
 滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」伏姫の段の元となったのが、この捜神記巻14に記される「蛮夷の起源」です。
 「蛮」も「夷」も共に中国中原域から見た辺境異民族の蔑称で(3)、おそらく中央が見た当時そのあたりに住んでいた異民族の印象から出てきた話でしょう。言ってしまえば異類婚姻譚(4)の一系統で、似たような話は各地に見られます。
 典拠となる「捜神記」は、おそらく4世紀半ば頃の六朝時代の中国で著された書物で、儒教的には低俗とされた『怪力乱神』を主題にした民間伝承や仏教説話・道教説話を集め、さまざまに手を加えられながら宋代頃に成立したと言われています。


参考
「捜神記」
干宝 著 竹田晃 訳 平凡社

2005.4.18.
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(1) 苗系民族の事と言われる。
(2) 黄帝の曾孫。伝説時代の帝。
(3) 蛮は「南蛮」とも呼ばれ南方に住む異民族たちを、夷は「東夷」とも言われ東方に住む異民族たちを指す蔑称。
(4) 神話伝説や民話などで、人間と妖怪・精霊・神・動物などの婚姻を主題にする種類の説話形態の事。
 有名な所で「浦島太郎(人間の男と海神の娘)」「鶴の恩返し(人間の男と鶴)」「雪女(人間の男と雪山の精)」「美女と野獣(そのまんま)」など。神話だと巫女と神の異類婚で人類や部族の始祖が生まれる話になるのが多い。