ファンタジーな地名辞典

カムイモシ

分類:異郷/天上界
交通:カムイに認められれば

 「銀の滴降る降るまわりに」シロカニペ ランラン ピシカン
 この美しいフレーズで始まるのが、アイヌ文学を世に広めるきっかけとなった「アイヌ神謡集」(知里幸惠編訳 岩波書店刊)の冒頭で語られる「梟の神の自ら歌った謡」である。
 古くは東日本からオホーツク海沿岸あたりまで勢力のあったと言われるアイヌ文化は、シャーマニズム的な独特の世界を形創っていた。それはユーカラ(正確には"ユカ")としてアイヌの口から口へ伝わっている。
 アイヌにとっての世界は、人間(=アイヌ)とそれ以外の存在(=カムイ)に分けられる。カムイは元々カムイモシ(=カムイの国)で人間と同じような暮らしをしているが、時に様々な理由で人間の国(=アイヌモシ)にやって来る。カムイはその時、それぞれ人に見られてもいいように正装する。火のカムイ(アペフチ)は火の衣を、熊のカムイ(ヌプリコロカムイ)は熊の衣を、天然痘のカムイ(パコロカムイ)は天然痘そのものを身につける。
 カムイの住むカムイモシがどこにあるかは、それぞれのユカ・集落・地域によって若干異なるが概ね天上か高い山の奥もしくは頂上付近であり、どちらにしろ人間の立ち入られる所ではない。とは言え、カムイはちょくちょく人間に会いにアイヌモシに降りてくる。それは寂しくなったとかアイヌモシの住処に移ってきたとか人間の家に招待してもらうためだとか、理由は様々である。しかし総じてカムイは、人間にしか作り得ない物を求めてアイヌモシヘやって来る。酒や御馳走、イナウと呼ばれる御幣等のお供物がそれで、アイヌはと言えばそれぞれのカムイから食料・毛皮・火や水・昼夜や季節・材木等をもらおうとする。このようにアイヌとカムイは対等であり循環した共存関係にある。
 カムイとアイヌの間に子を為す事は可能のようだが、アイヌがカムイヌプに行く事はほぼできない。カムイとアイヌでは魂の位相が違うのか、天上にあるとされるカムイヌプに対しアイヌの魂はポナモシリ(=下の国。地下にあるとされる不可視の昼夜逆転の世界)に行って新たに地上に生まれ変わるのを待つ事になる。死者への葬儀は通常この世界の魂に対して行なわれるが、稀にカムイモシに渡ったアイヌが出た場合、全てカムイ相手の儀式をしなければそのアイヌの元へは供養も何も届かなくなってしまう。もしちゃんとした葬儀が行なわれなければ、カムイだろうとアイヌだろうと地の底の魔界 テイネポナシリ(=湿った地下の国。最下層の世界か)に追いやられ二度と生まれ変わる事ができなくなると言う。

 古くから独特の文化を育んだアイヌはユカと呼ばれる神謡・散文説話・英雄叙事詩等を語り伝えてきました。近代までその形を保持し続けたアイヌ文化は明治以降急速にその姿を消していく事になります。ですが近代化・高度成長の波に揉まれながらも、このすばらしい世界を残していこうとする研究家や地元住民の運動によってアイヌ文化の保持が今なお進められています。
 アイヌ語による独特の節回しで語られるユカの世界は上記した、人とカムイの関わりをおおらかに、時に恐ろしく時に楽しげに語ります(残念ながら筆者自身は実際に見聞きした経験はないのですが)。アイヌ文学の面白さは人それぞれでしょうが、原初的な物語精神やその世界・語り口は大きな魅力ですし、カムイから見た世界は我々の知らない日本(含む他地域)を感じさせてくれます。

参考
「アイヌの物語世界」
中川 裕著 平凡社
「アイヌ神謡集」
知里幸惠編訳 岩波文庫
「アイヌ民譚集 付,えぞおばけ列伝」
知里真志保編訳 岩波文庫
「カムイ・ユーカラ アイヌ・ラックル伝」
山本多助著 平凡社

2003.11.20.
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