インド映画夜話

8 A.M. Metro 2023年 116分
主演 サイヤーミー・ケール & グルシャン・デーヴァイアー
監督/脚本 ラージ・ラチャコンダ
"生まれて初めて、誰かが私の言葉を受け止めてくれたような気がした"




 時に人は、夜行き交う舟のよう。
 1度や2度の偶然の出会いがあっても、それから2度と会うこともない。
 ハイデラバードへ1人旅立ち、見知らぬ友達ができたと言っても…
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 マハーラーシュトラ州ナーンデードに住む主婦イラーヴァティはその日、妊娠中の妹リヤから「すぐ来て欲しい。突然出血して入院することになった。どうしよう…」と言う不安そうな電話を受けた。
 すぐ出発しようとするイラーヴァティだったが、彼女は子供の頃のトラウマで、電車に乗るとパニック障害に襲われてしまう。忙しい夫は「そんなの気のせいだ」の一点張りで頼ることもできず、なんとか詩を書くことで気を紛らわせて遠いハイデラバードの病院にいる妹のもとにたどり着いたとは言え、一旦妹の家に落ち着くためにさらに電車で20分移動しないといけないと言うのだ。
 ついに駅のホームで失神しかけた彼女は、偶然隣にいた男性に助けられ、その日はなんとか妹の家までたどり着くことができたのだが…。

 翌朝、再び電車で病院まで行かなければならないイラーヴァティは、電車を前に躊躇していたが、そこに昨晩助けてくれた男が声をかけてくる。
「こんにちは。人見知りな性格なもので、昨晩は挨拶もできず申し訳ないことをしました。僕はプリータムと言います」
「……私もです。…私はイラーヴァティです」
「珍しいお名前ですね。偶然、この前読んだカーリダースの戯曲に女王イラーヴァティの名前があったのを読んだばかりですよ」
「…私の名前を正確に発音してくれる人も、珍しいですよ」
「私の妻なんかはムリドゥラと言うんですけど、前にムドゥラとかマルドゥッラ(=男らしいの意)とか呼ばれた事もありましたっけ…。珍しいと言えば、私は誰かと話しながら電車に乗るのも珍しいんです。本当は。…僕は6ヶ月間乗ってますけど、いつも早くて安全な電車ですよ。さ、行きましょうか?」
 まだ不安の色の濃いイラーヴァティの様子を伺いながら、プリータムは電車内でも彼女との会話を続けて行く。話は、彼女の趣味である詩について広がっていき…
「ああほら、もう目的の駅ですよ」
「…もう到着したの? ……話していて気づかなかった…」


挿入歌 Hey Fikar (ねえ、心配なのよ [なぜ私の事を心配するの?])


 テルグ人作家マラディ・ヴェンカタ・クリシュナ・ムルティ著の、1980年代刊行(*1)の小説「Andamina Jeevitam 」を原作とするヒンディー語(*2)映画。
 監督曰く、テルグ語(*3)映画界に企画を出しても出演したいと言う役者に出会えなかったため、ヒンディー語映画界での制作になった映画だそう。

 過去のトラウマから生きることに消極的になっていた見知らぬ男女の、偶然の出会いを通して育まれる男女間の友情、人生讃歌を描く詩情あふれる日常ドラマ映画。
 家族からの無関心にさらされて自分に自信の持てないイラーヴァティが、異郷の地で見つける小さな安堵感。パニック障害を「ただの気のせい」としか見てくれない周りの無関心から、自分の詩の才能をも否定し続け亡き父の今際の際にしか「詩を愛する人」との交流を持てなかった彼女の喪失感が、交互に首を持ち上げて行く人との出会いの裏腹さは、密かにイラーヴァティの異常さからパニック障害の対処法を調べた上で彼女と接触してきたプリータムの不器用な優しさとシンクロしていきながら、偶然とは言えお互いの喪失を埋め合わせる人と人のつながりによる幸福感を築き上げて行く美しさを見せてくれる。

 映画後半、その攻守交代によるどんでん返しの事実が現れることで、主人公はプリータム側へと変わり、それまで紡がれてきた場面転換の裏に隠されていた事実が浮かび上がって行く点も含め、静かで美しい詩の世界を構築させる感もあって映画全体が麗しい。
 本の虫のプリータムが、それとなくイラーヴァティのパニック障害克服に手を貸そうとして本の文章情報を追い求め、イラーヴァティはイラーヴァティで父親から譲り受けた詩作ノートに浮かび上がる詩の数々を書き上げることでのみ、自身を取り戻す方法を知らなかった。2人の交流によって、閉じていた2人の世界に詩と言う共通項が飛び込み、その言葉の波が2人のリハビリとなって別の世界へ歩む第1歩を作って行く。映画が、そんな2人の心情に寄り添いその変化を丹念に拾って行く画角を心がけて構築されることで、文学とも音楽とも絵画とも異なる、映画独自の人生詩の世界を表現して行く格好の素材である事をも見せつける。インド人にかかると、映画もまた一級の詩になりますことよ…。そりゃあ、歌とお踊りが映画に必須になるってもんでね(*4)。

 監督を務めたラージ・ラチャコンダは、本作が2本目の監督作。
 2019年に、監督&脚本&プロデューサー&原案を務めたテルグ語映画「Mallesham(機織り機を変えた男:マレーシャム)」で映画デビュー。Zeeシャイン・テルグ語映画賞の特別賞と原案賞他、多数の映画賞を獲得する。その後、2022年のマラヤーラム語(*5)映画「Paka (River of Blood)」のプロデューサーを挟んで、本作でヒンディー語映画監督デビューとなった。

 主人公イラーヴァティを演じたのは、1992年(または93年)マハーラーシュトラ州ナーシク県ナーシク市生まれのサイヤーミー・ケール。
 父親はモデル アドヴァイト・ケールで、姉サウンスクルティー・ケールは女優。祖母に女優ウーシャ・キラン、叔母に女優タンヴィ・アーズミー、女優マムタ・クルカルニーがいる。
 2015年のテルグ語映画「Rey」で主役級デビュー。翌2016年には「Mirzya」でヒンディー語映画デビューして、スターダスト"明日のスーパースター女優"賞を獲得。2018年の「Mauli(マウリ)」でマラーティー語(*6)映画にもデビューしている。
 2020年の「Special OPS」からヒンディー語配信ドラマにも活躍の場を広げつつ、以降、ヒンディー語映画界を中心に活躍中。2024年には、アイコニック・ゴールド・アワード"力強い女優演技"・オブ・ジ・イヤー賞を贈られている他、女優の他モデル業界でも活躍中。

 後半の主人公になるプリータムを演じたのは、1978年カルナータカ州都バンガロール(現ベンガルール)のコダヴァ族(*7)家庭生まれのグルシャン・デーヴァイアー(生誕名カンベヤンダ・デーヴァイアー・グルシャン)。
 国立ファッション技術研究所卒業後、10年間ファッション業界で活躍。ファッション系学校の教鞭も取りつつ、バンガロールの英語劇場に参加したことで演技の道へ転身。
 TVドラマ出演などを経て、2010年の新機軸ヒンディー語映画「イエローブーツの娘(That Girl in Yellow Boots)」で映画デビュー。翌年公開の「Dum Maaro Dum」「サタン(Shaitan)」と合わせて、多数の映画賞ノミネートを受けて活躍の場を一気に広げて行く。
 続く2012年の「Hate Story(ヘイト・ストーリー)」「Peddlers」で主役デビュー。2018年の1人2役出演作「燃えろスーリヤ(Mard Ko Dard Nahi Hota)」でスクリーン・アワード助演男優賞を獲得。同年の配信ドラマ「Smoke」以降、ヒンディー語の映画界・TV界で活躍中。

 ふとした日常の景色を、「詩」の力で心情を通した別の景色に読み替えて人の価値観や人生観に心地よい揺さぶりをかけて行く。そうして見えてきた別の景色が、新たな人生の第1歩を押し出すきっかけにもなり、隠されていた世の中の負の感情をあらわにもする。価値観を変える視点を言葉から得た時、人が見る世界の変わりようのなんと新鮮で心動かされることか…。そんな詩の力、言葉の力、創作の力を美しく、繊細に見せてくれる1本のよう。
 プリータムに当初は警戒して言葉を選び、電車の席でも向かい合わせだったり1人分あけて座ったりしていたイラーヴァティが、徐々に心を許すようにその距離を縮めて行く景色もまた、2人の価値観が変わって行く過程を見る新しい景色ってやつでしょか。さりげなく既婚者である事をアピールする、足につけてる結婚指輪という存在も「へぇ」って感じ。新しい世界は、本の中に、映画の中に、旋律の中に、鏡に映った思い出の中に、普段行き交う電車の雑踏の中にあるものなんでありましょうか。その1人1人が外に見せないさまざまな喪失感、絶望感を抱えていようとも、次の偶然の出会いがまた違う世界へとその人を運んでくれる、そんな世の中があってもいいよねえ…。



挿入歌 Ghoomey ([私と一緒に]旅立とう)




 


「8AMM」を一言で斬る!
・紅茶派な私をコーヒー派に変える勢いの、イラーヴァティのコーヒー讃歌。詩の力は偉大なり…。

2024.12.15.

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*1 2010年に改訂版が出版されている。
*2 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*3 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*4 本作では踊ってないけど。
*5 南インド ケーララ州と連邦直轄領ラクシャドウィープの公用語。
*6 西インド マハーラーシュトラ州とダードラー・ナガル・ハヴェーリーおよびダマン・ディーウ連邦直轄領の公用語。
*7 現カルナータカ州南部コダグ県とその周辺域…いわゆるコダグ・ナード起源のドラヴィダ系民族。英語名コーグ。コダグ県固有のコダヴァ語を母語とし、コダグ・ナードを開拓した先住民とされる。祖先崇拝とともに武器崇拝も盛んで、国内で唯一免許なしでの銃器携帯が許されている集団でもある。