タイトルは、タミル語(*1)で「愛らしいタミルの子」の意、らしい?
台本ライター出身のバーラタンの、監督デビュー作。主演ヴィジャイによる、初の1人2役映画だそうな。1部で、90年のマラヤーラム語(*2)映画「Iyer the Great(偉大なるアイアール)」からアイディアを借りていると言う指摘もある。
監督を務めたバーラタンは、タミル・ナードゥ州コーヤンブットゥール県(旧コインバートル県)ペリヤ・ネーガマン生まれ。
01年のタミル語映画「Dhill(度胸)」で台本制作に参加して映画界入り。その後もタミル語映画界で断続的に台本ライターとして活躍する中で、本作で監督デビュー。14年には2本目の監督作「Athithi(来客)」を、17年には再度ヴィジャイを主役に迎えた3本目の監督作「Bairavaa(バイラヴァー)」を公開させていて、同年の「Paakanum Pola Irukku」で男優デビューもしている。
音楽を務めたA・R・ラフマーン(本名アラー・ラカ・ラフマーン。生誕名A・S・ディリップ・クマール)は、言わずと知れたアジアを代表する音楽家(*3)。
1967年タミル・ナードゥ州都マドラス(現チェンナイ)生まれで、父親はムダリアール(*4)家系出身のマラヤーラム語映画音楽作曲家R・K・シェーカルで、父親の仕事を手伝うため4才からピアノを習い、父親のスタジオでキーボードを担当していた。
9才時に父を亡くしてから、父親の楽器レンタルで生活費を稼ぐ母カリーマを助けるために働きに出ることとなり、学校を休むことが多くなって成績の下落を招いて学校を転々とする。その中で音楽の才能を開花させて友達とバンド活動を始め、母親の勧めもあって音楽活動に専念するため最終的に学校を中退。有名な音楽家マスター・ダンラージから初期の音楽教育を施され、父の友人たちをはじめとした数々の音楽家と仕事を共にする事で映画音楽業界に入っていく。
その中で、ロンドンのトリニティ・カレッジ・オブ・ミュージック(現トリニティ・ラバン)への奨学金入学を果たした他、マドラスの音楽学校で西洋クラシック音楽を修了もしている。
妹の病気で困窮している時に協力してくれたイスラーム神学校の人々に感化され、89年に家族そろってイスラーム教に改宗し名前をA・R・ラフマーンと改めている。
TVCMやドキュメンタリーBGMの音楽担当として活躍していたラフマーンは、92年のマニ・ラトナム監督作「ロージャー(Roja)」の音楽監督を依頼されて本格的に音楽監督デビュー。自宅の裏庭に当時のインド国内最先端の機材を揃えたレコーディングスタジオ"パンチャタン・レコード・イン"を設立して、ナショナル・フィルムアワード銀蓮音楽監賞他多数の音楽賞を獲得。その後のタミル語映画界の音楽を大きく塗り替えていく。以降、インド国内の各映画界のみならず、世界各国で商業的にも成功する音楽家として大活躍し、インドの古典音楽や民謡の他、ジャズ、レゲエ、ロックミュージックを組み合わせる数々の名曲を世に送り出して世界中に大きな影響を与えていっている。
音楽活動の他、映画関係だと12年のミュージックビデオ「A.R. Rahman: Infinite Love」で脚本デビュー。17年の短編映画「A Prelude to Le Musk」で監督&プロデューサーデビュー。さらに公開予定作となる英語映画「Le Musk」で長編映画監督デビュー予定とか。