アーン 印度の風雲児 (Aan) 1952年 168分 (88分短縮版もあり)
主演 ディリップ・クマール & ニンミ & ナディラー
監督/製作 マハブーブ
"私は…命よりも、私の尊厳をこそ愛する"
とある村の地主の息子ジェイ・ティラク・ハラは、母親と許嫁マンガラーの反対を押してタンベィ王宮開催の競技大会に参加し、見事試練を突破して王から賞賛され、王宮に招かれ王女の馬屋番として職を得ることに。
しかし、その裏で彼の不遜な態度は、ラジェシュワリー王女(通称ラージ)とシャムシェール・シン王子の怒りを買ってしまう。今まで出会ったことのないこの不遜な男に戸惑う王女は、侍女の戯れの挑発もあっていつしか愛憎半ばな思いに揺れていくものの、彼女自身は頑なにそれを認めようとしない…。
一方、父王から「私の代で王制を廃止しようと考えている」と言われたシャムシェール王子は、秘密裏に父王の排斥に動き出し、王宮を思うままに動かそうとする。そんな王子に目をつけられてしまったマンガラーは…!!
挿入歌 Aaj Mere Man Mein Sakhi
原題は「誇り」とか「尊厳」の意。
インド映画初のテクニカラー映画となった、ヒンディー語(*1)+ウルドゥー語(*2)映画。
2004年のヒンディー語映画「Aan: Men at Work」とは別物。
タミル語(*3)吹替版「Aan (Murattu Adiyaal)」も公開。
また、インド映画初の大規模に世界公開された映画でもあり、アメリカやイギリスでは英題「The Savage Princess(猛き姫君)」のタイトルで公開されている。日本では、1954年に「アーン 印度の風雲児」のタイトルで公開。
前近代的な村に住む青年が、王宮に乗り込んで王族相手にドタバタする話と聞いてたので、勝手に時代劇だと思ってたら銃や自動車や洋服に身を包んだ王族が出てくる現代(近代?)劇でございました。
インド的生活習俗に彩られた農民たちの暮らしに対して、西洋風の衣裳や建築様式に囲まれた王族との生活文化の差をあからさまに表現した上で、それぞれの人々の「尊厳」をかけた愛憎渦巻く闘いを描くごった煮ロマンス映画、かなあ。宗教色がほぼないのは、当時のインドが分離独立闘争の余波でまだ揺れていたこと・世界公開を見据えての影響ですかね…?(*4)
OPの、広大な放牧場の風景を主人公が馬で駆け抜ける雄大さも「さすがインド!」って感じですが、王宮や主人公の農場なんかは巨大セット内で縦横無尽に撮影されていて、そこかしこに「さあ、インド映画を世界に売り込んで行くゼ!」って気合いが透けて見えるよう。
お話は、架空の地方を舞台にインドの農民たちのたくましさを謳いあげつつ、王族たちとの二重三角関係が繰り広げる「人を愛すること」「人から愛されること」のそれぞれの気概・尊厳のありようを描いて行く。
王族故に庶民である主人公への愛を認められない王女、主人公の愛が王女の方へ向かうのを止められず自信を失って行く許嫁、その許嫁をダシにして主人公を苦しめようとする王子、許嫁への愛を自覚しなかったことで彼女に起こる不幸に怒る主人公…と、それぞれがエピソードの積み重ねの中で自身の中にある「尊厳のありよう」をそれぞれに自覚して行く様をロマンス劇で描いて行く…ために、多少展開が冗長気味に見えてしまう部分もあり。ラストの、王政転覆劇なんかは伏線もしっかり張ってあるとは言え、話題の中心になってないから多少取ってつけた感がある…かなあどうかなあ。まあ、時代が時代だからってのもあるけれど。
ヒロイン(の1人)マンガラーを演じたのは、1932年(33年とも)英領インドの連合州アーグラ(*5)のイスラーム教徒家庭に生まれたニンミ(生誕名ナワーブ・バーノー *6)。
父親は軍需産業系業者、母親は歌手兼女優のワヒーダンで、本作監督マハブーブ・カーン一家とは幼い頃から親交があったと言う。
11才の時に母親を亡くし、父を残して祖母とともにアボッタバード(*7)に移住するも、47年に始まる印パ分離闘争で難民となってしまい、祖母とともにボンベイ(*8)に住む叔母の女優ジョティに引き取られる。
その後、叔母の夫である歌手兼男優兼音楽監督のG・M・ドゥッラーニーを通じて映画界と親交を持ち、49年のヒンディー語映画「Barsaat(雨)」で女優デビューして一躍トップスターに。51年の「Bedardi」では歌手デビューもしている(*9)。本作のプレスリリース時には、彼女が演じるマンガラーの出番が少ないと観客が不満の声をあげたことから、急遽映画後半に大掛かりな「夢の中のマンガラー」シーンが追加されて評判をさらに高めることになった。
また、本作の英語吹替版がロンドン公開されるイベント時、イギリス人俳優エロール・フリンが彼女の手にキスしようとした事を拒み「私はインド人です。止めてください!」と叫んだことが大きく報道され、"キスを拒んだインド人女性"として絶賛。フランスやアメリカでも本作は絶賛され、彼女の元にハリウッドから多数のオファーが舞い込むことになるが、全てのオファーを断りインドでのキャリアに集中。ヒンディー語映画界で50〜60年代半ばまで大活躍する。63年の「Mere Mehboob(愛する人)」でフィルムフェア助演女優賞ノミネート。65年の「Akashdeep」をもって女優引退する(*10)。
本作で映画デビューした、ラジェシュワリー王女役のナディラー(生誕名ファルハート・エゼキエル・ナディラー。別名フローレンス・エゼキエル・ナディラー)は、1932年イラク王国のバグダードにてバグダディ・ユダヤ人(*11)家庭に生まれ、インドのマハラーシュトラ州ボンベイで育つ。
女優サルダール・アクタル(*12)を通じて映画界に入り、19才にして本作で映画デビュー。すぐに人気女優として活躍し始め、多くの映画で魔性の女や悪女を演じる。75年の「Julie(ジュリー)」でフィルムフェア助演女優賞を獲得。50〜90年代まで活躍し、00年の「Snip!」(または01年の「Zohra Mahal」)で女優引退する。
結核性髄膜炎や麻痺、アルコール性肝障害などに苦しめられた末、06年にムンバイの病院にて心臓発作で物故される。享年73歳。
2人のヒロインは常に目を見開いた強気な表情で睨みつけ、ヒーロー&ヒールの男優はいつもニヤついたチャラ男を演じるあたり、大仰な装飾セットと相まって舞台演劇的な空気も強い。地下牢入口扉の恐竜を模した口装飾やら、夢の中のシーンで出てくる巨人の口に模した銅鑼とか、王女用の特別浴槽などなどの大掛かりながらシュールな舞台装置も当時のインド映画界の元気さとハリウッドへの対抗心が見える、ようなそうでもないような。
演技でいえば、2人のヒロインやヒーロー&ヒールよりも、王女に恋をけしかける不敵な侍女を演じたシェーラ・ナーイクが印象的なワタスですが、この人、本作以前にカマル・アムローヒー監督作「Mahal(大邸宅にて)」に、本作以後は同じマハブーブ監督作「Mother India(マザー・インディア)」にも出演してる人だったのね! そりゃあ、堂々としたダンスを披露して不敵に笑ってくれますことよ。
農民と王族の恋の駆け引きが、徐々に大きくなって民主主義の勝利へと繋がっていく展開は王道&当時の社会情勢から見た理想像を描いたものなんだろうけど、その時代の変遷を大掛かりで血みどろな戦闘で描くのではなく、色恋の駆け引きを中心とした会話劇で描くのは、以降のボリウッド(*13)にも通じる北インド人たちの感覚の興味のありようがそっちに向いてるから…ってことなのかなあどうかなあ。
で、この映画の日本公開時の批評とか感想とか、どこかに残ってないのー?
挿入歌 Gao Tarane Man Ke
「アーン」を一言で斬る!
・タンベィ王宮地下牢の、なんと広く清潔なことか…(王子様然とした、きれいな衣裳に身を包むジェイに対応してる感じなのが、なんとも)。
2021.7.30.
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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*2 ジャンムー・カシミール州の公用語。パキスタンの共通語でもあり、主にイスラーム教徒の間で使用される言語。
*3 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*4 いわゆる、「世界を見据えたインド映画!」なんてものはすでにこの当時に通り過ぎてるんですわ。インド映画界って。
その結果としてイスラーム圏、ヒンドゥー文化圏の他、イギリス連邦圏、旧ソ連圏がその商売圏に入りながら、それ以外が長らく反応なしだったってのは、それだけ映画娯楽と生活文化ってのは不可分なんだってことかいねえ…。
*5 現ウッタル・プラデーシュ州アーグラ。
*6 祖父母の名前を1つずつ継承した名前。
*7 現パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州内。
*8 現インドのマハラーシュトラ州ムンバイ。
*9 が、結局歌を担当したのはこの1作のみ。
*10 同年に、脚本家ラザと結婚。それ以前に撮影されたままお蔵入りされていた「Love & God」が86年に公開されていたりする。
*11 別名インド・イラク系ユダヤ人。18世紀以降、インド洋〜南シナ海で活躍したユダヤ教徒商人たちの末裔。
19世紀の大英帝国の元での繁栄で英国化が進み、第2次世界大戦後はイギリス、イスラエル、オーストラリアにほとんどが居を移している。
*12 本作監督マハブーブ・カーン夫人。
*13 ヒンディー語娯楽映画群の俗称。
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