監督を務めたオーム・ラーウトは、1981年マハーラーシュトラ州都ボンベイ(現ムンバイ)生まれ。
母親ネーナ・ラーウトはTVプロデューサーを、父親バーラト・クマールは記者兼作家でラージヤ・サバー(*7)会員をしていて、祖父J・S・バンデーカルはドキュメンタリー映画作家兼編集者だった。
子役として、いくつかの舞台やCMに出演していた中、1993年のヒンディー語映画「Karamati Coat」で映画&主演デビュー。その後は学業を優先し、電子工学の学士号を取得して米国留学して、映像ヴィジュアル&パフォーミング・アートを修了してから、ニューヨークのケーブルチャンネルMTVネットワークにて脚本家兼監督として働き出す。
インド帰国後、映画製作・配給会社DARモーション・ピクチャーズのクリエイティブ・ヘッドに就任。2010年のヒンディー語+マラーティー語(*8)映画「City of Gold 」で製作総指揮に就任。翌2011年の「Haunted − 3D(憑依-3D)」でプロデューサーを務め、その後、母親と共同設立したネーナ・ラーウト・フィルムズ製作の2015年のマラーティー語映画「Lokmanya: Ek Yugpurush」で監督&脚本デビュー。フィルムフェア新人監督賞他を獲得している(*9)。続いて2020年の「Tanhaji」でヒンディー語映画監督デビューを飾り、年会最大興行成績と共に、フィルムフェア・アワード監督賞他多数の映画賞を受賞。本作が3本目の監督作にして、初の2言語(ヒンディー語とテルグ語)同時製作監督作となった。
企画始動からいろいろな噂が世間を飛び交い、予告編解禁から複数の宗教団体からクレームや妨害が入り何回も訴訟される騒ぎに巻き込まれてる所なんかは、日印合作のアニメ「ラーマーヤナ」の舞台裏とも通じる、インドにおける叙事詩映画を巡る保守的な世相が見えてくる感じではある。
そうした問題への対処故か、映画は舞台演劇的に大仰でもったいつけた台詞回しが多用され、場面場面ごとにハッキリと舞台が分かれ、複雑な感情表現や並列描写などが廃される分かりやすい見せ方を終始徹底している感じではある。そういう意味では、舞台演劇としてのラーマーヤナに近づけているとも言えるかもしれないけど、CGをこそ武器ですよと見せつける数々の映像効果は、気合の入り方は半端ないのは伝わってきつつもどこか叙事詩世界とうまく噛み合ってないアンビバレンツを起こしていて、特に後半のランカー島が「ロード・オブ・ザ・リング(The Lord of the Rings)」のモルドールっぽいイメージで描かれる事もあって「インド的」な要素も「超古代的」な要素も消えてしまってる感じなのが悲し(*10)。ある程度、インド叙事詩映画としてのオリジナリティが見えるようになれば、より面白さがますかなあ…とか思うんだけども、そうなるとそれで現地のインド人たちが怒り出す負の連鎖が起こるのかねえ…。メンドくさい事でありますよ。