アキラ (Akira / 2016年ヒンディー語映画版) 2016年 136分
主演 ソーナークシー・シンハー & アヌラーグ・カシュヤプ
監督/脚本 AR・ムルガドス
“アキラ…その名は、サンスクリットで「慎しみ深い力」を意味する”
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森の中を、1台のワゴンが走る。
その中に2人の男とともに押し込められていたアキラ・シャルマーは、人気のない森中に引き出され、拳銃を突きつけられるのだった…!!
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ジョードプルで育った少女アキラは、かつて気にくわない女性の顔に酸をかけて喜ぶ男たちを告発し、その復讐から身を守るため、父親の勧めで習得した格闘技で犯人たちをねじ伏せ重傷を負わせる事に成功する。だが、そのために14年間を少年院で生活することに…。
刑期を終えて出所したアキラは、父亡き後の母の勧めでムンバイの兄夫婦のところに引っ越し、聖十字大学に入り直して遅れた学業を取り戻そうと寮生活を始めるのだった。
同じ頃、交通事故を起こした男が持っていた大金をガメて運転手を撲殺した地元警察ラーネー警視正は、そのことで部下たちに電話連絡していた所を愛人に撮影され、そのカメラが行方不明だと知って驚愕する。
唯一の手がかりである愛人を殺してしまったラーネーたちが、カメラがなくなった現場にいたと言う聖十字大学生たちに探りを入れる中、そのカメラの入った袋が何故かアキラの部屋の前に置かれていて…。
プロモ映像 Rajj Rajj Ke (Version 1 / 今日はできるだけ [私を泣かせてほしい、罰してほしい。もう心の準備はできているから])
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日本人にタイトルを言うと、絶対あの80年代の傑作アニメ映画を連想される映画だけども、タイトルは社会の理不尽に抵抗する強き主人公の名前。サンスクリット由来の女性名で「優雅な力」「奥ゆかしい力」の意とか。
2011年のタミル語(*1)映画「Mouna Guru (静かなる教師)」のリメイクとなる、FOXスター製作のヒンディー語(*2)映画。元映画は、他に12年のカンナダ語(*3)映画「Guru」、15年のテルグ語(*4)映画「Shankara」としてもリメイクされている。
同年に同名カンナダ語映画があるようだけど、関係はな…い?
日本では、2017年のIFFJ(インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン)にて上映。
見る前から、主演ソーナークシーが暴れまわるダーティーアクション映画と聞いて「ソーナークシーのアクションなら見てみたい! …けど、やたら重そうな内容で精神削られそうだなあ…」と尻込みしてたんだけど、ダーティーはダーティーな世界だけど、まあ予想してたよりは全然見やすい映画でありましたことよ。これくらいならヘーキヘーキ問題ナッス!
お話自体は、タミル・オリジナル版の物語構造を借りてきつつそこそこ脚色されてる風だけども、ムルガドス監督作としては多少大人しめ? な感じもしなくもない…かも。FOX配給ということもあって、世界配給用にその辺のアクションシークエンスやダーティーさをあえて抑えてる作りになってるのでしょかねえ…。
とはいえ、物語的には主人公アキラにこれでもかと理不尽な恐怖や抑圧が降りかかってくる映画で、性差別や女性への過激な暴行に躊躇のない男社会から、大学での集団リンチや嫌がらせの数々、全くの潔白の身に降りかかる冤罪の恐怖と、それ故に人権無視の制裁や口封じの標的にされて家族にすら自身の存在を否定されてしまうアキラの惨状が、「まあ映画だしなあ」と思えない迫力で次々と押し寄せてくる社会派スリラー的な面も強い。
事件の捜査でアキラを助けてくれる存在になりそうな女性警部ラビヤーも、それなりに事件解決の道を作ってくれるとはいえ、最後の最後は煮え切らない感じになってしまう所は社会にはびこる腐敗と不寛容を完全解決する道がないことを示唆するものか。「すっきり解決したらそれこそファンタジーじゃん」とでも言いたげにダンスパート無しのハリウッド的映画構成になっているのも、そんなコンセプトを重視してのことかねえ。
本作で「おお!」と驚くのが、悪役ラーネー警視正をボリウッド最注目の映画監督アヌラーグ・カシュヤプが演じていること。
アヌラーグ(・シン)・カシュヤプは1972年ウッタル・プラデーシュ州ゴーラクプル生まれ。父親は州大手の電力会社技師で、弟に映画監督兼脚本家のアビナーヴ・カシュヤプがいる(あの「ダバング」の監督!)。科学者を志望してデリー大学ハンス・ラージ校にて動物学を修了。在学中に演劇グループに参加して舞台演劇を経験し、国際映画祭で多くの映画にも触れていきヴィットリオ・デ・シーカ回顧録制作に関わっていたという。大学卒業後、ムンバイに移って仕事を探す中で極貧生活を送るが、知り合いを通してTVドラマ監督シヴァム・ナーイルと出会い、映画とTV双方の制作現場で脚本を手がけるようになる。
97年製作の未公開作「…Jayate」やTVドラマ「Kabhie Kabhie」の脚色を担当し、この評判から男優マノージュ・パージパーイーの紹介で映画監督ラーム・ゴーパル・ヴァルマーに呼ばれて98年の大ヒット ヒンディー語映画「Satya(真実)」で、サウラーブ・シュクラーとともに脚本を担当して本格的に映画デビュー。翌09年には短編映画「Last Train to Mahakali(マハカリへの最終列車)」で監督&プロデューサー&脚本を手掛けて、スター・スクリーン批評家選出特別賞を獲得する。
03年には、実際の連続殺人事件を基にした「Paanch(5)」で長編映画監督デビュー(*5)し、その後は脚本家として活躍しつつ新世代映画の旗手として注目されていき、07年の自身の監督作「ブラック・フライデー(Black Friday)」では脚本とともに俳優デビューしている。08年の「Aamir(アーミルの1日)」でプロデュサーデビューし、10年の「Udaan(フライト)」でフィルムフェア脚本賞・原案賞を受賞したのを始め数々の映画賞を獲得していくようになる。
09年のヴェネツィア国際映画祭から、数々の世界中の映画祭にて審査員に招待され、13年のカンヌ国際映画祭ではインド映画100周年記念の一環で、フランス政府から芸術文化勲章を授与されている。
その作風は実験的かつ現代的と評され、インドの"今"を象徴する社会風刺的現代劇の構築力・演出力が高く評価され、英国の映画監督ダニー・ボイルは、その監督作「スラムドッグ・ミリオネア」がアヌラーグ・カシュヤプ監督作の影響を受けて作られていることを語っている。
現代インドを代表するようなダーティー映画の旗手が演じる悪役の小狡さ、醜悪さ、その辺にいそうな感じも存分に発揮されてて恐ろしさ200%増しな感じなのがスゴいけど、それに対抗して自分の力だけで自体を打開しようとする主人公アキラ演じるソーナークシーの目力も凄まじい。
長い手足を縦横無尽に利用するマーシャルアーツもカッコええし俊敏だし、なにより絵面的に美しい。たった一人で周囲の理不尽全部を相手にするアキラの根性座ったパワーと、理不尽が服着て歩いてるような周りの人々の泥臭さが、時にシンクロしたり対比効果を生んだりで、ソーナクシーもっとやれ! と応援したくなる画面のオンパレードですわ。
まあ、お話はそんな活躍を見せるアキラをスッキリ解決してくれない所にダーティーなインドの現実を映してるようで「んんん…?」と煮え切らん感じに映画館を後にするようになってしまうのは、まあ、アヌラーグ・カシュヤプ参加の映画ならそうもなるかねえ…と納得できるようなできないような。
そういや、アキラが父親に勧めで特訓を開始した格闘技って、練習風景を見てるとテコンドーとヨガと総合格闘技を混ぜたような感じに見えたけど、戦ってるところの所作はマーシャルアーツ的な総合格闘技…なのかね? 泥まみれ煤まみれでも身体1つで相手をぶっ倒すその活躍ぶりを、もっともっと見てみたかったわあ。
プロモ映像 Baadal ([雨がきて、雨が満たして行く] 私の眼を雲にして。雲に変えてほしい)
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「アキラ」を一言で斬る!
・とりあえず、アキラのお父さんは娘の復讐戦に積極的に加担する教育方針だったのね。
2017.11.24.
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