インド映画夜話

Amar Jyoti 1936年 150分(166分とも)
主演 ドゥルガー・コーテ(歌も兼任)
監督 V・シャンタラム
"私だって、昔は天のお城に住んでいた"
"でもね…、結婚して女は男の奴隷である事を思い知らされた"
"法律も聖典もそれが正しいと語り、政治が認め印を押す"
"…だからこそ、私はこの奴隷制を根絶しようと決めたんだ"




 その日、スワルナディープの王女を乗せた船が海賊船に襲われた。
 海賊の頭サウダミニは、姿の見えない王女への見せしめとして船を焼き、部下たちをわざと海上に置き去りにする。彼らが岸に辿り着いて王女が死んだことを女王に告げて、彼女を苦しめるだろうことを望んで…。それこそ、サウダミニの目指す復讐なのだから。
 そんな頭を見て、腹心であり夫(?)でもあるシェーカルは語る…「これで、我々は一生苦しみ続けるのだ」と…。

 この海賊の所業はすぐにスワルナディープの女王の知る事となり、動揺する女王の命令でナンディニ王女の捜索と海賊の捕縛(生死を問わず)が告知される。
 一方、姿を消したナンディニ王女は、海賊が押収した財物の1つに隠れていて、元スワルナディープの大臣で今は海賊の捕虜ドゥルジェイの助けを借りて海賊の隠れ家で密かに命を繋いでいくことに。しかし、ある日隠れ家を抜け出して森を散策するナンディニは、そこで羊飼いスディールと出会って恋に落ちてしまう。これに怒るドゥルジェイ共々にサウダミニに見つかってしまったナンディニは監禁され、サウダミニから愛の結果として結婚した女性にどのような苦しみが待っているかを聞かされ始める…。


挿入歌 Karate Rahana Masmar (世界を一周しよう)


 タイトルは、ヒンディー語(*1)で「不滅の炎」。劇中では、英題「Immoetal Flame」も大きく表記されている。

 英領インド時代に製作された、家父長制社会に反旗を翻す海賊の女王の活躍を描くヒンディー語時代劇。
 30〜80年代初頭に活躍した女優ドゥルガー・コーテの代表作と名高い傑作。インド映画で初めてヴェネツィア映画祭で上映された作品とか(ホンマ?)。

 こんな時代から海賊ものインド映画があるのか! と前のめりで見てましたけど、うん、まあ、予想通りというか海のシーンは極端に少なかったッス(*2)。
 主題は、サウダミニやナンディニを襲う「女性蔑視からくる社会的呪縛」ではあるものの、回想シーンがほぼなく、サウダミニはじめ登場する海賊たちが社会から弾き出されて居場所のなくなった者たちの集まりであろうことは示唆されながらも具体的な経緯は語られないし、語られたとしても仁王立ちで眼をカッと見開いた姿勢で「奴隷制を壊してやる!」って舞台的なアピールの仕方で大雑把なテーマのみを啖呵きって言うだけなので、今見ると映画としては主題そのものがぼやけてしまってる感じもする(*3)。
 全体的に舞台演劇的な作りの映画で、役者はそれぞれの物語的役割を終始主張し、台詞を観客席にこれでもかと届けようとハッキリクッキリ叫んで届けるし、舞台も海賊船・隠れ家・王宮の大広間・密林・城下の下町と数が少ない上に俯瞰シーンがあんまないので位置関係が漠然としていて、空間の使い方自体に舞台演出的なものも濃厚。
 1953年の「鷹(Baaz)」や2021年の「Thugs of Hindostan(反逆のインド)」といったヒンディー語映画界の海賊映画への影響といったものも、探ればあるだろうし共通点的なものも見えるけども、本作に限って言えば「海賊でなくても話が通じるかなあ」って感じではある。知識も礼節も持ちながら…むしろそれ故に…社会の無慈悲な抑圧によって陸を追われて海賊に身をやつしたドロップアウトの集団、ってのは3作とも通じる「海賊」なるものの描き方ではあるけれど。

 本作の監督を務めたV・シャンタラム(生誕名シャンタラム・ラジャラーム・ヴァンクドレ。通称シャンタラム・バープ)は、1901年英領インド コールハープル藩王国の首都コールハープル(*4)生まれ。
 1921年に見合い婚で8才年下のヴィマラバーイと結婚して1男3女をもうけ、その孫に、音楽監督シャーラング・デーヴ・パンディット、TVタレントのドゥルガー・ジャスラージ(*5)、男優シッダールト・レイ(*6)がいる他、41年に女優ジャヤシュリーとも結婚し、マラーティー語(*7)映画監督兼プロデューサーのキラン・シャンタラム、女優ラジシュリー、女優テージャシュリーが生まれている(*8)。
 1917年に家族でマドラス管区フッバリー(*9)に移住後、10代で鉄道会社で組立工員として働き出し、夕方からは映画館のドアマンのボランティアをしていたと言う。ドアマンの仕事中は上映中の映画は全てタダで見る事を許されていて、後年"インド映画の父"と称されるダーダサーヒブ・ファールケー監督作に熱中して映画への興味を強くする。その後、写真と看板絵を学び、生まれ故郷コールハープルにある映画会社"マハーラーシュトラ・フィルムCo."に入社して映画界入り。21年のサイレント映画「Surekha Haran」で男優デビューする。
 以降、男優として活躍しつつ、27年の「Netaji Palkar」で監督デビュー。32年には、初のマラーティー語トーキー映画となった監督作「Ayodhyecha Raja(アヨーディヤーの王)」を公開させている。42年には、会社を退社して仲間たちとボンベイ(*10)にて映画スタジオ"ラージカマル・カラマンディル"を設立し、40〜70年代まで精力的に映画監督兼プロデューサー兼脚本家として活躍。社会変革をテーマにしたものやヒューマニズム、社会的不正や偏見を映画で描く最初期のインド映画人としてその名を刻んでいる他、ノンクレジットで映画挿入歌の作曲までこなし、映画音楽の進化に大きく貢献していた。85年には、その偉業を讃えてダーダサーヒブ・ファールケー功労賞を授与されている。
 1990年ボンベイにて物故。享年88歳。彼の実家は長女サロージが受け継いで記念館とホテルに改装され、92年には国からパドマ・ヴィブーシャン(*11)が贈呈。その他、中央政府とマハラーシュトラ州政府によるV・シャンタラム賞の設立や、Vシャンタラム映画研究文化基金なども設立されている。

 主人公サウダミニを演じていたのは、1905年英領インドのボンベイ州ボンベイにてコンカーニー語(*12)を母語とするブラーミン(=バラモン)家庭に生まれたドゥルガー・コーテ(生誕名ヴィータ・ラッド)。
 義理の弟(兄? 夫の兄弟)に男優ナンドゥ・コーテ、義理の娘(*13)に映画製作者ヴィジャヤー・メヘター、孫に映画製作者ラヴィ、女優アンジャリ・コーテ、映画プロデューサーでUTV共同創設者の1人でもあるデーヴェン・コーテがいる。
 芸術学士取得のために大学に通っている10代の頃にエンジニアのヴィシュワナート・コーテと結婚するも、26才で夫と死別。2人の息子の養育のため、当時は卑俗な仕事と見なされてなり手のいなかった映画女優の仕事を請け負うことになる。
 1931年のサイレント映画「Farebi Jaal」に端役出演して映画デビュー。翌32年のV・シャンタラム監督作となる史上初のマラーティー語トーキー映画「Ayodhyecha Raja」で主演デビューし注目を集める。以降、ヒンディー語、マラーティー語映画を中心に活躍する中で、当時のスタジオ専属契約から脱却して複数の映画スタジオに出入りするフリーランス女優としての先陣を切る。200本以上の映画(*14)に出演した後、CMや短編映画、ドキュメンタリーなどの制作会社"ファクト・フィルムズ"、TVドラマ制作プロダクション"ドゥルガー・コーテ・プロダクション"も設立させている。
 映画の他、舞台演劇の活躍も人気を集め、IPTA(インド人民演劇協会)の活動に積極的に参加していたと言う。
 41年の「Charnon Ki Dasi」と42年の「Bharat Milap」で2年連続BFJA(ベンガル映画ジャーナリスト協会)主演女優賞を獲得した他いくつかの出演作で映画賞を獲得。68年にはパドマ・シュリー(第4等国家栄典)を授与され、83年にはダーダサーヒブ・ファールケー功労賞も贈られている。
 1991年にボンベイにて物故。享年86歳。

 全体的に舞台演劇とサイレント映画の演出術が色濃く全面に出てきてるような画面作りは、そうは言っても今見るとわりと新鮮かもしれない。
 その世代の人たちが作ってる劇というだけで興味深いし、「女性という奴隷」の解放を詠うサウダミニの必死さ、それに感化されて淡い初恋をすぐ否定して海賊側に合流する王女ナンディニ(*15)の未来に対する諦観と恐怖が声高らかに主張されている姿勢も、この時代からしっかり映画が世論を引っ張んていくものと認識していた映画人がいたんだなあ、と感心しきりですわ。特に、植民地化のインドにあって独立運動が盛り上がっている頃に「女性を男たちから解放せよ!」と声高らかに叫び、それでいながら「復讐に走って人を殺せば、我々は一生それを後悔するでしょう」と暴力否定のテーゼまで入れ込んでるのは、非暴力不服従のサッティヤーグラハの理念と共鳴してるように見えて興味深い。
 それでいながら、物語はそれぞれの登場人物たちを襲う人間関係の因果の渦であり、ナンディニ王女と羊飼いとの麗しい初恋を濃厚に描けば、次の段階ではその初恋自体が否定されて両者は敵対関係になってしまい、過去の復讐に走る海賊サウダミニの怒りが高まっていく後半には意外な過去の因縁が彼女の前に立ちはだかる。「マハーバーラタ」の昔から、復讐譚を好みつつ復讐の果てにある虚しさにこそ注目するインドの物語文法が、この頃の独立運動に揺れるインドの時代に呼応して、こんな物語を紡げるんだという1つの例を見せているようにも見えてくる。



挿入歌 Suno Suno Ban Ban Ke Praani (聞いて聞いて、ジャングルの生き物たちよ)

*海賊の隠れ家の森に置き去りになったナンディニ王女の、暇つぶしの散策の様子。


 


「AJ」を一言で斬る!
・ターバンって、笛突き刺して持ち運びできるものだったのね!

2024.7.12.

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*1 デリーを中心とした、北インド圏の言語。現在のインドの連邦公用語。フィジーの公用語の1つでもある。
*2 海上での船同士の追いかけっこなどの特撮シーンは、当時話題を集めたみたいだけど。
*3 もしかしたら、見たのが短縮版で、過去の経緯とかがカットされてた可能性もあるけど。
*4 現マハーラーシュトラ州コールハープル県コールハープル。
*5 両者とも、古典音楽家と結婚した次女マドゥラーの子。
*6 3女チャルシェーラーの子。
*7 西インド マハラーシュトラ州の公用語。
*8 さらに、シャンタラムは56年に女優サンディヤとも結婚しているが、両者の間には子供はいなかった。
*9 現カルナータカ州ダーラヴァーダ県フブリ。
*10 現マハラーシュトラ州都ムンバイ。
*11 蓮飾憲章。国から一般国民に与えられる第2等国家栄典。
*12 西インド ゴア州の公用語。
*13 息子ハリンの妻で、ハリンの急逝後に別の人と再婚。
*14 60年の「Mughal-e-Azam(偉大なるムガル帝国)」や63年の英国のジェームズ・アイボリー監督作「The Householder(家長)」などなど代表作だけでも多数。
*15 変わり身が早すぎる、とは思いますけど。