インド映画夜話

Anantaram 1987年 126分
主演 アショーカン & マンモーティ & ショバーナー
監督/脚本/原案 アドール・ゴーパラクリシュナン
"僕は、あなたのことが羨ましい"




 私の名はアジェン。本名R・アジェーヤ・クマール。
 母も父も知らない。この名前は、病院の看護師がつけてくれた。分娩室から連れ出され、そのまま病院で育てられていた時に。その病院では、私以前にもそうやって赤ん坊を育てていたのだろう。なぜ私が、孤児院や養子に出されなかったか。それはわからない…。

 長じて勉強も運動も器用にこなしていた小学生の私は、その自我の強さでやや孤立気味な毎日を送っていた。友達は唯一、父代わりのお医者のおじさんの所に時々帰省して来る薬学生バルーだけ。
「ねえバルー、お母さんの事覚えてる?」
「ああ…10才の頃に死んだけどな。なんでそんなことを聞くんだ?」
「…みんな、その人のことをとても愛してるって言うから。そんな人がいるなんて、すごい事だよ。もし僕が僕を生んだ母さんに会えたなら…絞め殺してやるのに!」
 私が大学生になった頃、育ての父であったお医者のおじさんが亡くなり、屋敷を相続したバルーと兄弟同然に暮らすようになったけれど、バルーと結婚したスマが家にやって来ると…!!

 また別の話をしよう。
 子供の頃、私はお屋敷の中で隔離生活だった。そこで、1人で過ごす方法を色々試していたんだ。壁に飾られていたのは、バルーの写真だったか。その頃の彼は、遠い学校へ通うとても成熟した人だった。彼の母親は若くして死んだ。彼の父親であるお医者のおじさんは、いつも遠くまで診療に出かけて家には滅多に帰ってこない。屋敷は、権威的で横暴な3人の使用人によって管理されていたんだ。ある夜、帰省したバルーに私は聞いた。
「ねえ、バルーはヤクシー(女夜叉)って見たことある? 真夜中に、ベランダを歩いて行くんだ。使用人のラーマン・ナーイルが見たんだって…」




 タイトルは、マラヤーラム語(*1)で「それから」。英題「Monologue(独白)」としても知られる。

 一見関係なさそうな2つの過去回想譚を主人公の独白として描いていく、実験的な手法が話題を呼んだ映画。人によっては、アドール・ゴーパラクリシュナン監督作の中でも最高傑作と評される映画だとか。

 精神病が進行していく男が回想する、ありし日の別々の記憶を綴る映画ときいて、「メメント(Memento)」的な映画かと思ったけど実際には「羅生門」的な映画でございました。
 もっとも、本作の前半と後半の2つの物語は、どちらも主人公が回想する1人の人間の主観にもとづく記憶で出来ており、同じ人間の主観世界における「親兄弟」「女性」像の揺らぎ、「親に捨てられた」子供が求める「理想的家族…特に母親像」に注目する映画で、その、孤児である主人公がどんなに求めても手に入らない家族愛への渇望が、静かに、しかし確実に主人公を追い詰め、蝕んでいく様を淡々と描いていく1本。

 主人公が病院で育てられ、院長らしき"お医者のおじさん"に引き取られた詳しい経緯は全く描かれないながら、望まれない出産だったらしい事、堕胎や間引きが禁止されているであろう社会背景なんかを想定できそうな雰囲気も(*2)なんとなく読み取ってしまいたくはなる。
 しかし、前半回想のそれなりに幸福そうな子供時代と対象関係的な後半の回想を見ると、養父である"お医者のおじさん"は仕事を引退するまでは家にほとんどいないままに父親役を請け負ってなかったことが描かれていて、孤独な幼児〜少年時代、育児に全く関心を示さない3人の使用人との生活の中で、主人公が垣間見た「女の幽霊」の噂、大学時代に現れた「自分を愛してくれる女性の幻」を通して、前半回想にてなぜ主人公が新婦スリの登場に驚愕したのか、なぜ彼女に関心を示しながら拒絶していったのか、主人公はスリに何を見てしまったのかが徐々に明らかになっていくのは、なかなかにサスペンスフル。家族の愛…特に母親からの愛を無意識下に欲していた彼の生涯の意味が、映画を最後まで見ることによって別の意味付けを浮かび上がらせていく所なんかは、まさに傑作に相応しい映像詩的映画でもありましょうか。

 本作主人公の青年時代を演じたのは、1961年ケーララ州アラップーザ県ハリパッド近郊のチンゴーリ村に生まれたアショーカン。
 4人兄弟の末っ子として生まれ、父親はCBI(Central Bureau of Investigation = 中央捜査局)の検察官をしていたものの、幼い頃に父を亡くしている。
 地元の大学で美術を専攻する一方、79年のマラヤーラム語映画「Peruvazhiyambalam」で主役級デビュー(*3)。以降、マラヤーラム語映画界とTV界で活躍中。

 主人公の理解者であり、兄役も担っていた導き手バルー役を演じたマンモーティ(生誕名ムハンマド・クッティ・パナパランビル・イスマーイール)は、1951年トラヴァンコール=コーチン州(*4)チャンディロールのチェンプ村生まれ。
 弟に映画男優イブラヒムクッティが、甥に映画とTVで活躍する男優マクボール・サルマーン、アシュカール・サウダーンがいて、息子ドゥルカン・サルマーンも映画男優として活躍している。
 稲作農家兼衣料品と米の卸売業者をしていた家の長男として生まれ、家族でイェルナークラムに移住後、法学を修了。2年間法律関係の仕事に従事する。その中で、71年の「Anubhavangal Paalichakal(砕かれた経験)」にノンクレジットで端役出演。演技に目覚めて舞台演劇界へと飛び込み、79年に「Devalokam(神に従え)」で映画主演デビュー予定だったものの未完成のままお蔵入り。80年の「Vilkkanundu Swapnangal(商売の夢)」でクレジットデビュー、同年公開作「Mela(見本市)」で正式に主役級デビューする。
 以降、マラヤーラム語映画界で活躍していき、81年の「Ahimsa(不殺生)」でケーララ州映画賞の助演男優賞を獲得。同年公開の主演作「Thrishna」の大ヒットで映画スターの仲間入りとなって活躍の場を広げ、82〜87年の間だけで150本以上の映画に出演。84年の「Adiyozhukkukal(下層の人々)」でケーララ州映画賞主演男優賞を獲得して、以降も数々の映画賞を獲得している。
 90年には「Triyathri」でヒンディー語(*5)映画にデビュー。同年公開作「Mounam Sammadham(沈黙は従属)」でタミル語(*6)映画に、92年の「Swathi Kiranam(暁の光)」でテルグ語(*7)映画に、00年の「Dr. Babasaheb Ambedkar(父なるアンベードカル博士)」で英語映画に(*8)、12年の「Shikari」でカンナダ語(*9)映画にもそれぞれデビューしている。
 その他、男優モーハンラールたちと共に映画制作会社カジノを共同出資で立ち上げている他、自身の主演作のための配給会社マンモーティ・テクノテインメントを設立。22年の主演作「Rorschach(ロールシャッハ)」以降プロデューサーとしても活動している。

 主人公の理想の女性役で出演しているのは、1966年(1970年とも)ケーララ州ティルヴァナンタプラム生まれのショバーナー(・チャンドラクマール・ピライ)。
 40年代後半〜60年代にかけて活躍した古典舞踏家トリオ"トラヴァンコール・シスターズ(*10)"の姪にあたり、親戚に女優クマーリー・タンカム、映画プロデューサー P・K・サティヤパル夫婦、男優ヴィネートなど、古典舞踏家などのパフォーマーや映画関係者が多い。
 子供の頃から、マドラス(*11)にて古典舞踊バラタナティヤムを特訓して、子役として80年の「Mangala Nayagi」などタミル語映画やテルグ語映画に出演。84年のマラヤーラム語映画「April 18(4月18日)」での主演デビューで本格的に女優活動を開始。この年には、マラヤーラム語映画だけでさらに3本出演の他、タミル語映画「Enakkul Oruvan」にも出演していて、翌85年には、マラヤーラム語映画16本、タミル語映画1本の他、テルグ語映画「Marana Sasanam」、カンナダ語映画「Giri Baale」にも出演。以降マラヤーラム語、テルグ語、タミル語各映画界を中心に活躍している。
 90年のマラヤーラム語映画「Innale(昨日)」でフィルムフェア・サウスのマラヤーラム語映画主演女優賞を獲得。93年の伝説的傑作「Manichitrathazhu(飾り錠前の部屋)」でも多数の映画賞を受賞し、以降も各映画賞やパドマ・シュリー(*12)をはじめとした功労賞が贈られている。
 98年の「Swami Vivekananda」でヒンディー語映画に、02年のレーヴァティ監督デビュー作「Mitr, My Friend」で英語映画にもデビュー(*13)。
 古典舞踏家、古典音楽家としても精力的に活動していて、89年には自身のダンススクール"Kalipinya"を設立。世界各地でのインド古典音楽リサイタルにも参加し、94年にはバラタナティヤム専門校"Kalarpana"を設立させてもいる。

 回想シーンのかなりの部分に出演する、少年時代の主人公アジェンを演じるのは、1972年ケーララ州コーリコード県コーリコードに生まれたスディーシュ。
 徴税代理人兼男優のスダーカラン・ナーイルを父親に持ち、よく親子で映画出演していたそう。86年のマラヤーラム語映画「Aval Kathirunnu Avanum」あたりから映画で活躍し始め、90年代以降映画とTV双方で活躍。20年の「Bhoomiyile Manohara Swakaryam」と「Ennivar」でケーララ州映画賞の男優キャラクター賞を、後者ではさらに助演男優賞も獲得している。
 父親と同じように、スディーシュもまた息子ルドラクシュ・ナーイルとよく共演しているそうな。

 「母親を見つけられたら殺してやる」と言いつつ、先輩女子や噂の女幽霊などに興味津々になる少年アジェンの、その態度の裏に透けて見える母親なるものへの憧憬が、前半はまだおとなしい形で書かれ、その初恋であろう先輩女子との儚いやり取りも可愛らしく微笑ましく映る姿ながら、後半回想に現れるショバーナー演じる女幽霊や主人公にしか見えない幻の女性ナーリニーが、はっきりと見えれば見えるほど、彼に語りかけてくれば来るほど、彼の中の母親を求める心のどうしようもなく増大する様が見えて来るようでやるせない。その彼が求めた理想の女性が、親友であり兄貴分でもあるバルーの結婚相手スリと瓜二つの姿だった皮肉は、運命なのかなにかしら予見だったのか単なる皮肉だったのか…。
 親無し児である主人公が、3人の御使いならぬ3人の使用人に囲まれて育ち、血の繋がらない父親役の"お医者のおじさん"とバルーの手助けを得ながらも、聖母の幻に伸ばした手は永遠に届かない。……と並べてみると、聖書伝説を下敷きにしたような登場人物配置にも見えて来るけれど、夢と現の合わせ鏡が徐々に混ざり合い等価になっていく主人公の主観世界は、胡蝶の夢の如く、儚い人生のままならなさを見つめるインド的夢幻世界をも見据えているようでもある。

 ラスト、川岸のガート(*14)を奇数だけ数えて降りていく少年アジェン(?)は、再度上へ駆け上がったのち今度は偶数だけ数えながら階段を降りていく。物事の2面性を確かめるような印象的なシークエンスの、意味深で皮肉めいてもいる終わらない夢のような読後感の、なんと複雑なことよ…。




受賞歴
1987 チェコ Karlovy Vary International Film Festival FIPRESCI(国際映画評論家連盟)作品賞
1987 National Film Awards 監督賞・脚本賞(アドール・ゴーパラクリシュナン)・音響賞(P・デーヴァダース & T・クリシュナヌンニ & N・ハリクマール)


「Anantaram」を一言で斬る!
・朝、寝坊で遅刻しそうになっても、1回水浴びしてから学校行くのがケーララ流なのネ。

2024.2.2.

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*1 南インド ケーララ州とラクシャディープ連邦直轄領の公用語。
*2 深読みだとはわかっていても。
*3 同年には「Avano Atho Avalo」にも出演している。
*4 1949年7月に2つの藩王国が合併して成立したトラヴァンコール=コーチン連合州を元に、翌1950年1月にトラヴァンコール=コーチン州と改名した州。別名ティル=コーチ。その後の1956年の再編成で、マラヤーラム語圏をまとめてケーララ州に組み込まれる。
*5 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*6 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある。
*7 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*8 本作でもナショナル・フィルムアワード主演男優賞を受賞。
*9 南インド カルナータカ州の公用語。
*10 女優兼ダンサーのラリタ、パドミニ、ラギニのトリオ。
*11 現タミル・ナードゥ州都チェンナイ。
*12 第4等国家栄典。
*13 この映画で、ナショナル・フィルムアワード主演女優賞を獲得している。
*14 階段状の親水施設。